今日の日経にこんな記事がある:
主要7カ国(G7)が18日に閉幕した外相会合でまとめた共同声明で「民主主義」が3回しか登場しなかった。2022年以前の声明と比べ重要性を訴える表現が減った。新興・途上国の共感を広く得にくいとの判断が背景にある。
ロシアのウクライナ侵攻後の22年5月、侵攻前の21年5月の共同声明と日本語訳で比較した。共同声明はG7首脳会議(サミット)の議論のたたき台となる。
22年の共同声明は「民主主義」が21回出ていた。「G7は民主主義が21世紀においても最良であることを引き続き確信している」と強調した。今回は同様の指摘が消えた。
「人権」も21年の47回、22年の42回から22回へとほぼ半減した。「自由」も21年の46回、22年の28回から減り、今回は22回にとどまった。
G7にはこうしたキーワードは新興・途上国で広く受け入れられにくいとの懸念がある。民主主義が未成熟だったり、人権問題を抱えたりする国も少なくないためだ。
Source:日本経済新聞、2023年4月22日
いわゆる西側陣営グループの中核部隊であるG7も、ここに来てやっと現実に目が向き始めたように見える。
問題解決と平和の実現に向けての第1歩になればよいのだが。
政治体制は統治のためのマネジメント技術。民主主義や人権重視の度合いもソーシャル・マネジメントのための技術である、というのが(何度も投稿しているが)小生が信じる社会哲学である。
つまり、民主主義そのものに価値があるわけではなく、目的は人類の幸福にある。人権重視の度合いも行き過ぎれば社会的不安定を招き国民は不幸になる状況を招く。1920年代半ばに日本は明治維新以来の夢であった「普通選挙」を実現した。しかし、スペイン風邪大流行、関東大震災、大正バブル後の長期不況とアメリカ発の大恐慌で動揺する中、陸軍が暴走した満州事変が重なり、内憂外患が深刻化、日本社会が急速にGovernability(=自己管理能力、統治可能性)を失っていったのは、その普通選挙の負の作用だと思っている。軍部中心の政権による統制社会になったのは必然であった。国際社会にも不幸な結果をもたらした。
何ごとも
過ぎたるは及ばざるがごとし
こんなことは2千年も昔から人類は気が付いているわけで、何も今になってから悟ることでもあるまいに、と思ったりする今日この頃だ。
目的合理的に考えなければならない。社会的選択はそのための学問分野で、知見が蓄積されつつあるのは人類の知的資産である。
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