2021年9月14日火曜日

ホンノ一言: 「弁護士」に法律の文言を回答してもらう阿呆らしさ

カミさんが好んで観ている朝のTVワイドショーでは、今朝もまた、出演していたコメンテーターの一人は「弁護士」であり、「法律専門家」であった。

社会問題について、このところ、法律専門家が招かれて意見を述べることが多い。この点については、既に何度か投稿をしている。たとえば、投稿例1投稿例2投稿例3などはその一部である。

様々な社会問題を解決するためには、問題の中身に応じて、色々なアプローチがあるわけだが、その中のいわゆる「法律的思考」がどれほど役に立つのかという論点がある。

要するに、問題の中身に応じて、方法選択という重要なステージがある。「法律的思考」や「法律的解決」は、どんな問題を解決するのに、合理的であるのかということだ。

分かりやすくいえば、(例えば)ある問題があったとして、それは「需要と供給」、「雇用の確保」、「生活の安定」などという経済学の問題としてではなく、「権利と義務」、「公益と私益」などといった法律的問題としてとらえるほうが、より適切である。解くべき問題に応じて、こういう方法の選択がまず最初に出てくるわけである。

ずばり一言でいえば、《法律的処理》というのは、その問題が定型的なパターンで頻繁に発生し、定型的で明確な処理が最も望ましい、そんな場合にはあらかじめ法的概念を定義したうえで関係法条を明文規定しておくアプローチを指すのであって、安定した社会を目指すためにはそれが最も望ましいはずである。こういうロジックは法律とは縁のない人にも分かるはずで、そもそも普通の人に分かるはずの事を法律は実現しなければならないわけだ。

今朝、ワイドショーで話題になったのは、足元で世界的な論点になりつつある《コロナ・ワクチン接種義務化》、この是非という問題であった。

もちろん「接種義務化」は一つの政治的な選択である。

これに対して、今日出演していた「法律専門家」は、予防接種法第9条を引用したうえで、<感染 ワクチン 努力義務>とGoogle検索すれば、誰でも確認できる

今回の予防接種は感染症の緊急のまん延予防の観点から実施するものであり、国民の皆様にも接種にご協力をいただきたいという趣旨で、「接種を受けるよう努めなければならない」という、予防接種法第9条の規定が適用されています。この規定のことは、いわゆる「努力義務」と呼ばれていますが、義務とは異なります。接種は強制ではなく、最終的には、あくまでも、ご本人が納得した上で接種をご判断いただくことになります。

と・・・、こんな意見を述べていたのだ、な。

大体、Googe検索すれば直ちに確認できるような意見をわざわざTVに専門家が出て来て口頭で説明をする必要もないわけである。こんな回答は、人工知能(AI)ロボットに<チャボット>させるようにすれば、TVビジネスの経営も効率化されるわけである。

それよりも腹に据えかねるのは、ワクチン接種義務化の是非という重要な中身のある社会問題に対して、

関係法律にはこう書いてあります

と、こんな思考法を良しとしている、この「法律的思考」の「空っぽさ」に誰も不審を感じない事であろう。

「法律に書いてあるとおりにすればいいのだ」という思考が問題解決に有効なのであれば、まさに菅内閣が昨年10月以降、実行してきたことであって、私権制限は日本の法制下では不可能であるため、自粛はあくまで要請であって、強制ではなく、したがって罰則を課すことはできないのだ、抜け駆けがあったとしたら残念なことでございます、と。まさに政府が言ってきたことが法律的筋道に適った正しい姿勢であったことになる理屈だ。であれば、なぜ菅内閣は責任をとるのか?

それでは問題は解決できんでしょ?解決できなかったでしょ?法律は有効じゃなかったでしょ?

これが問題の中身だ。これが現在の社会問題の中身であるにもかかわらず、

法律にはこう書いてあります

意見を求められているのに、「チャボット」になって応えた・・・まあ、あれだネエ、マスコミもこんな「弁護士」などに依頼することは止めて、《法律チャボット》でも使ったらよろしかろう、文字どおり、資金のムダである。そう感じたのだが、どうなのだろう。

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