このニュースはよほど衝撃であったのだろう:
アメリカは20日、日本を含む外国から渡航する外国人に対し、11月から新型コロナウイルスワクチン接種の完了を義務づけたうえで、入国を認める方針を発表した。
Source: BBC、 2021年9月21日
よほど衝撃的であったのか、日本国内でにわかに「ワクチンパス」の議論でマスコミが騒然となってきた感がするのだが、「いまさら衝撃も何もないでしょう」と言いたくなってしまう。
「れいわ新選組」に関連して、つい先日も投稿したが、どうも最初に予想したような進行になっているようで、ガッカリしているところだ。
特にこの10年余りの間、海外発の新たな動きが日本にも到来して、普及していくかという端境期に、(便利か不便かが問われているのに)「なぜそれが必要か」、(問題が何もない新しい物事はないだろうに)「問題点は本当に何もないのか?」などと、そんな《そもそも論》が1周遅れで始まり、時に激論にもなって、それもあって日本人全体がエラく新しい物事の導入に手間取るようになった印象がある。全体的に《適応能力》というか、《国民意識》というか、日本人全体が劣化してきている、「理屈はこねるが役立たず」の"typical case"になってきている、「口はイイから手を動かせ」と、そんな憂慮がとみに高まってきていたのだ、な。
ただ、しかし、よく考えてみると、少し違うようなのだ。
IT文化やデバイス、デジタル化への順応性など、若者世代は確かに前世代よりはずっと進化していて、そう実感することは頻繁にある。ということは、小生も含めてなのだが、旧世代の日本人が60代、70代に高齢化するに伴って、若い頃に修得した「昭和」、「平成」のスキルや価値観が陳腐化し、時代遅れとなり、人的能力としては劣化してきているのだが、実はその割には旧世代の発言力や権力が保持されたままのところがある。というより、長寿化の中で発言力として温存されている。それで、旧世代の思想や価値観を前提にしたままの状態で、日本人全体が世界の技術革新に対応することを余儀なくされている。もはや時代遅れとなった旧い高齢者が総司令部の高位ポストを独占し、若い世代に不利な消耗戦を続けるよう仕向けている。そんな図式があるのかもしれない、と。
昭和の初め、若手世代は航空戦力を拡大すべきことが分かりきっていたにも拘らず、それを理解する高位の人物が少数で、退官間際の上層部は大艦巨砲主義に染まったまま進歩が止まり、そのために戦力の近代化、産業基盤の整備に遅れをとったまま太平洋戦争の消耗戦に取り組むことになった。どうもこれと似ている。
何だか<長寿化=平均寿命の上昇>がもたらす副作用の本質を視るような気がする ― 明治から大正・昭和にかけても、長寿化現象が進行していたかどうかは確認していないが。
そうでなければ、新しい物事に強い興味を持つ傾向のある日本人が、これほど長い期間にわたって、科学的成果の活用、技術革新の成果を導入するのに、時間を要するはずがないのだ。
★
『ワクチン接種証明書あるいはPCR検査陰性証明書の提示を求める』という方法が、どうやら国際標準になるかもしれない情勢になってきた。
こんなアフターコロナの過ごし方について日本国内のマスメディアも頻繁にとりあげるようになっている。なっているところへ、「アメリカは入国時にワクチン接種義務化」と突然発表されたので、吃驚したのかもしれない。ところが・・・たとえばTV画面では
ワクチン接種済みの人と未接種陰性の人が、例えば同じ観光バスで旅行するというのは、やっぱり危ないと思うんですヨネ。ワクチン接種済みでもブレークスルー感染はあるわけですし、そうするとワクチン接種者から未接種陰性の人に感染するじゃないですか? 同じ場所にいることは感染拡大を招くことになると思うんです、分けなくちゃいけないと思うんですヨネ・・・
こんな「細かい話し」が2、30分もかけて続くことになる。まだまだ、日本ではこれからの話しだネエ・・・、そんな案配なのだ、な。語っている人は決して若くはない。既に確定した社会哲学をもち職業的にも成功している人たちであると見受けられる。
まあネエ、確かにワクチン接種済みであってもデルタ株ウイルスをもっていることはあるからネエ・・・未接種陰性の人にウイルスを渡すこともあるかも・・・大変ごもっともな議論である。しかしネエ、もし小生が未接種であり陰性であったとしても、乗りたい観光バスはワクチン接種済み者用のバスの方である。決まっているではないか。検査の偽陰性を考えると、未接種者ばかりのバスなど、感染者がいると思った方がよい。全員未接種ということはワクチンなしの頃の状況と同じである。不安で仕方がない。たとえワクチン接種済み者にはPCR検査をしないとしても、接種済み者用のバスの方に乗せてくれと頼むつもりだ。それは駄目ですと言われれば、未接種者差別だと言って抗議するだろう。この辺の心理、なぜ分からんか、と思う。せっかくのご提案だが<セグリゲーション方式>は機能しないだろう。
そもそも、このような話は肝心なことを忘れている。
そもそもなぜワクチンを接種するのか?
ワクチン接種の目的である。ここが正しく理解されていないのではないだろうか?
