ロシア=ウクライナ戦争の行方は混とんとしている模様で、ウクライナの春季攻勢が取りざたされているかと思うと、ウ軍の継戦能力は既にギリギリの状態に追い込まれているという観測もあったりで、素人にはまったく分からない。
中国が仲裁への意志を示したのが少し以前。そこへ中国の駐仏大使が怪しからぬ妄言を吐いたというので猛反発を招いている:
問題の発言は、21日の放送で中国の盧沙野大使が行った。ロシアが2014年に併合したウクライナのクリミア半島について尋ねられ、「問題をどうとらえるかだ。クリミアは当初はロシア領だった。ソ連時代にウクライナに渡された」と、帰属についてあいまいな返答をした。さらに、「旧ソ連諸国は国際法上、有効な地位を持っていない。主権国家の地位を具体化する国際合意がないからだ」と述べた。
Source: 産経新聞、2023/04/24
とるに足らない舌禍事件として日本では報道されているようなのだが、一見した限りでは大雑把な大筋では間違いとばかりは言えない「事実の一端」ではないのか、と。
高校の世界史を勉強した人であれば、クリミア半島はロシアのエカテリーナ女帝の時代、ロシアに併合されたはずではなかったかと記憶しているに違いない。それまではオスマントルコがクリミア半島を領有していたはずである、と。で、エカテリーナ女帝をWikipediaで調べてみると、
対外政策では、オスマン帝国との2度にわたる露土戦争(1768年-1774年、1787年-1791年)に勝利してウクライナの大部分やクリミア・ハン国を併合(キュチュク・カイナルジ条約)。さらにヤッシーの講和でバルカン半島進出を窺うに至り、黒海での南下政策を進めた。
と解説されていたりしているので、「ああ、そうだったナ」と記憶が蘇ったりするわけだ。
だから中国の駐仏大使が『 クリミアは当初はロシア領だった』と発言しているのは、それ自体は間違いではない。その前はと言うと、トルコが領有していたことになるし、更にその前はモンゴル・ジョチウルス系のクリミア汗国であった。そしてもっと遡れば、東ローマ帝国、ギリシア人、ローマ人他が入り乱れて訳が分からないというのがクリミア半島史である。
ウクライナがクリミア半島の領有権を主張しているのは、第2次大戦後の1954年に当時のフルシチョフ第一書記の判断でロシア共和国からウクライナ共和国に移管された経緯を根拠にしている。それが後になって、ソ連のペレストロイカ、ソ連邦解体を機に各共和国が独立宣言を発した以降も領有権はそのまま継続しているのだが、その前後の国境画定がきちんとしたものであったかというと、小生も専門家ではないので詳細は熟知していない。が、中国の駐仏大使がその辺の経緯を指摘しているのであれば、「妄言もいい加減にしろ」というのも不正確ではないかと感じる。
ロシアが「日本の北方領土領有権は第2次大戦の結果として日本からソ連に移り、いまそれをロシアが継承しているのだ」と、そう主張しているのだが、「いまの現状を受け入れよ」という言い分は、何だかクリミア半島領有に対するウクライナの言い分にどこか似ている、とも感じてしまうのだな。本来、その地域はどこに領有されていたか、領有権が移ったとすれば、どのような正式の手続きによって移ったのか、その辺のことを指摘する人が現れても、国際交渉では日常茶飯事であろう。
ヨーロッパで猛反発が起きているのは、意外と痛い所をつかれたからではないか。そう思ったりもするのだ、な。
但し、ウクライナ東部の話しはまた別である。
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