2014年2月9日日曜日

雪の日、雪の絵

東京では45年ぶりの大雪になった。小生がカミさんと結婚した年も全国的に大雪の日が多く、四国・松山でも市内電車が雪のために往生したものだ。その年の春4月15日が式当日であったが、城山を廻るお堀端の桜がちょうどその日に満開だったことを覚えている。平年より半月は遅れたのだ、な。45年ぶりというと更にその年を上回る大雪というのだから文字通りに稀な冬である。

小生は、雪の日も雪の絵も大好きである−永井荷風が書いた随筆「雪の日」の素晴らしさも忘れられない。その浮世絵には雪の名品が無数にある。広重は何枚も描いているし、月岡芳年など大半はおどろおどろしい妖怪、侍の図であるが、ごく少数だけ花の絵、雪の絵、美人画がある。そのどれも何とも言えず美しく、可憐である。しかるに西洋は、あれだけ雪が降っているにもかかわらず、気象学的な現象の一つ「雪」としてしか認識していないのか、降る雪や積もった雪を情緒として感じ、雪景色を絵にした名品が少ないのは大変不思議である。そもそも西洋画には純粋の白という色がほとんど使われない。印象派の画家モネが描いた雪は白くはないのだ。その分、リアリティは増すが、雪としての美しさは毀損されてしまう。雪は白いものである。


月岡芳年、大雪の冬

中でも不思議なのは、ロシア人・カンディンスキーはなぜ春・夏・秋の絵をあれだけ描きながら、冬を思わせる絵をほとんど描き残していないかだ。生まれ育ったロシアでも、修行をしたドイツでも、冬は長く厳しく、雪を描くのに困ることはなかったはずである。


Kandinsky, Cemetary And Vicarage In Kochel, 1909
Source: Kandinsky

教会の墓地であろう。雪を思わせる色使いだが、雪の日を描いたのではないかもしれない。中欧の冬景色らしくもないからだ。よく分からない。が、カンディンスキーが冬を描いたのだとしたら、この作品と他にあるだろうか…、後半生は抽象画に没頭した人でもあるし。どちらにしても、この時期、第一次大戦までは弟子ガブリエレ・ミュンターと一緒に暮らしていたはずだ。画調が明るすぎるのはそのせいかもしれない。

あるものをどう表現するか、分かりきったことは疑わないものだ。それが伝統というものだ。分かりきったと考える内容が違うと、同じ雪でも全く違った表現となり、違った絵をかくことになる。

一つの事実、一連の事実、一つの時代、これらをどうみるかというのも、何を分かりきったことと考えるかで、過去はまったく違うものとして意識されるだろう。その色々ある過去の見方のどれが正しくて、どれが間違っているか。それが歴史論争である。その論争にいま決着をつけたいと願う人は、その決着で利益を得る人たち、失うものを持たない人たちだろう。こんな風に考えると、なるほど歴史は過去のことではあるが、議論する人間はいま生きているのだから、歴史もまた適者生存の中で選ばれて決まるのだろう。歴史を政治と切り離すことなど、最初からできないことではなかろうか。




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