政府はついに努力目標から義務化・強制化へ舵をきると、そんな報道が出てきた。
有給休暇の消化を企業に義務付けることができるか、厚生労働省が検討に入ったと伝えられている。政府による休暇の取得促進はこれまでも行われてきたが、果たして今回の改革は、我々の生活に変化をもたらすものになるだろうか。(出所)Yahoo!ニュース、2014年10月18日
確かにすべての勤労者は、一定の枠内で休みたい時に休む権利をもっている。しかし、ドラマではないが『きょうは会社休みます』とは中々言えないもので、その心理は一度オフィスで働く経験をしただけで分かる。
『休みます』と言いづらいのは会社だけではない。忘年会、職場旅行、サークルのOB会、その他あらゆる種類の懇親会、何事によらず「欠席します」とは言いづらいものである。参加が義務ではない、というか寧ろ義務ではないが故に自発的に「当然」出てくれるよね。そんな空気が充満しているわけであり、その空気が読めないのは「まだまだだね」と。そんなインフォーマルな受け取られ方が、仲間作り、派閥の所属等々、色々な場で非常に影響してくるのが日本の社内風土である。
「顔を出す」というのは英語でどう表現するのか……、ちょっと思いつかなかったので調べてみた。すると、出席する=attend、ちょっと違うねえ。顔を出す="show my face"、おいおい隠れて覗き見するのじゃないんだから。姿を見せる=make my appearance、何だか将軍が最前線に出張っていくようだが、ちょっと違うなあ…、どうも適切な英語表現がない。と、「これか!」というのがあった。表敬する=pay my respect to Mr. X、これか!「顔出ししておけ」というのは、上司や先輩、同輩に対する表敬であって、『日頃からお世話になっています』と、相手のメンツを立てる場である。これなら分かる。だから、特別な事情がない限り、毎日オフィスに顔を出すのは、日本ではとても大切なことである。
ただ上の記事でも紹介されているが、海外で有休消化率が高いのは、誰がいつ長期休暇をとるか「上が決めている」からでもある。つまりいつ自分が"Off Work"になるか、それは生産管理、経営戦略上の所掌であると考え、配置につくも休暇に入るも、命令による。そんなスタイルだ。ま、軍隊式ではあるが、これなら直接上司も『しっかりリフレッシュしてこいよ」と言いやすいし、周囲も『戻ったらしごいてやるからな』と気軽に言える。休む当人も『命令とあれば仕方がありません。では明日から▲▲月○○日まで失礼致します』。痛々しい空気はまったくない。
とはいえ、得意先情報をチームで共有しておかないと、休暇命令を出しても不慮のトラブルを心配した命令違反が続出するのじゃないかという気はする。「担当者」の不在は、怪我や事故でも起こりうるわけで、普通のことなんだけどねえ……。
資本主義も株式会社も、近代式軍隊もすべて西洋発の組織原理である。自然発生的に成長した方法には無理がない。どんなシステムも直輸入したままでは、サイズの合わない靴を履いているようなもので、どこか不完全であり、現場は痛々しくなることが多い。歴史を踏まえた人間臭い制度も、よその国が輸入すれば、輸入した後は平板な「権利」と「義務」の関係に整理されてしまう。『仏つくって、魂いれず』。この種の問題は、夫婦、家族、地域社会、自治体、会社、官庁等々、いたる所に隠れている。
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今日から月曜までカミさんは亡兄の三回忌で四国・松山に帰郷する。さっき空港まで送ってきた。故人を追憶するための儀式は、どれが正しく、どれが誤りだと言う議論はできない。
日本の明治維新はこの辺りのバランスを上手にとった。夏目漱石や永井荷風によれば散々だが、明治という時代にも評価できる側面は確かにあったというべきだろう。それでも富岡製糸場が日本の国宝になるときけば、漱石も荷風も目を回すかもしれない。
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