この夏は大阪代表の大阪桐蔭と秋田代表の金足農業との決勝となり大いに盛り上がった。100回記念大会でもあった。
最近はタイブレークの導入、さらに球数制限が検討中ということで、選手の健康管理上の長年の課題も解決に向かっているようで、合理的で健康的、安心のできるスポーツになってくれるという期待も出てきたところだ。
それに伴って、戦前期の中京商業・明石中学延長25回、小生も観た松山商業・三沢高校延長18回引き分け再試合など、10代の若者が体力の限界に挑んだこれらの情景は、軍事教練が正課であった戦前日本の残り香とともに、夕闇の彼方に消えていく影絵の如くいずれは過去のものになっていくに違いない。
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自分の愚息が30歳を超えてくるともう「高校野球はこうあるべし」と言った風な考えはなくなる。
ただ、地方予選の平等という点が結構大事な事らしい。
その一方で、山陰地方(島根県だったか?)の代表チームは登録されている選手全員が近畿地方の出身ということだ。大阪府出身者が大半を占め、監督も関西出身だそうだ。地元はおろか、中国地方出身者もいない。これを世間では「外人部隊」と呼んでいるのは周知のとおりだ。
「外人部隊」、というより選手全員ともなると「傭兵」と言うべきだが、こういう言葉の表現自体に非難のニュアンスがつきまとっている。
この件と地方予選の平等とは意外と関連しているように思うのでメモにすることにした。
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たとえばサッカーのワールドカップは国と国との対決であり、故にチームはナショナル・チームであり、選手は海外でプレーしている場合でも母国に戻って母国の選手として出場する。だからこそ、サムライ・ジャパンは日本の代表となる。
以前の投稿でも述べたが、箱根駅伝もただ勝つのであれば全員をケニアからの留学生でチームを編成すれば限りなく勝利に近づく。それが留学生枠の制限からできないだけである。
大学野球でも選手権大会があるが、そこでは地域代表制はとらず、地域ごとで行われている大学リーグ戦の優勝校が本大会に出場している。個々の大学には全国から選手が集まっているが、そもそも大会が地域代表制ではないので、「外人部隊」などという批判はあまり聞かない。東京6大学が人気ではトップかもしれないが、東北福祉大学が大学日本一になったりすれば、やはり東北地方の人には嬉しい出来事だ。
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ネットの記事をみると、「進学の自由」や「学校経営の自由」が指摘されている。たとえ地元の高校生が一人もいなくとも、県外出身者のみで編成されたチームがその県の代表となること自体は問題がない、と。そんな意見が大勢を占めているようだ。
ただ(ケチをつけるわけではないが)今回優勝校の大阪桐蔭のエース・柿木選手は佐賀県出身というし、打線の中心でもある根尾選手は岐阜県出身という ― それでも大勢は大阪府出身者だろうとは想像する。誰がどこに進学しても本人の自由であるが、地元の高校に進学していれば、他の地元高校生とともに本大会に出場していたかもしれない。これは地元にとっては喜びであろう。県外出身者を集めることで強化策をとれば、県内出身者の出場機会は制限されるのだが、これはまったく問題ではないのだろうか?全員が県外出身者であっても地域代表制の理念と矛盾はしていないと主催者側は考えているのだろうか?
この点を一度直接聞いてみたいような気持はある。
が、まあ、一度、書いたことだ。
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思うのだが、春夏に甲子園で開催される高校野球は、形式的には「高校」が出場資格者なのだが、実質的には<18歳以下-野球クラブ-朝日カップ>とか、<毎日カップ>とか、そんな風な名称の全国大会に変質してきている、と。そう言ってもよいのではないだろうか。
実質的にやっていることが"U18-Baseball-Championship"であるなら、どこにクラブの本部所在地を置いてもよく、各地域で予選の平等をはかる必要はない。本大会に出場するまでの地方予選が楽な地域にクラブ本部を移転し、全国から有望な選手を集めればよいだけである。
甲子園出場をブランド戦略にしたい学校経営者なら最も有利な立地戦略を採用するであろう。経営戦略が異なれば甲子園大会に取り組む姿勢もまた違うだろう。予選の試合数に不平等があるなら、シード制をとればよい。そもそも有望な高校生は予選突破が楽なクラブ(≒私立高校)に所属する誘因をもつ。大都市圏の私立高校に野球をするために移住する高校生は出場機会とは別の動機からその学校を選んだわけである。大都市の地方予選が激戦であるから平等にしてあげようという配慮はどこかおかしい。どこかでそんな感じがするのだ、な。大都市を二つに分割しても、もともと全国ベースで出場機会を確保していた野球先進県出身者がますますチャンスに恵まれるだけではないだろうか。これを格差拡大と言わずして何とよべばよいだろう?