ワクチンは社会のために打つわけではない。感染しても軽症ですむだろうから、接種するのである。このロジックは、インフルエンザ・ワクチンをなぜ打つかを考えても直ちに分かるはずだ。日本社会のためにインフルエンザ・ワクチンを打っている人がいたら、お目にかかりたい。インフルエンザになるべく罹らないように、もし罹患しても軽くすむようにしたいので、 接種するのに決まっているのじゃないか(ま、例外的な人はごく少数いるかもしれない)。麻疹、風疹、破傷風などその他のワクチンもまったく同様である。麻疹のワクチンを幼少期のうちに接種する児童は多いと思うが、ほぼ全ての両親は我が子を守るために予防注射を打つのであって、なにも日本社会のために打つのではないだろう。
いまコロナ・ワクチン接種は無料である。だから「ワクチンは社会のため」と多くの人が勘違いするのだ。ワクチンは本来は自分の健康のために接種する消費財なのであるが、社会的なメリットも大きいので政府が補助率100%で補助してくれている。ちょうどトヨタのハイブリッド車PRIUSを購入したり、日産のNote e-Powerを購入すれば、より高額の補助金を得られるのと同じロジックである。政府は特定の望ましい消費行動を促進するために《補助金政策》を実施して、割安な価格に誘導するのである。コロナ・ワクチンはその(極端な)一例だ。
個々人が自らの健康を考えてワクチンを打つことによって、結果として<集団免疫>に至るのは、社会的なプラスの外部効果の発現であって、あくまでも良い副作用として理解するべきだ。ちょうど、携帯電話普及の初期の頃、面白いと思って買う人が増えることによって、社会全体もより進んだ便利な状態に移行していったのと同じロジックである。日本社会の進歩のために携帯電話を買った人など聞いたことがない。自分のためである。
ワクチンは人にうつさないために打つのではない。自分が感染しても軽くてすむようにしたいから接種する。ワクチンを接種した人は一言で言えば『もはや感染をおそれない』という理屈である。だからワクチンを打つ。これが間違いであれば、むしろ小生は吃驚仰天である。
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社会的な意義を重要視するなら、ワクチン接種は全国民に義務付けるべきである。デルタ株の場合、ワクチン接種率がたとえ90パーセントに達しても、なお集団免疫には十分ではないという。しかし、全国民がワクチンを接種すれば、大規模なクラスター発生を防止できるのである。重症者数も死亡者数も減るのである、まず確実に。感染症に対して安全な社会を実現するには全国民へのワクチン集団接種がベストの政策である。
しかし、日本では義務化していない。それはワクチン接種の主目的が「安全な社会の構築」ではなくなっているからだ。社会のためではなく、自分の健康を守るために打つ。これが主目的である。でなければ、ロジックが一貫しない。他の方法で自分の健康と命を守ろうと考えれば、それも自由だ。命の守り方は特定の方法を国が全国民に強制するのではなく、個人の自由な意思決定に任されるべきだろう。但し、自由には責任が伴う。独立した個人として意思決定すればよい。
ここまで考えれば、あとのロジックは自動的に出てくる。
が、覚え書きまでに思いついたことを記しておきたい・・・
1
もし他人にウイルス感染させないことを確認するなら、接種済み、未接種を問わず、全員にPCR検査を行うべきである。なぜなら接種済みであってもウイルスを放出する可能性はあるからだ。
従って、たとえばイベント開催に際しては、接種済み、未接種を問わず、全員に対してPCR検査を行うのが、ロジカルであって、本来はこうあるべきだろう。
ただ、接種者が多量のウイルスを放出する可能性は未接種者に比べて小さいとされている。加えて、接種者はたとえ感染しても、ほとんど軽症ですみ、医療資源に負荷を与えることはないとされている。故に、その分、接種者はイベントに参加する際、より低いコストで参加できるようにするべきである。
全員にPCR検査結果を求めるなら、入場料割引など、もし同一の入場料であれば、ワクチン接種者はPCR検査を免除する、というのはその一例に過ぎない。この他にも接種者に対する恩恵(favor)には色々な形がありうるだろう。
2
国境をまたいで移動する時、感染防止を目的に常時全員に対してPCR検査を行うのは、明らかに現実的ではない。そこで、ワクチン接種者は検査を免除する。未接種者のみ検査陰性を求める。ワクチン接種者に検査を免除するのは、海外から自国に入った後に陽性が確認されるとしても重症化して自国の医療資源を圧迫する確率が小さいからである。国内でワクチン接種が浸透すれば、この選択が可能になる。健康と命を守る方策は自由な意思決定に任されている。この点が、最大の要点ではないだろうか。なぜ率直にマスメディアでは伝えないのだろう?
3
アメリカが、ワクチン接種義務化に舵を切ったのは、未接種者隔離数を極小にする方策であって、<真にやむを得ない>接種不可能者のみに例外的措置を限定するというのが狙いだろう。まあ、経済学的に考えれば、未接種陰性者は入国後の<感染・医療資源使用の期待値>を推定したうえで、社会的費用に応じた付加税を徴収するというのがロジカルなのだが、大半の人はワクチンを接種可能であり、要するに「打てばよい」わけだ。それでシンプルな方法をとった。そういうことではないか。
4
上で引き合いに出したTVのワイドショーの話しだが、観光バスの定員を考えると、接種、未接種を問わず、PCR検査陰性は全員に求める、加えてワクチン接種者については料金を10~20パーセント割引き — ワクチン未接種者に対する割増し料金と結果は同じ。こんな方式がロジカルだと小生には思われる。同一料金でワクチン接種者はPCR検査免除というのは次善の方策であって、未接種者が(感染するかもしれない、という)高感染リスクという形で、本来支払うべき高額の費用を自身で引き受ける形で負担するという意味合いになる。確かに公明正大でフェアなやり方ではないかもしれない。が、いずれにしても、一定の観光需要に対して、それを接種済み、未接種陰性者の2グループに分割して、2倍のバス、2倍の運転手、2倍のバスガイドを用意するなどは、さすがに<愚の骨頂>と思われる。
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