小生には息子が二人いる。本ブログで「愚息」と呼んでいるほうと「長男」と呼んでいる方の二人だ。二人の性格はかなり違う。愚息は長男とは反対で「自然より人間」、「観察よりおしゃべり」が幼少の頃より好きだった。で、勉強したのは(当然のこと)法律という学問の中でも特に人間臭い、時にはドロドロした問題にも取り組まなければならない分野だった。
現代日本の高い生活水準を可能にしたのは、しかし、科学への関心である。福沢諭吉が幕末から明治にかけて何度も強調したのは、これからの日本人が勉強しなければならないのは、儒学という人間の生き方や倫理に関する学問ではなく、「窮理学」であるということだった。窮理学とは「物理学」のことだ。その頃、福沢が生きた時代は自然科学だけではなく、社会科学も成長しつつあった。マルクスが「資本論」第1部を発表した年は、正に徳川慶喜が大政奉還をした年である。1880年にエンゲルスが「空想より科学へ」を著したとき、福沢諭吉は45歳であった。経済学が物理学を模範として理論化されていったのは偶然ではない。福沢にとって「科学」と「理科」は日本の将来を約束する知識であったわけだ。
それがどうだ。科学的知識の活用が豊かな暮らしを見事なまでに提供したいま「理科離れ」現象が日本を覆うようになるとは。福沢はもちろん、誰にも想像すらできなかっただろう。戦後日本の高度成長時代、鉄腕アトムを書いた手塚治虫が生きていたら、日本人の感性の余りの変容ぶりに吃驚するだろう。
東日本大震災後の日本人の科学観についてウォール・ストリート・ジャーナルがこう書いている。日本語版から引用するが元は英文である。
原子力発電は、二酸化炭素排出という理論上の問題に対する有能な文明の解決策かもしれない。ただし、人類が有能な文明を持っていればの話だ。
(中略)それでも、汚染水は不安定なタンクにたまり続けることになる。必要な解決策は、この水をろ過して可能な限り放射性物質を取り除いた上で海洋に放出することだ。残念ながら、日本の漁業団体は、日本のほぼ全てのロビー団体がそうであるように、さまざまな措置を阻止できる権利を有しており、そのような解決策への同意を拒否している。しかも、汚染されていない地下水を、東電が既存の設備を使用してプラントから海洋へ放出することにさえも、日本の漁業団体は反対している。こうした膠着(こうちゃく)状態は、現代世界での原子力復活への希望をくじくことになる可能性がある。
(出所)Wall Street Journal, 2013, 9, 12
韓国が日本の8県産水産物を全面輸入禁止とした措置に対して「非科学的である」と日本政府は応じている。放射能汚染に敏感なフィンランドなど北欧諸国は科学的データに基づかず日本近海の水産物を一律に輸入禁止するなどはしていない。科学的知識に基づいて行動するときに、議論は冷静になり、結論は合理的なものになるというのは、もう分かっているはずだ。
日本が放射線に過剰なまでに敏感になる背景にはおおむね広島と長崎がある。しかし、もっと大きな原因はLNT仮説(直線しきい値なし仮説)を支持し、1950年代に大気核実験に異議を唱(とな)えた善意の活動家にあるかもしれない。LNT仮説とは、放射線はどんなに微量であっても健康に害があるとする考え方だ。
遅ればせながら、そうした問題に関する権威機関の1つ、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は、かつて擁護していた疑義あるリスク計算式を撤回しようと先頭に立って動いている。UNSCEARは昨年、恐らく地球温暖化への対抗策として原子力エネルギーを救出しようとの目的から、「低線量を大勢の人数で掛け合わせて、放射線で誘発された健康への影響を受けた人数を推計すること」は推奨しないとの見解を明らかにした。
反原発活動家にとってさらに悩ましいのが、中には最大600ミリシーベルトの被ばくをした人もいる福島第1原発の作業員にさえ、放射線を原因とする疾病が見受けられず、今後発症する見込みもないとUNSCEARが断定したことだ。しかし、その結果、国連には非難が殺到した。
(出所)上と同じ。下の引用も同様。理にかなっていないのは日本もそうであるし、アメリカもそうであるし、世界も同じである。
しかし、ここで1つの疑問がわいてくる。世界で最も有能な国の2つ(もちろん米国と日本のことだ)でさえ、目的の一貫性を保って原子力産業を効果的に管理できていない。だとすれば、われわれが望む気候にするために大気の化学的プロセスを管理するという難題に、果たして世界が立ち向かえるのだろうか。放射能汚染と二酸化炭素排出・地球温暖化は―因果関係には専門家の間で色々異論があるようだが―文字通り『前門の虎、後門の狼』だ。虎を怖れるあまりに狼から目を背けるのは愚かである。やるべきことは、あらゆる問題を解決することであり、一つの問題を解決することではない。「逃げてはいかん」わけだ、な。
おしゃべりをしているだけでは「原子力」も「地球温暖化」も「異常気象」も何も一切解決できない。話し合いで分かり合えるのは100%人間的な事柄だけである。おしゃべりが間違いであるのは日常のことだが、検証された科学的事実は誰にとっても「事実」である。事実に向き合わない原因は感情である。いまの問題を解決するのは、しかし、感情でなく、科学的知識だ。日本も韓国に対して、そのことを言っている。
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