戦前期日本が、いわゆる「帝国主義的拡大」を国策としはじめたのは、いつ頃からだろうか、と。時々、勉強し直したくなるのだが、確かにこの辺は相当細かく文献や資料を読み込まないと中々答えは出てこないだろうとは思う。たとえば、しかし司馬遼太郎などの歴史小説では、日露戦争ですら、帝国主義的な領土欲には汚されておらず、比較的純朴な動機に基づく自衛のための戦争であったと叙述している。とはいえ、軍部の独走はその前の日清戦争から川上操六など参謀達が立案した戦略の自動実行システムとして既にうかがわれるわけである。また、いかにアメリカなど西洋諸国との了解があったとはいえ大久保利通による台湾出兵(M7)は、「自国民保護」を名目とした一方的な海外派兵であることに違いはなかった。日本国民が自由経済システムの下で貿易を拡大し、自国民の安全が脅かされれば軍隊の派兵が当然許されるのだという基本認識があるわけで、それこそが「帝国主義」なのだと認識するなら、明治維新直後の段階ですでに日本は「帝国主義的」であったと形容されても仕方のない面はある。
ただ父などもそうであったが、昭和前期の平均的な日本人は満州も朝鮮も台湾も南方諸島もすべて日本の「領土」—正確にはおかしいのだが—である事に誇りをもっていたようだし、それでも日本は英米とは違って「持たざる国」であるという貧窮の感覚がひろく共有されていたようなのだ。そんな満たされない物欲というものを明治の日本人がすでに持っていたというのは、ちょっと信じられないのだな。ま、どちらにしても、1945年の敗戦を契機に「領土拡張=善」という意識は、まったく否定されてしまったわけであり、日本がアジアを解放したというより、これはそもそも時代の進歩に沿った動きであり、日本が能動的に動いて歴史の進歩を加速させたのだと小生は思う。動機に「利己的欲望」があったにせよ、もたらした結果はアジアにとって利他的であった。そんなところじゃないだろうか。
同じ結果を求めるなら、もっと賢明な行動戦略があったであろう。そういうことだと思う。
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伊藤博文を暗殺した安重根をめぐって日本と韓国政府が主張と批判のやりとりをしている。韓国の中央日報などでは結構大きな扱いをしている。
朴槿恵(パク・クネ)大統領が、安重根義士の石碑設置について中国側に感謝の気持ちを表わしたことに対して日本政府が19日「安重根は犯罪者」として極度の不快感を表わした。菅義偉官房長官はこの日の定例記者会見で「我が国は安重根については犯罪者であることを韓国政府にこれまで伝えてきた」として「このような動きは両国関係のためにならない」と話した。(出所)中央日報、11月20日
彼は記者の関連質問にこのように答えた後「韓国には伝えるべきことについては明確に伝え、私たちの主張をしていく」と明らかにした。朴大統領は6月に北京で行われた韓中首脳会談で安義士が伊藤博文を射殺したハルビン駅に石碑を設置するよう協力を求めた。さらに18日、青瓦台(チョンワデ、大統領府)で楊潔チ国務委員に面会して関連の議論がうまく進んでいることに謝意を表した。これに対し日本が不快感を示したのだ。
日本政府の高位関係者が公開記者会見で「安重根は犯罪者」という表現を使ったのは初めてだ。日本メディアも朴大統領の発言に関心を示した。NHKは「中国との連帯を強化して日本に圧力を加えようとする意図があると見られる」と分析した。一部の右翼メディアは関係者の話を引用して「ハルビンが位置する東北3省地方は少数民族が多くて民族運動をあおる行為は中国が避けたがっているため、韓国を味方にするためのリップサービスに過ぎない」と報道した。
外交部の趙泰永(チョ・テヨン)報道官は「日本の帝国主義・軍国主義時代に伊藤博文がどんな人物であったか、日本が当時の周辺国にどんな事をしたかを振り返ってみれば、官房長官のような発言はありえない」と反論した。
一方、中国の洪磊外交部報道官は定例会見で、安重根義士について「歴史上の有名な抗日烈士であり、中国でも尊敬されている」として韓国を援護した。
伊藤博文自身は、韓国を植民地にすることの愚をよく理解していた政治家であったそうだ。 日本では、トップであってすら個人的に考えるように自由に政治を行えるわけではなかった。伊藤も立場を異にする多くの政敵とのバランスの中で政治をしていたに過ぎない。意図と結果が違ってしまった一面もあるだろう。
ただ上の記事を読んで思うのだが、「安重根は犯罪者である」と現代日本の内閣のスポークスマンがあっさりと言い切っていいのだろうか。戦前期日本の法制度の下で「犯罪者」というなら、戦後の政治家・吉田茂も投獄された事がある。それは時代が違うというなら、拷問で殺害された大杉栄も「犯罪者」なのか、小林多喜二は「犯罪者」であるのか、あるいは大逆事件の犠牲となった思想家・幸徳秋水は「犯罪者」であるのか?
『当時の統治国である日本の法制の下では犯罪者として裁かれた人物であります』
言えるのは、高々うえのようなことくらいであろう。まして、戦前期日本のありかたを自省する事から再出発したのが戦後日本である。戦後日本の総決算は進歩であるべきであって、先祖帰りであってはならない。そもそも戦前期日本を構築した明治維新ですら、日本人全体が参加し納得した国造りではなかったのだ。上の言い分は事件発生後100年余の歴史を考慮しない形式論理学ではないかと言われても仕方のないところがあると小生には思われる。
安重根という暗殺者一人の見方にも、深い歴史的洞察とは真逆のとってつけたような形式論理を主張するしか芸がないのは情けない。その背景には、幕末から倒幕・明治、そして敗戦に至るまでの近代日本を、経済発展・領土拡大の成功とは別の視点から—当然だろう、結局は幕末より国土を喪失し、ぬぐえぬ歴史を作ってしまったのだから―見直すことをほとんどしていない。こんな一面的な自己認識もあるのじゃないかと、小生、思っているのだ。
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