2013年9月22日日曜日

日曜日の話し(9/22)

TBSの日曜ドラマ「半沢直樹」が過剰とも言えるような番宣を繰り広げた一週間だった。
やられたら、やり返す、百倍返しだ!
もう分かりました……そんな感じになってきた。

「やられたら、やりかえす」。ゲーム論でいえば「タカ・ハト・ゲーム」のタカ戦略である。相手におとなしく従うのは「ハト戦略」。NHKの大河ドラマ「八重の桜」で、「この会津モンがあ・・」と侮蔑された八重が「会津モンはおとなしく恭順はしねえのでございます。ご存知ではありませぬか」とタンカをきる場面があった。あれもまた言われたら言い返す「タカ戦略」である。

どうも世の中全体が「やられたら、やり返す」的になってきて、強硬論が世の支持を受ける兆しがみえる。しかしながら、相手のある戦略ゲームで考えると両方がタカを目指す<タカ×タカ>状況はナッシュ均衡を形成しない。逆に、双方が激突すれば大きな損失を被るので回避するべき状況だと認識するのが正しい。かといって、最初から大人しく双方がハト戦略をとるのもナッシュ均衡ではない。この場合は、いずれかがタカ路線をとって相手を服従させようとする誘因が生まれる。タカ・ハト・ゲームのナッシュ均衡は二つあり、こちらがタカになる<タカ×ハト>、あちらがタカになる<ハト×タカ>のいずれかである。このいずれに落ち着くかは、一律の理論はなく「コミットメント」の応酬、「限定戦争」の実行から得られる双方の戦力予想などから、一定期間が経過した後、どちらかがハトを選択する時点で決着する。

もちろんこう語ったからといって「タカハトゲームが現実に当てはまっている」とは限らない。協調の利益があるのだが、それでも協調できない「囚人のジレンマ」が現実かもしれない。強硬策はできれば避けたい、それでも自衛上やらざるをえない、そんな修羅場から脱け出したい、現実はこうなのかもしれない。ジレンマを脱したい、それでもなお長期的に考えると「協調第一」よりは「目には目を」のタカ戦略をとっておく方が「不屈の人」、「不屈の国」の評価をかち得る正道だ、と。そう(正しく)認識しているのかもしれない。合理的人間は非道な人間に勝てないものである。

日曜日だというのに殺伐とした話しだ。とはいえ、話しだけだからまだいい。画家コローはプロシアとの戦争が始まっても村から非難せず、敵軍が攻撃してきたら、義勇兵の一人として反撃するため、武器を購入して備えていたという。1870年から一年近く続いた普仏戦争の時だ。

コローの絵は昔から好きだった。


Corot, Ville d'Avray, 1867

いまネットで作品全体を一覧したが、普仏戦争の前後でそれほど画風に変化が出ているようには感じられない。というか、コローその人は1796年生まれだから戦争開始時点で74歳になっている。1875年には没しているから義勇軍参加云々は、コロー最晩年のことであり、周囲の人から見れば「老いの一徹、年寄りの冷や水」というところだったに違いない。

それでもフランスの敗戦直後にコローが描いた下の「村を行く騎士」には隠すことのできない寂寥感が漂っている。画家が絵を描くときその人の心象風景がにじみ出てくるのは当たり前である。


Corot, Cavalier in sight of a Village, 1872

どことなくスペインの野をいくドン・キホーテを連想させる。若い時分の画風とはまったく違っている。水々しさはもはやなく、落ち着いた枯淡の味もなく、ただ淋しく、迷いの中をさまよっている。








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