2014年1月26日日曜日

日曜日の話し―乏しきを憂えず、等しからざるを憂うのか

本人はまだ否認しているようだが、世を騒がせたアクリフーズ群馬工場で起きた農薬混入事件の容疑者が逮捕されたとの報道だ。

朝日新聞にはこんなコメントが寄せられていた。
一般論だが、格差社会の中で豊かな生活に入っていけない人には、不満がうっ積し、不特定多数を狙ったこうした一種の『テロ』が起こりやすい。今回の事件では企業の対応が遅れ、被害が拡大した。企業は、原因がわかってからではなく、異変に気づたら、速やかに対応するマニュアルを作ってほしい。消費者は食品の安全に大きな不安を感じている。(出所)朝日新聞、2014年1月26日
確かにジニ係数で代表される所得不平等指数は1980年代後半から上昇してきているし、特に新自由主義的理念が支持された90年代後半から2000年代前半にかけては「格差拡大は結果であって、それ自体を問題視するべきではない」という見方が世に広まることにもなった。これらの議論の半分程度は、今なお正当であると小生も同感である、というのが私の基本的立場だ。

ただ上の報道記事には考えさせられる。というのは、「格差社会の中で豊かな生活に入っていけない」というが、暮らしの環境として日本社会を公平に国際比較してみると、日本は安全で清潔、かつ豊かな暮らしをおくれる国であるのは間違いないことである。そして「失われた20年」とはいうが、実質GDPはまだ成長を続けていて、2013年は1990年より20%高い。一人当たりである。バブルの峠を越えた直後の90年の生活が豊かであったとすれば、2013年の生活は更に豊かである。これは平均値だが、所得が一定水準未満の家庭は生活保護の対象になる。この政策を誠実に実行すれば、そもそも日本で「豊かな暮らし」をおくることは不可能ではないはずなのだ。

だから現在の世間に蔓延している暮らしの不満があるとすれば、それは自分と他人を比較することによる不満であって、その背景に格差拡大がある。そう見るのが客観的ではないのだろうか。とすれば、なぜ自分と他人を比較するのか、という問題になる。

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確かに豊かな暮らしをしていると言っても、自分より豊かな人がたくさんいて、中国や韓国の富裕層など夢のような生活を送っている。いくら働いてもこれ以上の暮らしは無理なのだ。そう思うと<閉塞感>にとらわれるというのは分かる気がする。

とはいえ、収入が増えれば責任もまた重くなる。仕事も複雑で面倒になる。無際限に働かされることになる。大英帝国の昔、国王が路傍で昼寝をしている浮浪者をみて「余は王であるが、その幸福において彼らに及ぶ所ではない」、そんなエピソードを紹介したのは英国の経済学者・ミルであったかと思う。そのミルの思想を伝えるもっとも有名な言葉はいま改めて確かめると放送倫理・番組向上機構による審議事項になりそうである。
満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者…その者が自分の主張しか出来ないからである。 (出所)Wikipedia, "ジョン・ステュアート・ミル"
また、快・不快はその人の学問、というか教養を反映するものであり、別の所では以下のような見解を発表している。
……高級な能力をもった人が幸福になるには、 劣等者よりも多くのものがいるし、 おそらくは苦悩により敏感であり、 また必ずやより多くの点で苦悩を受けやすいにちがいない。 しかし、こういった数数の負担にもかかわらず、 こんな人が心底から、より下劣と感じる存在に身を落とそうなどとはけっして 考えるものではない。(出所)J. S. Mill
確かこの言葉はミルの主著『自由論』に登場している文章じゃないかと記憶している。本当は前後の文章をもっと引用したいのだが、いくらブログとはいえ、まるごと引用すると文字通りに「人を傷つける」審議事案になりそうなのだ。主旨は上の引用部分だけで十分意を尽くしている。

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「格差拡大」は、たしかに多くの社会問題を生み出す、というか生み出しつつある。「経済格差」は大きいより小さいほうが良いと考える人もいる、というよりいるべきだ。

しかし、格差が拡大する世の中で、上流になれない人は必ず不幸にならねばならないのかというと、それは真実ではない。 カネがあるからといって幸福になるかと言えば、これもまた真実とは違う。幸不幸と貧富の格差は個人ベースでは関係がないのだ。金があって可能になるのは「贅沢」だけである。これを理解し、納得するに十分な「考える力」と「見る力」。そして「嫉妬と向上心を識別する力」、「夢と目標を持つ力」と「夢と目標を区別する力」。こういう力の欠落が、いまの社会と人生に不幸を作り出している。小生はそう思うのだ、な。

そしてそうした不幸を救うことができるのは政府ではなく「学問」である。「知性」と言うべきかもしれない。これが小生の見方だ。日本の近代が『学問のすすめ』から始まったのはいわば必然である。学問の普及なき経済発展は、富の集中と腐敗、相互不信と嫉妬がうずまくだけである。だから公教育の劣化が深刻で本質的な問題であると考えるのだな。

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フランス絵画を真に革新した先覚者だと今では言われているが、セザンヌは死ぬまで人に認められることがなく −『人知らずして憤らず、また君子ならずや』を思い出してしまう − 学校で優秀な生徒であったこともなかった。セザンヌは、自分が行こうと思う道を歩いただけである。自分の意志だけでそれが出来る所が、近代社会の素晴らしい点だと思っている。

もちろんセザンヌは偶々父親が富裕な銀行家だったので絵を売って生活する義務から免れたのだが、しかし、ゴッホのように貧困であっても、その時にはまた何とか工面をして自分のやりたいことをやっただろう。ギャスケの書いた『セザンヌ』を読むとそんな人柄が伝わってくるのだ。たかが絵を描くということにそこまで拘ったからセザンヌは救われた。


セザンヌ、Abduction(誘拐)、1867
(出所)WebMuseum

28歳の年に描いた上の作品から、50代になってから描いた下の作品まで、おそらく気の休まる暇はなかっただろう。いま流にいうと「単なるじこまん」じゃないかと、常時ストレスを感じていただろう。


セザンヌ、Still Life with Basket of Apples、1894
(出所)WebMuseum

ゴッホは、セザンヌとは別の場所で生きた人であったし、セザンヌが世に知られるよりずっと先に死んでしまったから、彼の恵まれた経済的境遇は知らなかったかもしれない。知っていても羨望は感じなかったはずだ。もし他人を羨む人間であれば、ゴッホは今日まで残っている作品を絶対に描くことはできなかった。

セザンヌやゴッホよりずっと先輩のルノワールには息子がいた。その息子は成長して映画監督になったが、父の自伝『わが父ルノワール』を書いている。その中に自分の学校を訪れた父の姿を描写している下りがある。父ルノワールは、ボロをきて、爪の間には絵の具のカスが残っていたそうだ。そんな父をバカにした級友にパンチを浴びせた記憶を書いているのだな。小生は、この話しがとても好きである。




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