先週、鏑木清方の桜吹雪の図を見つけたが、鏑木の師匠は月岡芳年である。鏑木は維新後に生まれたアプレゲールだが、師の月岡は幕末・天保の人である。維新は天保の人材によって成し遂げられたと言ってもよいが、年齢的にちょうど歴史の転換点に巡り合わせたのであろう。
月岡芳年、1886年
(出所)浮世絵検索
月岡は、無惨な図柄で知られ、江藤新平の佐賀の乱、西郷隆盛の西南戦争を描いた作品も知られているが、やっぱり日本人はよほど桜の花が好きだと見える。ちゃんと描いているのだねえ。「最後の浮世絵師」と呼ばれたそうで、弟子達の多くは浮世絵ではなく、洋画や日本画の分野で一家を成したという。いい先生でもあったのだろう。
桜の花は、言葉の芸術でもモチーフになることが多い。しずごころなく、はなの散るらむ、という花は桜をさしているし、見渡せば、はなももみぢも、なかりけり、という時の花も桜である。同じ種の花を愛して詠い続けること千年をこえる例は比較文化論の観点からみても必ずしも多くはないのではなかろうか。
あはれ花びらながれ三好達治の詩集とも40年来のつきあいだが、世上もっとも有名な作品の一つは上に引用した『甃のうへ』である。最初にこの作品を読んだとき、花びらが桜吹雪であるとは気がつかなかった。そのうち、季節は春であることが6行目の「春をすぎゆくなり」で分かった。「花びらながれ」は、桜の散る様子を表現していることにも気がついた。場所は石畳のある寺院の境内である。「ひとりなるわが身の影」は<春愁>とも<孤愁>ともいまでは言えるが、若年の学生にそんな心の綾は無縁のものであった。だから、上の作品のどこがいいのか、正直な所、ほとんど分かりませんでした、な。
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
そのうち、同じ三好の『山果集』にある「古帽子」が好きになった。
帽子よ 年ごろの孤独の伴侶 憐れな私の古帽子ここで詩人がみている古帽子と、甃のうへに映る自身の影法師は、どちらも年ごろ詩人の孤独を慰めてくれていた伴侶であったことに間違いはない。
私の憂ひの表情を いつとはなしに分たれた
お前もまた 私の心の影法師 そを手にとって 頭に戴き
落葉松の林を来れば その鍔に この日また 春の雪つむ
その孤独は三番目の詩集『閒花集』に載っている「砂上」の冒頭にも流れている響きである。
海 海よ お前を私の思い出と呼ばう 私の思い出よこの作品に「孤独」という文字は使われてはいない。とはいえ、渚にねる詩人がみる波と、聴く水の音は、古帽子や自身の影と同じであり、これらは全て詩人の年ごろの伴侶であったに違いなく、詩人の孤独は詩人の心に蘇る思い出とともに在った。思い出すことが孤独をつくる。思い出をもたらしてくれるものが詩人の伴侶であると同時に詩人を孤独にする。そう受け取られると今では思っている。
とすれば、桜吹雪の中を歩む「をみなご」をみる詩人は、思い出の中におり、それ故に孤独である。そんな心情こそ作品のモチーフなのだな。その思い出とは人の思い出であって、他ならぬその人は作品「 甃のうへ」の二つ前に登場する「乳母車」にある最初の二句
母よーから明らかなように詩人の母である。このようにしか考えられないではないか。同じ処女詩集『測量船』の中程すぎにある「Enfance finie」。これも昔からずっと好きだった作品だ。最も好きな下り。
淡くかなしきもののふるなり
約束はみんな壊れたね。約束はみんな壊れるものである。これだけで十分だ。
海には雲が、ね、雲には地球が、映っているね。
空には階段があるね。
今日記憶の旗が落ちて、大きな川のように、私は人と訣れよう。床に私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。
時間の経過と記憶の持続。人間存在の本質とそこから醸し出されるもののあはれ。そんな感情の流出の核である母への慕情が、三好達治を三好達治たらしめている。
0 件のコメント:
コメントを投稿