それでもよいという立場もある。サッカーのワールドカップ、オリンピックのチーム競技などでは、最近年の実績に基づいて欧州や南米、アジアなど区域ごとの出場枠が決められている。人口比、チーム数比ではない。
今夏は大阪桐蔭高校が優勝したが、最近10年間は以下のようになっている。
2008年 大阪桐蔭
2009年 中京大中京
2010年 沖縄興南
2011年 日大三
2012年 大阪桐蔭
2013年 前橋育英
2014年 大阪桐蔭
2015年 東海大相模
2016年 作新学院
2017年 花咲徳栄
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2018年 大阪桐蔭
昨年までの最近5年間に限れば東日本が4回、西日本が1回の優勝だった。10年間に広げれば、東日本が5回、西日本が5回とイーブンになる(愛知県は西日本に含めた)。
東日本が優勝するときは色々な学校に散らばっているが、西日本が優勝するときは大阪桐蔭の優勝が目立っている(特に最近年は)。
この夏の大阪桐蔭高校の復活は、最近劣勢であった関西勢が西日本の総力をあげて反撃に転じたという見方も可能かもしれず、そんな強化戦略が採れるのは、もはや地域代表制が空洞化して、移動の自由な「野球クラブ制」に時代が移りつつあるが故である。そんな気もするのだな。
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都道府県別の代表制を採用したのはなぜなのか?何を期待しているのか?目的は何か?その根本理念に戻って、21世紀の野球選手権大会の姿を早く見せてほしいものだ。
甲子園大会が始まったときの根本理念は、野球の全国的普及を通した心身の育成鍛錬、地方それぞれで共有される一体感の醸成、地方(=本籍地)ごとに召集される陸軍連隊の絆の形成。これらに最大の動機があったことは明らかで、指摘される機会も多い。全国の男子国民にひとしく兵士としての鍛錬が求められていた、そんな時代の精神が大前提として意識されていた。この点は否定できないのではないか。一口に言えば、富国強兵。日清・日露戦争を経てまだ植民地帝国としての路を歩み始める前の大日本帝国で、第一次世界大戦がヨーロッパで勃発した二年目という1915年(大正4年)という時期に、朝日新聞社が「第1回全国中等学校優勝野球大会」を企画した目的は、スポーツを通して全国津々浦々で「強い兵士」を育て、向上のためにはスパルタ主義を好しとし、国防に貢献することにあったのであり、「ハイレベルな野球選手」を養成することにはなかった。プロ野球もまだ結成されていない時代、このことは戦前という時代をリアルタイムで生きた父の世代には自明の事実であったろうと、生前の父との会話を思い出してもそう推測しているのだ、な。そう考えれば、夏の甲子園・延長25回が美談となったのも実に必然である。
上の両極端の目的の中間あたりで大会の目的が漂流している。高校野球はあくまでも学校教育の一環である(べし?)、と同時に世界に通用する野球選手が甲子園から出てくることも期待されている(はず)。だから、肩を壊してしまっては元も子もない・・・と世間は感じている。
100年もたてば社会状況は大きく変わるものだ。タイブレークのようにルールを見直すのと同時に、新しい時代の中で春夏の甲子園大会をどんな理念で継続するのか?猛暑の中で連投をいとわず、それでも継続するに値する理念とは何なのか?そこを一度聞いてみたい気がする。
まあ、有力野球クラブ(=私立高校大手)が優勝を目指して切磋琢磨する「18歳以下・野球チャンピオンシップ」のような行事は、もはやエンターテインメントであって、朝日新聞社に主催を継続するモチベーションはないとは思うが・・・。
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