なぜ結婚をしようと人は決めるのか? それは、新たな生命を創り、子とともに新たな家族を築いていこうと(その時点では、少なくとも)当人たちが決意するからである。
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こう考えていたことが確認できる。これ以外に「結婚」をどう考えればいいのかという意味では、基本的に小生の考え方は変わらない。
なので、そもそも最初から「子供は要らない」と決めているのであれば、「ではなぜ結婚するのですか?」と。同棲がより純粋である。(後略)今年の8月5日の投稿だ。
ロジカルに考えると、いま読み返しても、その通りだと思ってしまう。
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今週の月曜から火曜にかけて下の愚息と入籍したばかりの嫁が二人で拙宅にやってきた。何度か会ったことはあるが、今回は入籍(=結婚)のあと初めて拙宅に一泊する予定であり、「お泊り」は初めてだったのだ。
愉快な話ができた。
結婚式や披露宴は来年のことになりそうだし、入籍だけでしかも同じ勤務先とはいえ配属先が異なるため、当分は「別居婚」である。嫁と言っても、いわば「パートタイム・ワイフ」であり、フルタイムの嫁ではまだない。それでも立派な息子夫婦である。
カミさんとは『あれで子供はどうなるのかねえ?』とか、『育てられるのかねえ?』とか、まあ子供が結婚をすれば、親は普通こんな話をするだろうという話をしてきた。
ところが現実に夫婦となって拙宅を訪れ、帰って行った二人をみていると、「お世継ぎ」がいつ出来るかどうかはともかくとして、それより以前に『あいつも仕事ばかりの人生にならずにすんだなあ』、『家に帰ると心が温まるようになって、これは何よりの前進だな』、『世継ぎがいつできるか分からんけど、アイツが枯れ果てたような毎日を世の中こんなものとサ、思いながらネ、我慢して送ってるわけじゃないと思うだけでもサ、ホントに一安心だねえ・・・』と、こんな話をカミさんとしているから驚きだ。
「結婚」の目的は、(古代ギリシア以来)この世界の最高善である「幸福」を実現することにある。その蓋然的な帰結として子供の誕生と世代継承がある。まずそもそもの初めに幸福を求める意志がある。
「結婚」という制度は子供の養育にあるという考え方は、人生の実質をみない、あまりに形式論理的な言い方である。
そんな気がしてきた。小生はすぐに意見を変える。今回もその一例である。
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