経済政策では『一日、四半期』と数えている。景気後退に入ってから大体は1年半で底打ちするのが景気動向指数から窺われるこれまでの平均だ。6四半期、つまり6日で本復という時間間隔がここにはある。
犬の時間は人間の5倍の速さで過ぎていくし、カナリアや文鳥など小鳥の時間となると、犬の時間の更に2倍の速さで過ぎ去っていく。人間が1年を過ごして年末を迎えるとき、昔飼っていた文鳥は10年を過ごしたのと同じ感覚であったに違いない。
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本日、2013年11月17日、札幌の大丸藤井セントラルに赴き、下の息子の任官祝いに贈るため先日、11月4日に注文した印鑑二本をもらい受ける。銀行印は13.5㎜で小生の12㎜印に比べると大きめにしたせいか、印相はともかくも、どことなくボヤッとした感じであるが、実印の方は中々装飾的で美しく文句のない仕上がりとなっている。父親として息子にしてやる予定はこれで完了だ。ただし、夕刻に愚息から電話あり。四国旅行にいくので資金カンパを申し込んでくる。交通費とガソリン代を出してほしいということだ。10万円は多すぎるので8万円をやろうと言う。愚息が自分の息子に就職祝いの印鑑を贈るのは30年後か、40年後か。小生はもういないだろう。帰ってカミさんとそんな話をする。
セザンヌ、Louis Auguste Cezanne (父の肖像)
コーヒーも飲まずにそのまま帰宅したが、宅に帰るとコープさっぽろ人事部の桑野さんから先日の講師料振り込みを知らせてきていた。税込30万円、手取り27万円弱。愚息が修習中で金の出入りが多い時だけに嬉しい臨時収入だ。
セザンヌの父は、画家セザンヌを理解することもなく、評価することもなかったが、銀行経営でなした財産は息子の画業を完成させる基盤となった。評価することはなかったが父は息子を愛していたのか、常に畏怖を感じる父に対して画家セザンヌは愛を感じていたのか。仮にそんな疑問をいまぶつけることができるにしても、「あの人を愛していたのかどうかなんて、自分にもわからないなあ…」と、そんな風に言うのではないかという気がする。愛など、その形は千変万化して、当人にとってすらその変化について行くのが苦痛である。
小生の部屋にある二つの本箱は、一方が昭和23年に祖父が父に贈った就職祝い、他方は父が昭和53年、小生が経済企画庁に入庁する年に東レを病気退職するとき会社から贈られた記念品である。いま自分の書籍のためにそれらを使っているが、時に本箱の前の持ち主を思い出すとき、小生は大変不幸な気持ちになる。これまた数々の親不孝に加えて、また一つの不孝をなしていると言えなくもない。
父が息子にとって愉快な思い出たりうるのは大変難しく稀有のことかもしれない。
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