2018年8月25日土曜日

メモ: 勝負の世界、競争の世界の人材評価は実に単純だ

またまたスポーツの話になるが、それもスポーツ話題で世間がどんな議論をしているのかで、いまの世相の特徴が浮かび上がってくるような気がするためだ。

ジャカルタで開催中のアジア大会で女子レスリングの金メダルがゼロに終わり「惨敗」と称されている。女子レスリングという種目が日本のアマチュアスポーツ界の華であり「ドル箱」ならぬ「金メダル・ゲッター」であったことは、小生だって知っている。それが突然に金メダル・ゼロになった。それでニュースになっているようなのだな。金メダルをとれなかったからニュースになるなど大したものだ。

巷では、女子レスリング会の指導陣に責任があるという。具体的にはパワハラの責任をとって解任された前監督の後継体制が確立されていないのだ、と。そんな指摘なり、批判が大勢を占めている。

しかしなあ・・・

金メダルを獲得すれば、それは監督やコーチではなく、選手の功績。負ければ、それは選手ではなく、監督やコーチの責任になるのだろうか?

非対称の議論ではないかと、直感的に感じる。

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小生はビジネススクールで授業を担当してきた。

本場のアメリカでもそうだが、ビジネススクールの目的はトップ・マネジメント能力の底上げである。つまり、企業というのはトップの力量によって、成長もするし、没落もする。そういう経験則にたっているからこそ、経営戦略やマーケティングの基本戦術について勉強機会を提供しているわけである。

人材育成で重要なのは、現場を鍛えることも大事ではあるが、何より司令官・将校クラスになれる人材を育成することである。ヨーロッパもアメリカも明治維新後の日本でもそうやってきた。企業なら社長は当然として、部課長クラスに有能な人材がひしめいていることが大事だ。

小生も、この基本認識には賛成だ。若くてヒラのころは「現場で頑張っているのは自分たちだ」と、そう思っていたこともあったが、それは最も陥りやすい間違いだ。頑張り甲斐のあるやり方を決めてくれるのは指導陣だからだ。

企業や軍隊ばかりではない。たとえば高校野球、大学野球、アマチュアスポーツ、プロスポーツを含め、勝負や競争の場において、指導者の力量は実際にプレーする選手よりも、勝利を決めるうえでの決定的要因であると思っている。

リーダーこそ勝敗を決めるというのは、無数の経験で裏打ちされるとも思っている。

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ナポレオンの名言にこういうのがある:

リーダーとは「希望を配る人」のことだ。
一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れに勝る。
悪い連隊はない。悪い大佐がいるだけだ。ただちに大佐のクビを切れ。
「悪い連隊」とは「勝てない連隊」であり、「良い企業」とは「成長できる企業」である。「強いチーム」とは「勝てるチーム」であり、「よい監督」とは「勝てるチーム」を育てた監督。「悪い監督」とは「勝てないチーム」を編成した監督。「悪い大佐」と同じである。

ま、このくらい書いておけば、メモになるか・・・

どうも小生には、こう思われるのだ、な。

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