東京オリンピック・パラリンピックも終わり、再び静かな日々が戻ってきた。かと思っていたら、カミさんの好きな大相撲秋場所がそろそろ始まりそうだ。また騒がしくなるだろう。
ところで、オリパラ開催中に懸念された「人流増加」と「感染拡大」についてだが、丸川・五輪相が
大会関係者から市中に広がっていた事例は確認されていない
と発言したというので、結構、批判されているようだ。
例えば、Yahooコメント(の一部)を参考までにコピペしておくと:
仮に関係者からの拡大が無かったとしても、五輪で人流が増大しなかったというエビデンスはないよね?
そして、人流が増大しても感染は拡大しないというエビデンスも無いよね?
なら、五輪開催で感染が拡大した可能性は否定できないのでは?
この意見などは、小生も感心して読んだところだ。
ただ、ロジックはよく分からない。このコメントのすぐ後に
因果関係がないことを国民に分かりやすく説明して欲しい。
今の時代は詭弁ではなく正直さを求めています。
こういうコメントがあったが、この辺が最大公約数的なところだと想像している。
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仮に必要なデータが揃ったとしよう。その時に、データ解析で行えることは『五輪開催の人流増加効果=ゼロ』という《ゼロ仮説》を棄却できるか否か。この《有意性検定》だけである。もし棄却できなければ、データによって立証される結論はない、ということになる。
今回の五輪開催の場合、データとしては開催期間中に人流は増加している。だから、両者に関係はありそうである。確かに、「関係ありそう」なのだが、本当は無関係の下でも偶然に(あるいは、五輪以外のその他要因から)このようなデータが得られる可能性がある。立証するべきことは、もし因果関係がないなら、絶対に(あるいは極めて小さな確率でしか)得られないデータを示すことである。
故に
五輪開催と人流増加に関係があると主張するなら、関係はないという可能性を否定できるデータを「主張する側」が示す必要がある。
当事者は「ない」と主張している。「ある」と主張する方にボールはあるわけだ。
ちなみに、オリンピック・パラリンピックとは何の関係もない海外でも、欧米でもアジアでも、この夏にかけてデルタ株の新規感染者数は激増している。感染者激増は日本だけの現象ではない点にも注意すべきである。
関係があると思うから、関係がありそうなデータを自ら集める。これは「データ・クッキング」である。逆に、関係がないと思うので、関係がなさそうに見えるデータを示す。これも「データ・クッキング」である。「本当は関係がある」場合にも、「関係なさそうに見えるデータ」を集めてしまう可能性があるからだ。
要するに、自らの主張に沿ったデータを示すだけではダメであって、相手の主張を否定するデータを示す必要がある。相手の主張をデータによって否定できたときに、自分の主張が強化されることになる。二者択一の状況なら自らの主張の正しさを立証できたことになる。
これが統計的分析の基本的ロジックである。
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丸川大臣が言っていることは「五輪が直接的原因になって感染が市中に広がったことはない」ということであろう。
今回の場合、
そもそもオリンピックもパラリンピックも無観客開催であり、五輪による人流は発生させていない。かつ関係者から発生した新規感染者は僅かであった
この二つが確認されている。
とすれば、やはり「オリパラ開催が原因となって人流を増加させ、感染者を増加させた」とは言えない、こう考えるしかないのではないか。
それでも外出した人は現実にいた。思うのだが、その人達はそもそも(気晴らしに)外出したいという意志あるいは願望を持っていたのであり、たまたま時間が出来た日に五輪があったので、その近くまで行ってみた。そういうことではないか。もしも五輪がなければ、その場合はその場合で、何かの映画があったかもしれず、無観客で花火大会が開催されていたかもしれない。何かのイベントがあったかもしれない。そこに人が集まったかもしれない。前から食べたかった銘菓を買いに出かけたかもしれない。仮に五輪がなければ、そのときはそのときで別のことを名目にして、その人たちはやはり外出したであろう。小生はそう推測しているところだ。
人流制御には人流制御のための行政手段が絶対に要る。これがロジックだ。無観客開催であっても「五輪を開催する」ことによって人流が増えるという可能性は数量的には《微々たるもの》だと小生には思われる。たとえ五輪を中止していたとしても、政府・東京都は外出を控えるようにという要請だけを発していて、人流抑制のためのダイレクトな方策(例えば、交通規制、料金変更、より直接的な行動規制など)は何も実行していなかったわけであるから、多くの人はどこかに出かけ、東京都内のデルタ株感染者は海外と同じように激増していたであろう、状況は同じであっただろうと思っている。
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しかし、巷の意見はずいぶん違うようで、「五輪開催がきっかけになって、人流が増え、だから感染者が増えたのかもしれない」、であれば「五輪によって感染者が増加したという可能性」もある。こんな見方が(ひょっとして)多いのではないだろうか?
印象論としては、よく分かるのだが、しかし、これは『風が吹けば桶屋が儲かる』の理屈と同じである。
この文句は江戸時代の頃だろうが
風が吹くと砂ぼこりが舞い、砂が目に入って失明してしまう人が増える。失明した人の中には三味線を弾いて生計をたてる人もいる。そんな人が増える。とすれば、三味線に張る猫の皮の需要が増える。そこで、猫が減る。猫が減るとネズミが増える。ネズミは桶をかじる。桶の需要が増える。よって桶屋が儲かる。
こういう「理屈」である。
本当に、桶屋の利益を増やしたいなら、風の強い土地に引っ越せばいいのだろうか?
物好きな人がいれば、江戸の冬季期間中の平均風速のデータを何年分か集め、同じ期間中の桶の販売数量を調べることだろう。
この二つの相関をとってみると、なるほど風が強く吹いた年は桶が売れる傾向がある、と。そんな結果を得るかもしれない。しかし、この結果は「風が吹けば桶屋が儲かる」という仮説が正しいと証明したことにはならないのである。「そう見える」という示唆があるに過ぎない。
例えば、火事の時には桶で水を掛けるだろう。とすれば、風が吹かない冬であっても火事が増えれば桶屋は儲かる。加えて、風が強い冬は火事も多いはずだ。桶屋が儲かるとして、それは風が吹いたためか、火事が増えたためか、印象論では判別できない。したがって、風の強さと桶屋の利益を正しく分析しようとすれば、風の強さと火事発生件数の二つを説明変数に含めて、重回帰分析を行わなければならない。このとき、風の強さが有意に出れば風も主要因になるが、有意に出なければ風の強さは要因として作用しているとは結論できない。
要するに、数多くの要因が同時に働いているときは、ある特定の一つが「原因」になって「結果」が得られていると、『軽々に判断は出来ん』という一言に尽きるわけだ。
太平洋戦争敗戦後の東京裁判に陸軍の天才的参謀であった石原莞爾が証人として出席し、判事から「開戦の責任者」についての意見を問われたそうだ。石原は『強いてあげれば黒船を率いて来航したペリー提督に責任がある』と答えたそうだ。ペリーが来なければ、日本は開国などはせず、戦争をすることもなかったという理屈なのだ、な。この伝でいえば、オリパラ開催期間中に人流を増加させ、この夏の新規感染者の激増を招いた責任者は、そもそも五輪を誘致しようとした石原慎太郎・元都知事である・・・このような観方を合理的に論評せよという課題は、ちょうどよいエクササイズかもしれない。
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