2021年9月2日木曜日

ホンノ一言: 「れいわ新選組」のワクチン義務化反対論について

 (出てくると思っていたが、やはり出てきました)『れいわ新撰組』の局長、いや代表・山本太郎氏が《コロナワクチン義務化反対》を堂々とぶちあげた。

山本氏は経済同友会の桜田謙悟代表が31日の定例会見でワクチン接種について「義務化に向けた議論があっていい」と発言したという報道を受け「打たない、打てない人たちの権利を侵害するな。義務化はダメ」と投稿した。

Source:Yahoo! Japan ニュース、2021年 8/31(火) 17:57配信


ワクチン義務化については、こんな報道が既にある:

[24日 ロイター] - 米食品医薬品局(FDA)が23日、製薬大手ファイザーと独ビオンテックが共同開発した新型コロナウイルスワクチンを正式承認したことで、従業員が接種義務化に反対して雇用主を訴えても、勝訴することはほぼ不可能になる見通しだ。複数の法律専門家がこうした見解を示した。

(中略) 

ワクチン関連法についての論文執筆者、ブライアン・ディーン・エイブラムソン氏はFDAの決定について「劇的だ」と述べ、この決定と、決定に伴う接種義務化を巡って訴訟を挑むのは極めて難しくなると予想した。

FDAによる正式承認を受け、政府や民間企業による接種義務化を予想する声が強まっている。

米国では昨年12月から、FDAによる緊急使用許可(EUA)に基づいて新型コロナウイルスワクチンの接種を受けられるようになった。

EUA法は、接種を受ける人はワクチンの利点とリスクについて説明を受けるとともに、接種を受けるか拒否するかを選べなければならない、と定めている。

USヘイスティングズ・ローのドリット・リース教授によると、雇用主による接種義務化は通常、合法と考えられているが、EUA法の文言によってやや不透明感が生じていた。その不透明感が「正式承認によって取り除かれた」という。

FDAの発表を受け、ドラッグストア大手CVSヘルスや石油大手シェブロン、金融大手ゴールドマン・サックスなどが一部従業員への接種義務化を発表した。

法律専門家によると、雇用主はワクチンの緊急接種を義務化できる、との総意は既に形成されつつあった。雇用機会均等委員会と司法省はともに、健康状態や宗教上の理由による例外を設けた上で接種を義務化することを支持する指針を発表していた。

Source:ロイター、 2021年8月25日2:11 午後

『日本とアメリカは違う!』という人が多いと思うが、この発想こそ何事につけ新しいことについては日本が世界に取り残されるという『ガラパゴス化』が目立っている根本原因である。

コロナワクチン感染拡大の初期、昨年の春ごろであったが、

日本人は罰則がなくとも自粛が出来るんです!日本人だからこそ、出来るんです。

と、毎日のように豪語しているワイドショーのMCがどれほど多かったことだろう。耳にタコが出来るほど「日本人には出来るんです」と聞かされたが、「なぜ外国人にはできないことが日本人にはできるのかね? なぜ日本人にだけは出来るんだろうネエ?」とサッパリその真意が分からず、小生は、毎日、公共の電波を独占して「虚言」をいたずらに放言するテレビというメディアにイライラとさせられたものであった。果てには「日本モデル」などという言葉すら使われていた。まさに「ガラパゴス化」の前兆が観察されていたのだな。

ここに来て、私権制限をともなうロックダウンを求める声が国民の間に広まりつつあります、と。これを世間では《周回遅れ》という。またしてもこんな「空言」をもてあそぶテレビ局が目立つにつけ、一体、TVビジネスの経営理念とは何なのだろうと、正面から聞いてみたくなる毎日だ。


いや、もとい、もとい。


Googleで《フランス ワクチン 義務化》と検索すれば、直ちに

フランス政府は9日、飲食店のほか飛行機や高速鉄道などの利用者に、ワクチン接種の証明や検査による陰性証明などの提示の義務化を始めました。 健康上の理由で接種を受けられない場合は、医師が発行する証明で代用できるということです。

という回答が画面に表示される。フランスをイギリスに変えても、ドイツに変えても、もはやワクチンパスポート提示義務化は国際標準になりつつあり、どうしてもワクチンを接種しないのであれば、毎週定期的にPCR検査をして陰性を示す義務がある。その検査料は(多分)自己負担になる。

世界はこんな方向で進みつつあるようだ。


世界を吹きまくる逆風に逆らって、あくまでも《個人の自由》を旗印にして

ワクチン接種義務化、はんたあ~い!!

と声をあげるのは、まさに幕末という時代、あくまでも徳川幕府に誠を貫いて、最後まで戦い抜いた新撰組を思い起こさせるわけであって、この点では山本氏の心意気には清々しさを感じるのだ、な。

とはいえ、勝敗は明らかではないかと思う。これもまた「散華の美学」というものか。


ところで、「れいわしんせんぐみ」と検索すると「れいわ新選組」の文字が返ってくるのだが、「新選組」ではなく「新撰組」と名乗るのが正しいはずなのだが、・・・どうやら両論があるようであって、実に面白い話である。それに「代表」ではなく、ここは近藤勇にならって「局長」と称するのがハイカラだと思うのだが、どうなのだろうなあ・・・😛。 

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