2013年5月14日火曜日

橋下徹大阪市長の自爆テロ的発言騒動

このままでは年内にも政党としての維新の会は消滅してしまうのではないか、自民党の別動隊のような位置づけではいかんと、そんな憂悶に耐えかねたのか、ついに橋下市長独特の言葉の大花火を上げようと決意したようだ。

氏のロジックはどうもこんな骨格であるようだ。

戦時中の従軍慰安婦で日本の犯した罪が非難されている。しかし、兵士らのストレスを解消するために売春婦にサービスさせることは、当時の世界においては普通の状態であり、当時の倫理観に違反するものではなかった。日本軍だけではなく、米軍でも、英軍でも、中国共産党軍でも、同様の慰安婦はいたはずだ。しかし、日本は戦争に負けた。敗戦国の日本が、戦後の価値観によって、戦争中の行動を断罪されても、それは仕方がない。その意味で、謝罪はするつもりである。しかし、戦時の日本軍は当時の倫理に反したことを行っていたわけではない。今の価値観に立って当時の日本軍の行為を残虐だと非難されるのは甘んじて受けるが、同じ行為は批判をしている側も行っていたのではないか。その事実は認めておかなければいけないし、それを指摘するくらいの権利は日本にもあるだろう。

興味を覚えたのは産経新聞がどんな風に報道しているかだった。まさか、いくら何でも石原慎太郎の肩をもって橋下市長をかばうようなことは書いていないだろうな、と。
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は14日、在日米軍海兵隊幹部に風俗業者を活用するよう促し拒否されたことについて「だいたい米国はずるい。一貫して公娼制度を否定するが、日本の法律で認められた風俗業を利用することに何ら問題はない」とツイッターに書き込んだ。
 同時に「人間の性的な欲求解消策について真正面から認めるのか、そこに目をつむるかだ」と提示。「風俗業を活用したからといって沖縄での米兵の性的事件が収まるかは分からない。建前論はやめてくれ」と投げかけた。
 旧日本軍の従軍慰安婦問題に関しては「人間、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実」とし、あらためて慰安婦は必要だったとの考えを表明した。さらに「今の視点で良いか悪いかと言われれば、良いことだとは言えない。ただ、世界各国を見れば、軍人の性的欲求の解消策が存在したのは事実だ」と強調した。
(出所)msn産経ニュース、2013.5.14 15:01 
当然のことながら、中国、韓国は猛反発しているようであり、海外マスメディアも報道しているようである。

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橋下市長も政治家だから、自分の発言にも一理あるねえと、そんな反応を期待しているわけではないはずだ。次の選挙で当選することが目的であるような<政治屋>をとりあえず維新の会から振り落して、内部を純化してから、日本国内をかきまわそうという算段だろう。どこか中国の反日デモ扇動戦略と相通じる側面がないでもない。狙いはあくまで国内での生き残り戦略であり、そこに国際関係における自国のメンツを素材に使うわけである。ま、この手の政略は多分に「いったもの勝ち、やったもの勝ち」であるのだが、「やり手」の評価は得ても、リスペクトされることは決してない。その位もまた同氏はわきまえているだろう。まっとうな有権者の支持をどのくらい集めるか、それは分からないが、政治ショーとしてはかなりの視聴率を得るであろう。

ただ橋下市長のロジックも少々苦しいのではないか?今の価値観で昔の行為を非難しているが、昔はみんなやってたんだから、それは倫理とは呼べないでしょ?それを言うのは私たちが負けて、あなたたちは勝ったからなんでしょ、と。日本人は勝ったからといって、そんなこたあ言わねえなあ・・・・これは、いわばタンカをきって見栄をきっているわけで、歌舞伎だと拍手がわきおこるところだ。

いよ~お、橋下屋!!

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しかしねえ、今の倫理で昔を裁くなと言い出せば、昔の倫理で今を裁くな、ということにもなる。

昔は武士道があって切腹をもって責任をまっとうした。そんな昔の倫理で今を裁けないことは、なるほど常識にかなっている。しかし、いまから20年くらい経ってから、昔は確かに拷問は禁止されていた。しかし、それも時と場合による。拷問の実施も最高の主権者である国民の総意があれば認められるのである。そうなるかもしれないねえ。それは仕方がないのか?現在は拷問も、残虐な刑罰も認められてはいない。それは現在の倫理によるのだが、それも67年前の憲法がいまも我々を束縛しているからだ。しかし、倫理観は時代によって違うだろうと言い出せば、「古くさい憲法」に束縛される義務もなにもないわけだ。これは、人間の善悪の基準はいくらでも変わるものだと言っているに等しい。これでは人類が倫理的に進歩していく可能性を否定することになる。政治家が言っちゃあ、おしめえでしょう。そう思うのだ、な。

やっちゃあいけないことは、その時には分からなかった、後になって分かった。だからまず自分が自分の誤りを真剣に反省することと、みんなそうだったじゃないかという言い分は別である。仮に、中国やアメリカがいまもなお従軍慰安婦なるものを残していたとしても、だから日本もやれるんだという結論にはならないわけである。ここを「進歩」というんじゃあないですかい?

まして悲惨な慰安婦は今はないのである。それは人権を踏みにじる行為である。その合意が国際社会に定着した。この価値観を大事にしていくのが今の政治家の職務である。その政治家が「当時の誤りはいま考えても憤りに耐えない」というべきところを「当時の価値観では許されていたんですよ」と。危なっかしい人物だねえ、確かに・・・と、そう思う人は結構多いのじゃないか。このギャンブル、橋下市長の負けかもしれない。






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