高度成長は、小生自身、少年ではあったが毎年のように新しい耐久消費財が家の中に入ってきて、みるみる生活水準が上がっていったという体感が残っている。その時代を生きたという実感があるので、その時代が真に豊かであったとも思わないし、弱いものいじめもあったし、喧嘩、暴力もあったことも知っている。その時代を生きた人たちの心理を知っているので、いつタイムスリップをして町の雑談に入ろうと、話しにはついていけると思う。
それに対して、戦前期、それも戦争中となると、その時代を生きた人たちの心理や暮らしの感覚はまったく想像もできないのだ。家族の一人に召集令状がきて、町の人が「万歳」と唱えながら見送る時の思いや、戦死広報を受取り「名誉な事でございます」と口でいい、あとで泣くなどという心理は、とてもじゃないが正しい事ではないと思うのだ。政府による耐乏要求になぜ反発しなかったのか、なぜ暴動が起きなかったのか、それが不思議でならないというのが、理屈じゃないかと思う。
実際、第一次大戦におけるドイツの敗戦のきっかけは、キール軍港の水兵達による反乱であり、その遠因は司令部が自殺的な出撃命令を出したからである。その反乱をきっかけに大衆蜂起が全土に広がり、ついに皇帝カイザー・ヴィルヘルムが亡命し、ドイツ帝国は崩壊に至った。このような顛末は、ドイツだけではなく、海外では普通一般に観察されているパターンである。なのに日本ではなぜ無茶な戦争に国民がずっと従って行ったのか?こういう疑問がある。その当時、生きていた人の心理をリアルタイムで再び回想しようにも、それは難しいのだ。
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息子が二人いるが、下の方はいま東京で司法修習をうけている。間もなく法務省の最終面接をうけて内定が確定するだろう。年明け後の1月4日からは新任研修があり、以後、北海道に帰る事は一年に一度もあればいいほうだろう。「お前はお国の役に立つように、どうか使ってくれと差し出したと思っているから、あまり北海道に帰れないからと言って、おれ達のことを心配するんじゃないぞ」と。まったく、こんな風に話す小生の心理と、「お国のためにご奉公できた倅もさぞや本望でございましょう。どうも有り難うございました」と息子の死亡通知書を受け取る親とどこが違うだろう。
この春、いわきに住んでいる弟を訪れた時にこんな風な話をした。
才ある息子は、国家有為であるが故に、社会にとられて、不孝をなし上の息子は、今の時代流行の「非正規雇用」の暮らしを続けている。四年制大学は出ているのだ。それでもアルバイトでもう長い間、単純労働者としての生活を続けている。趣味はプロスポーツ観戦であり、芸能ではAKBが大好きで一人暮らしをしている市内のアパートの自室にはポスターを壁にはって鑑賞している。そんな生活ができれば、一応の欲求は満たされ、満足しているらしいのだから、よくいえば無欲恬淡、悪く言えば向上心のかけらもない。「評価」するとすれば、そんな風な「評価」なのだろう。しかし、上の息子は親の心配はともかく、ずっと近くで暮らし、仕事が休みの日には食事をともにしたり、多忙ではないので家に帰ればカミさんと携帯で話しをする。そんな風にやっていくだろう。結局、才能も意欲も根性もないが、親も子も幸福に生きているということになるのかもしれんのだ、な。
才なき息子は、国家無用であるが故に、親元にとどまり、孝をなす
国に貢献することで幸福に至る事はないと小生は思っている。その意味で、幸福は自分自身かごく少数の家族、近親者だけのことをさす。近代社会は「幸福の追求」を全ての人が生まれながらに持っている基本的な権利であると認めるところから出発した。幸福追求の自由は、本来、お国の役に立つ事ができて本望でございましょう、と。こういう価値観とはまったく相容れないものである。こう考えたからといって、小生が無政府主義者であることにはなるまい。
シュピッツヴェーク(Carl Spitzweg)、貧しい詩人
大事な価値は、一人一人の心の中にあり、自分の周囲の社会という場に自分をこえる規範があるのではない。こういう理念からはじめてイノベーションは起こりうるのであって、はじめて社会的な進歩を実現できるのだと思っている。遠くをみて暮らすのは邪道である。幸福である可能性は、元来、すべての人に平等に与えられているものだと思う。それがプチブルで、小市民的欺瞞だというなら、「言わば言え」なのだな。
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