新保守主義といわれたブッシュ前大統領の頃、小泉総理は日本をアメリカの傭兵国家にしようとしているとの批判があったようだから、ずいぶん古い意見である。たとえば「日本は 米国の 傭兵」というキーワードでGoogle検索を行ってみると、予想外に多くのブログが検索されてくる。その数の多さから、それだけ多くの人が『アメリカは日本をアメリカの国益のために利用しようとしている』と、こんな眼差しをもっているのであろうと、そう推測されるのだな。
しかしながら、小生の記憶では話しは逆であり、「アメリカは平和主義・日本の安全のため日本の傭兵として活動している」。こんな指摘が、好意をまじえるにせよ、悪意を含めるにせよ、ずっと言われてきたような気がする。
となると、出てくる疑問は「アメリカは本気で日本を守ってくれるのか?」と、こうなるわけである。
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しかし、100年にもならない短い期間のうちに、傭兵として雇われていた国が、今度は雇い主となって今までの雇い主を傭兵として使う。……こんな変化はちょっとあり得ないわけで、そもそも「どちらがどちらの傭兵であるか」というのは問題提起の仕方が悪い。
つまりは負担再配分であろう。「集団的自衛権」というのは元々そういうものである。勤務する大学に置き換えていえば簡単な話になる。人気授業を担当してきたA教官が疲弊してきた。相対的に少ない仕事を負担してきたP教官は、分野が同じでヤル気もある。A教官に代わってB教官にやってもらう。プリンシパル=エージェント問題ではない。結託(コアリッション)と対立のゲーム論である。日米中の3プレーヤーは、たとえ協調を演じるとしても利益の配分において潜在的対立関係にある。故に、2対1の関係を形成して利益を拡大する誘因をもつ。その組み合わせは日米、日中、米中という3通りがあるが、日中、米中いずれにも民主主義的政治体制であるかないかという本質的差異を乗り越えなければならないというイデオロギー上の障害がある。日米にはその障害がない。だから日本、アメリカいずれにとっても従来の同盟関係を継続して共同の国益を求めようとする動機がある。そのほうが契約費用が小さく効率的であるからだ。
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ただ傭兵云々を心配する人の気持ちはよく分かるのだな。
確かに日露戦争を戦った日本は、世界のパワーポリティックスの場において、明らかにイギリスの傭兵であったかもしれない。地盤沈下しつつあった大英帝国は、非常に安価な費用でロシアの東アジア進出を抑止できたと言ってもいいだろう。
今度は相対的に影響力が弱くなったアメリカが、日本という駒を使って、台頭する中国に対して優位性を守ろうとしている。これがアメリカの国益であるとするなら、なぜ日本がそのアメリカの意図のとおりに行動しなくてはならないか。そんな疑問があっても当然であろう。日露戦争がイギリスにとってばかりでなく日本にとっても大きな利益を生んだと同じように、今後アメリカばかりではなく日本にとっても大きな利益を日米関係から望んだとしても、別におかしなところはない。
では、アメリカが中国と親和的に交流を深め、日本が中国との対立を激化させるという役割を演じていくとして、そうした状況はアメリカにとって損ではないはずだが、日本はどんな長期的な利益をそこから得るというのだろうか。
少なくともより危険性を増す東アジアを国民に感じさせることによって、安倍総理が自らの念願である日本国憲法の改正と国防軍創設に至る道を切り開く意図があるのであれば、それは自分の目的を達成するために国民を「使嗾する」。自分自身の政治目的を実現するためのエンジンとして国民を利用する。そうなるように環境を作っていく。そう言われたとしても反論はできないのではないか。
だとすると、1930年代以降の日本の変化をもたらした政治と同根であるような気が小生もするのである。さらに、そうした日本の変化がアメリカにとってもプラスではないとアメリカが考える可能性がある-共同行動体制を深めることによって、問題を解決できるチャンスは十分にあると思うが。
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