2014年1月11日土曜日

都知事選: 一人芝居か、「脱原発」時代の力か

元首相・細川護煕氏が都知事選に立つ意志を固めたという。とはいえ、総理を辞任したのが1994年4月であったので、以来20年。その間、隠遁生活を送りながら陶芸の道を窮めて来たのが再び政治の世界に戻るのだが、さてそうした身の振り方に多数の有権者が共感や期待を感じ、知事の任期4年間を託そうという気持ちになるかだ、な。

ただ対抗馬、というか本命だと思うが舛添要一氏がかつて除籍された自民党の支援を受けるからには、いまの安倍政権と全く矛盾した政策思想は語れない。つまり原発再稼働に賛同する発言をせざるをえない。それに対して、細川氏は自ら脱原発を主張しているのだから日本の、そして東京都民のエネルギー計画の点で真っ向から対立する。確かにエネルギー政策は国が決めるべきことだが、都知事選という大きな選挙でいずれが支持されるかは、今後の安倍政権にとっては政策の選択肢を強く制約するだろうと思う。

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ただ、小生はへそ曲がりなため本ブログを公開から限定公開にする前、いろいろ人の感情を逆撫ですることも書いたのだが、<脱原発>は本当に東京都民から共感を得られる方向なのだろうか。小生は正直なところ疑問を感じるのだな。

そもそも首都圏は、福島県や新潟県の原発施設が発電する電力を消費してきたわけである。契約者数が多いことから電気料金も低めに設定することができていた。東京に林立するエネルギー多消費型超高層ビルも遠隔立地・原子力発電が支えてきたと言っても過言ではない。東京という大都市が置かれているソーシャル・インフラの現状は、東日本大震災以前とほとんど変わってはいないし、そこで行われているビジネスの中身も同じであり、おそらく働いているビジネスマンや家族達の感性もホンネとしては変わっちゃあいないのではないかと推測するのだ。毎月支払う電気代は安い方がいいだろう、と。つまりそういうことである。都民にとっては電気であれ、その他の生産物であれ、現場は遠いのである。

だとすれば、見通しを語らない脱原発よりも、最先端技術を織り込んだ原発の提案をすることで東京という超巨大都市の将来を語る方に、都民はより強く賛同するのではないか…。何と言っても、都知事選は国政選挙ではなく、そこで暮らしている人たちが自分たちの首長を選ぶ選挙なのだ。

東京都民は、脱原発ではなく、原発を含めた先端的エネルギー技術の活用を自分たちの生活のために選ぶと予想する。

むしろ東京都民のより強い願望は、これ以上の格差拡大の回避ではないだろうか。微罪の増加、犯罪の凶悪化、詐欺の横行等々、東京で子供を育てる人たちの願いは何よりも安全であり、安全が損なわれてきた主因に生活困窮者の増加があることは誰でも知っている。そして、格差拡大が進んだ時代の為政者として小泉氏の存在は忘れがたいものになっている。小泉氏が脱原発を唱え、細川氏と連動しても、都民は見には行くだろうが、本当に投票するだろうか。疑問だ。小生自身は、自己改革のエンジンとなる格差はあるべきだし、社会の発展が投影されているだけにすぎない格差拡大は容認するべきだと思っている。格差拡大は高齢化の裏返しであることも理屈ではわかる。しかし、東京という町で貧富の差を眼前にみているなら、理屈よりは感情が先立つかもしれないのだ。

となると、厚生労働大臣を歴任し、自身も母親の介護をずっと続けた舛添氏に都民の多くが共感をもつとしても自然なことではないかと予想する。

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