権力がプライバシーに土足で踏み込むわけにはいかず、警察側の自己規制にも合理性はあるわけで、以下のような警察側の対応も小生には仕方がないと思われるのだな。
個人の恋愛感情に起因するという性質上、「相談時に切迫の度合いが不明確で、どのような対応が適切なのか判断するのが難しいケースが少なくない」(捜査幹部)。(出所)日本経済新聞、10月11日現在、警視庁所属の警察官は約4万人である。一方、都内の人口は概ね1千3百万人。警察官1名が325人の住人の安全を確保するという計算になるが、どう考えても<いざという時のセキュリティ確保>を約束するには警察官の人数が最初から足りないと思うのだ。これを例えば安全向上を目的に警察官定員を2倍にしても、まあ現在より多少マシにはなるだろうが、小生には問題が解消される、つまりストーカー殺人のようなどこで発生するか分からない凶行を警察官の努力で未然に防止できるとは、到底思えないのだな。大体、警察の拡大には国や自治体の予算拡大が必要であり、政府にも都道府県にもカネは余っていない以上、増税が必要だ。何をしてもいいが、フリーなものは、世の中には一つもないのだ。
警察官はいわば税金で雇用する用心棒である。端的に言えば、カネで安全を買うのが、民主主義社会の警察という存在だ。払っているカネでは、十分満足の出来る治安が確保できないなら、支払う金を増やすか、やり方を変えるしかない。これがロジックだ。カネで安全を買わないのだとすれば、カネではなく住人が自ら安全を造り出す。これも理屈だろう。
安全を造り出すには、地域共同の見回り行為も選択肢に入るだろうし、地元住民による「不審尋問」も許容されなければなるまい。平成版「おかっぴき」を任命することになるかもしれない。いわば警察の嘱託、契約スタッフになるか。OB人材の活用にもなる。富裕な地域なら、一律の警察サービスでは不十分だろうから、エリア全体を安全ウォールで囲んで防犯カメラを設置するかもしれない。富裕でなくとも道路に「非常線」ならぬ「警戒線」を設ける地域が生まれるかもしれない。もちろんカネはいる。そのエリアに入るには幾つかの人定質問を受ける。もちろん警察官も例外ではない。その意味で、こうした措置は警察の権限制約になるので、政府が最初にこれを容認しないといけない。そのゲートには地域住民が自ら当番であたり、必要なら武装し、あるいは拠出した資金でセコムやアルソックの警備員が雇用される。そうして、常に入出門チェックをする。ここまでやれば地域の暮らしの安全は十分な程高まるだろうと予想される。おそらく、住民の安全確保は、警察業務の中でも労働消費的で高コストの仕事であろう。そもそも非効率な公務員に委ねるのはおかしいのだ。
実際、民間警備会社は今後の経営戦略として地域社会の安全サービスを挙げているという。そりゃあ、こういうご時世、ビジネスチャンスである。
このように世の中がいくら危険になったからと言って、直ちに正当防衛をもっと広く認めよとか、銃刀規制を緩和せよという議論にはならない。とはいえ、個人の正当防衛を広汎に認めるのでなければ、警備ビジネスの拡大を促進するくらいのことは政策としてサポートしなくてはなるまい。あるいはまた町内住民の<集団自衛権>を認める必要もあろう。この権利の行使に当たっては、警察の助言指導もありうるかもしれないが、<お上頼み>では所詮は絵に描いた餅になろう。やはり自発的な活動が望まれる。いずれにせよ、これまた<規制緩和>の一分野といえる。
もちろん日本社会の経済的効率性が、上のような暮らしの安全向上策のために、どの程度阻害されるか、それは別の問題だ。ただ社会の問題は、工夫をすれば解決できるものだ。そもそも最初から対応能力には限界のある警察にゲキをとばしたり、ただ批判したりするだけでは、全く能のない話しである。
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