今年の投稿は昨日で終わりにして、あとは来年度の統計分析の授業をどうデザインするか。じっくりと考えたいと思っていた。1990年代の初め、現勤務先に転任してきたのだが、その時点で国内で、というか全世界で流通していた統計学テキストはほぼ同じ構成であった。更に言えば、小生のなくなった父がその昔使っていた『初等数理統計学』(著者:森口繁一)もまた、基本的には小生が昔書いた本と構成はほとんど同じなのだ。要するに、統計学の勉強の仕方は、この半世紀以上まったく同じだったのだな。
ところが、実際に統計分析を教えている現場で、この2、3年というもの、履修者の欲求不満が高まっていると肌で感じるようになってきたのだな。統計分析を学ぶというより、データサイエンスで何が分かるかという意識になってきた。そこを熟考したいのだ。
だから、年内は昨日で打ち止めにしたつもりだが、いざ読み直してみると、ずっと以前の投稿で述べた「民主主義をどう考えるか」という意見とかなり違っているような気がした。
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今日はその検証である。そこではこう書いている。
しかし、どうなのだろうなあ?ローマ帝国は共和制から帝政になってから大いに発展して生活水準も向上したそうだ。それでも3世紀までは元首政であって、世襲による絶対君主制ではなかった。しかし社会が混乱し、それをディオクレティアヌスやコンスタンティヌスが独裁制、言い換えると真実の意味における皇帝による政治体制に変革したのだった。それで社会はある程度安定した。東ローマ帝国が15世紀まで存続した一因にもなった。民主主義政体をとっていたなら空中分解したのではないかなあ、と。そうも思うのだな。
古代ギリシャのアテネは民主政治をある程度確立した。繁栄はしたが、ペロポネソス戦争で非民主的なスパルタ陣営に敗れ、以後衆愚政治が続き、最終的にギリシア世界はアレクサンダー大王による広大なヘレニズム世界として統合された。どの国も東洋の香りをもつ王朝国家である。
アジアと西洋が歴史を通してシーソーゲームを繰り返しているというが、いずれかより民主主義的であった側が他方を凌駕した。そんな法則はないようである。
大体、民主独裁制の一変種であったヒトラー時代のドイツ、社会主義時代のソ連を民主主義というか?言わないとすれば、どの国からどの国までが民主主義か?民主化インデックスを作るにしても、かなり恣意的であろう。
小生自身は、その社会が民主主義であるかどうかは、経済成長にそれほど関係ないのじゃないかと思っている - 思っているというだけのことだが。上の見方は、明らかに昨日の投稿と主旨が矛盾しているような気がしたのだな。そんな気がして以前の投稿の結論的な部分を再確認してみると、こんなことを書いてある。
だから、技術とイノベーションの果てにどんな社会が選ばれるか?それは、技術とイノベーションが生み出す果実を活用するのに最も便利な政治制度が、自発的に選ばれていく。そういうことじゃないだろうか?現に選ばれている社会制度は、その時代を生きている人にとってはベストであり、大いに賛美したくなるのも分かるのだが、その制度が永遠にベストであり続けるとは、到底、賛同できない。子孫は子孫で、一番やりやすいように社会を変えていくだろう。それは民主主義の廃棄、王政の復活、帝政の復活ですらも十分ありうる。そう思うのだな。要するに、政治のあり方を含めた社会システムがどうなるかというこの問題は、その時代に生きる人たちが、その時点の技術・情報を活用するのに最も便利なように自由に選んでいけばよい。特定のあり方が最良であると、というより「正義」にかなうのだと、あらかじめ確定できる先験的な根拠などはない。そんなことを書いている。
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う〜む、・・・上の文章を書いたのは2011年9月19日である。東日本大震災があった年だ。どこことなく進化論というか、適者生存的な薫りが醸し出されているのはそのためなのかねえ・・・。当時の心持ちなどはすでに忘却しているので、どうもよく分からぬ。ただ結論で言われていることは、現時点でも響きあうものを感じる ー そりゃそうだろう、当人なんだから。
昨日の投稿で書いた次の文章は、本当に上と両立するだろうか。
「幸福」に基礎を置かずに「国益」を求めれば、国防やGDPが国家目標になるだろう。ということはだね…、国益が幸福より優先された遠因として「資本主義」をあげることは、他にも資本主義国が多数あった以上、できない。生活を犠牲にして国の利益を求めることができた主因は、資本主義ではなく、「上」が「下」を抑える戦前期・日本の「国体」そのものが、民主的ではなかったからだ。この点こそが原因か……民主主義が「正義」に適っていると、あらかじめ前提できる根拠を小生は知らない。以前にはそう書いている。それに対して、昨日は非民主的な社会システムであったからこそ、国民の幸福とはかけ離れた国家目標を掲げ得たのだと述べている。非民主制に戦前の誤りの原因を求めているようでもある。そこで<IF…>となるわけだ。
しかし、仮に明治維新の結果、日本が非常に民主的な国となり、明治憲法が日本国憲法と同じ国民主権をうたっていたとしても、その後の産業発展や生活水準は1930年時点において、それ程大きな違いは生まれなかったであろう。もちろん日清戦争や日露戦争は発生しなかったかもしれないが、世界史的な条件が変わらない以上、別の紛争が東アジア地域で多発していたことは容易に想像できる。であれば、大恐慌から第二次大戦にかけてアメリカでも政府の役割を拡大させたように、危機の高まりの中で日本でも国家の役割が期待されていたであろう。そして旧幕下の封建制を経験している日本では、(仮想されている)民主的・明治体制への疑問から、理念に迷いが生じて、幾人かのデマゴーグが登場し、ひょっとすると歴史上の人物と同一のそれらの煽動思想家・政治家が徘徊する中で国家主導色の強い非民主的・新体制へ移行した確率は高い。そう思うのだ、な。つまり流れゆく歴史的経路は概ね同じではなかったろうかということだ。
流体力学は流水を構成する個別の分子の運動を説明はしない。歴史上のIFが無意味であるのは、「れば・たら」論には意味がない、そういう単純な意味ではなく、仮に個別の国家がその時に別の選択をしていたとしても、世界史全体としては大体同じような結果にならざるをえない。まして、一個人が特定の時点で別の選択をする、というより別の選択があり得たと仮定を置く事自体が無意味なのだろう。そんな風にも思われるのだ。
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そう考えれば、民主主義に関する以前の投稿と昨日の投稿は矛盾しない。いまはそう書いておくとしよう。
『一年の計は元旦にあり』というが、小生は「計画」することも好きだが、「検証」のほうがもっと面白いと思ってきた。それに「計画」する未来より、「検証」するべき過去のほうが、齢とともにだんだん長くなってきた。それもあるのだろうねエ、3年前の投稿と昨日の投稿との矛盾について考えるなんて。