2023年4月8日土曜日

覚え書き: 日本のマスコミと米国のマスコミとの違いの一例?

 日本経済新聞は傘下に英紙"Financial Times"を有しているからか、その後光(?)で日経本紙への信頼性も高まっている感触なのだが、WEBでFTの主要記事を和訳して提供しているのは非常に有益だ。

その中に、『始まった新産業革命 根本から変わる製造業』というのがあって、これが中々読ませる内容になっている。

ほとんどの人はテックブームは終わったと考えているだろう。米シリコンバレーバンク(SVB)の破綻は投資家を戦慄させ、金利上昇で米テック各社の株価は調整局面に入っている。

だが我々は今、まさに技術革新と投資の新たな黄金時代に突入しつつあると筆者はみている。これまでとの違いは消費者向けではなく、産業向けの技術革新が進むということだ。

(中略)

これは長く待ち望まれてきた変革だ。米中分断やコロナ禍、ウクライナ戦争などの要因で変革は加速しつつあり、私たちの経済を根本から変えるだろう。米ナスダック市場はさらに大きな調整が入る可能性はあるが、こうした動きから筆者はまだ伸びるとみている。

一つ不明なのは、新産業革命が大量の失業をもたらすのかどうかだ。才能ある技術者は消費者向けソフト開発から産業向けへと移り始めている。だがAIに加え、必要な労働力を劇的に減少させられるハイテク工場の出現などで必要な労働者数は減っている。

ただ、アプリ経済はそれまで存在していなかった職種を創出したのも事実だ。新たな産業革命も想像もつかなかったような新しい仕事をもたらしてくれるかもしれない。

Source:日本経済新聞、 2023年4月7日

《技術革新》は幾ら進んでも失業者増大をもたらさない。一時的に職を失う人が出るかもしれないが、最終結果としては《豊かな社会》がもたらされ、人は辛い労役から解放される。これが歴史的に立証されてきた真理である。何もかも人工知能とロボットが生産活動をやってくれれば、人は金銭のために働く、いわゆる「労働」をする義務から解放される。至福の社会とはそんな社会であるのがロジックだろう ― 分配の問題は、ベーシック・インカムか民間企業を否定する社会主義か何らかの方法で、解決する必要がある。

働いてマネーをもらうのでなければ「生きがい」がないという御仁もいるだろうが、そんな人は更にいっそう技術を向上させる研究開発と取り組めばよい。必ず報酬を伴うはずだ。

インターネットを活用したICT技術にかける期待は、ずいぶん昔から万国共通のものがあって、上に引用したような感覚は日本社会でも共有されているのだろう。

ところが、経済学者・クルーグマンは、このブログでも(購読紙の関係があって)何度も引用しているが、かなりの硬骨漢で、かつへそ曲がりであるようだ — ここが正に研究者としては欠かせない性格なのだが。

先日もこんな事を書いている。chatGPTなどの人工知能(AI)に関連したコラムだった。

Life being what it is, several people came back at me, citing a prediction I made in 1998 that the internet’s growth would soon slow and that “by 2005 or so, it will become clear that the internet’s impact on the economy has been no greater than the fax machine’s.”

そもそも1998年の時点で

インターネットの普及はかつてファックスが普及したことによる影響と同程度のものになるだろう・・・

そう指摘していたわけだ。 あの時点で、このような予測をするのは、かなりのへそ曲がりである。ただ、データとしてはクルーグマンの指摘がほぼ正しく、インターネット普及による生産性向上効果は数値の上でほとんど認められていない、というのがRobert Gordonなど一流の経済学者による研究成果である。

Maybe the key point is that nobody is arguing that the internet has been useless; surely, it has contributed to economic growth. The argument instead is that its benefits weren’t exceptionally large compared with those of earlier, less glamorous technologies. For example, circa 1920, only about one in five U.S. households had a washing machine; by 1970, almost everyone had one or access to one. Don’t you think that made a big difference? Are you sure that it made less difference than widespread access to broadband?

インターネットが無用のものだったとは言わない。しかし、考えて見たまえ、確かにYoutubeから音楽のライブ・ストリームを愛聴するなど、私たちの生活は大いに充実したものになった。が、1920年代に普及率が2割だった洗濯機が1970年には全家庭が利用するようになった。これもブロードバンドの普及と同程度に豊かな社会をもたらしたとは言えないか?

第2次大戦後の20世紀後半と言う時代は、「洗濯機」の他にも世の中を変えた新商品が続々と登場した時代であった。だから、生産性向上がデータからも確認できたのだ。

この点をクルーグマンは新聞紙面で指摘している。

異端であるが、するべき指摘を客観的なデータを示してマスメディアで示す。いま日本社会に最も欠けているのは、これが出来る有識者だろう。『その通りなんです』とばかり発言する識者には大して価値がないと思うがどうだろう?

昔から言われている事だが、

犬が人間を噛んでもニュース価値はない。人間が犬を噛んだときにニュースになる。

つまり、ニュースと言うのはサプライズが伴う情報でなければならない。

ところが、今の日本社会で目立つのは

犬が《また》人間を噛みました

日常の出来事がいかに日常であるかを報道している傾向がある。何のつもりだろう?その背後には《日常に対する冷たい視線》 が隠れている。おそらく

日本の日常社会を変えなければいけない

よく言えば<使命感?>のような思いがあるのかもしれない。しかし、一体誰が、マスメディア従業員にそんな役割を依頼したのだろう。

よほどの実績があるエリートであればそんなエヴァンゲリスト(=伝道師 or 預言者)的な心理もあるのだろうが、それなりに満足して暮らしている住民には『そこがダメなのだ』とばかり言われるのは、それはそれで不愉快なものだ。



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