そもそも内容自体は、『エッ、団扇をもらったらいかんの?』、『団扇をもらったからその人に投票するかねえ?』とか、『後援会が観劇ツアーを企画するなら実費をちゃんともらえばいい話しだろ』、『そんな初歩的なミスを故意にするかねえ…』、まあその程度であって、何かの巨悪がそこに隠されていると。そんな話しにはならぬ。多くの人は表現は悪いが『アホだねえ…』、こんな反応だと思うのだな。
もちろん何もしないわけにはいかない。そこが「政治的微罪」の悲しい所だ。辞めるしかないだろう。しかし辞めれば、それによって現在の政治の動きを停滞させる。支持されていない政治なら停滞してもいいだろうが、支持されているなら大きなマイナスになる。そこが「政治的微罪」の怖い所だ。
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切符をきられたスピード違反は15キロオーバーで大したことはなかった。大したことはないと思ってそれを公表せずにいた。ところが、たまたま記者からそれを耳にした野党議員が「事件を隠していた」と追求した。騒動になったが、その時の対応がお粗末だった。トップたる適格性を疑われるに至り、職を辞さざるを得なくなった。この時点において、たまたま部内では紛糾していた廃棄粒処理施設移転問題にケリがつく目処がついていた。近日内にスピード違反をしたトップが地元に説明をする予定になっていた。しかし、それもトップの辞任ですべてご破算になった。廃棄物処理施設移転はとうぶん塩漬けとなる方向になった。
上のような事例は、最近の日本で山のようにあるのではないか。
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その時の違反を処罰することは法律的・事務的・道義的には正しい。しかし、そのことが最終的な目標達成の障害となるのであれば戦略的には失敗である。
入国管理において、すべての旅客のスーツケースを開けさせ、現物を検査すれば不法に持ち込む大麻等を確実に摘発することが可能だ。しかし、あらゆる人的・時間的コストを払ってでも、その確実性を求めるか。ゲーム理論で政策当局のコミットメントを議論しているが、その理由はこの筋合いからである。
政治とは「政治事務」とは違う。政治は「戦略的行動」でなければならない。戦略には目標がある。目標は国家の運営、国益の実現だ。これを忘れちゃあいけないと思うのだな。
ま、辞任ですむのは文明が進歩したからだ。「これでは道義が立たぬ、己の不明を羞じる」といって、いちいち切腹をしていたなら国家が損をする。
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いずれにせ不正経理はまずい。すべて過失はまずい。
不注意によって何らかの損失は生じる。過失をどの程度罰するかという問題は、その過失によって生じた損害を見てもよい。そしてその損失とは、目標を達成する上で生じた損失を指すと考えるのが合理的だ。
大体、政治資金の決算については政府に「政治資金適正化委員会」が設けられている。「政治資金監査人」は登録制になっている。監査が期待どおり機能していないのではないか。
サラリーマンの収入はガラス張りだが、個人事業、専門的職業に従事する人は誰でも税理士と相談しながら経理ミスを防止しているはずだ。もちろん監査済みの決算に不正が見つかったからといって、ミスは監査人の責任ですとトップは責任を回避することはできない。しかし、経理ミスを見逃す監査人は、能力を疑われ、業務を継続できなくなる。
そもそも政治家はすべて「公僕」である。政治に必要な資金は、政党経由で国(=財務省?総務省?国会事務局?)に実費払戻しを請求させてはどうか。公僕なら「必要経費払戻し」くらいの権利は当然あるだろう。
政治家当人の事務所、後援団体を含めた「政治法人」とでもいうか、連結決算対象を定めておくのも一法だ。対象外の支持者が不正経理をしたからと言って、それは政治家の責任ではないし、監査対象でもない。
要は、線引きをはっきりするという点に尽きる。
道路交通など、日常生活の場で数多くの「微罪」が社会的障害になるなら、それはシステムに欠陥があることの証拠である。政治の場で、多数の微罪が国家的損失を引き起こすなら、やはり制度設計のどこかに欠陥があると見るべきだ。
政治資金の経理については、今後、制度の見直しが進むのではないかと予想する。
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