2014年2月2日日曜日

道具へのこだわり

投稿の頻度が下がって、しょっちゅう「日曜日の話し」とヘッダーをつけるのも煩わしくなった。立春も近くキリがいいので、もう「日曜日○×▲」と言うのは止めよう。

昨日は卒年次生による最終発表会で朝から夕方までコメントを記述し、今日は入試の試験監督で昼まで教室にはりついた。流石に少し休憩したくなり、今日できる仕事を明日にのばして宅に帰ってきた。齢のせいか、毎日の仕事量のバランスに以前より気をつかうようになってきた。

齢のせいと書いたが、いくつになってもこだわり続け、容易なことでは妥協したくないものもある。若い頃はカバンであった。何を買っても一長一短で、自然と次々に買う。それでも一番気に入った奴はクタクタになるまで持ち続け『喜びも悲しみも幾年月』の10年を過ごしたものだ。今では我が家のプライベート「記念品博物館」に収納されている。今日一緒に監督をした同僚は、履いていった冬靴に気がついて誉めてくれたが、小生このところ靴に開眼したというか、靴を選ぶ目ができてきたのである。

これまではリーガルでも買っておけば心配ないだろう位に思って、無関心のままずっと暮らしてきたが、だんだん長く歩いて疲れない靴が欲しくなってきた。それで昨年は、登山靴メーカーであるCARAVANが作っている「蒼」を3万円で買った。それを履いて福島の学会に出かけ会津若松の市内を歩き回ったのだが、予想以上に安定感があって、いくらでも歩けるのだな。靴は単なる道具ではなく身体の一部になることを知った次第だ。これがきっかけになって、メーカーごとの製品、足のサイズとの相性をずいぶん調べまくった。今日履いた冬靴は、やはりキャラバンから出ているスノー・キャラバンの"SHC-1"である。春が来たらレッドウィングのセッターを買うか、ビジネス用途優先からリーガルのウィングチップ・ブーツ"rgl-60cr"にするか、少しカネを出してTrickersを買うか、迷っている所だ。

「カバンばっかり買うかと思ったら、今度はクツばっかり買うようになってと、カミさんからは呆れられてますよ」
「ハハハ、男なんてそんなものですよ」

「弘法は筆を選ばず」というが、道具を選ぶことによって、結果もまた自然に違うし、疲労度も違う。この最後の点が非常に重要なのだ、な。我が身を愛おしく感じるのと同じ気持ちを道具に対してもつ。確かにそういう時は誰にでもあるのではないだろうか。

× × ×

静物画という領域を開拓したのは18世紀のフランス人画家・シャルダンだ。高校生の頃は見てもつまらない人だと思っていたが、「シャルダン?知っているよ」と、独自にしてユニークな芸術家であることは、画集や雑誌をみて知っていた。「静物」というと敷居が高いイメージだが、要はモノであり、道具のことだ。


Jean-Baptiste-Simeon Chardin, Still Life of Fruit and a Glass, 1759
Source: Chardin - The Complete Works

昔から不思議に思っていたが、果物も「静物」なのである。これはおかしい。果物も生命から生まれたものだからだ。果物が静物なら、花も静物であるはずだ……、しかし花は静物とはいわんだろう…と、そんな屁理屈をずっと昔にこねたような記憶もよみがえってきた。

ただモノであれ、道具であれ、愛情を持っていなければ絵に描き残そうという心理にはなるまい。ただきれいな、きれいであるだけが取り柄の風景をみても手間ひまをかけて絵に描きたいと思わないように、道具にせよ、モノにせよ、きれいであるばかりでなく、そこには人間の涙や追憶や温もりがなければ表現の対象にはなりえない。

その意味では、何も語らない物質(だから静物なのかもしれないが)が描かれてはいるのだが、表現されているのは、その近くの人間たちへの思いである。

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