一流の人物は極めて少ない。二流の人物が多く、三流以下の人物はもっと多い。こんな能力分布があらゆる分野、領域に当てはまっている、というのが小生の(個人的な)経験則だ。これは何度も投稿している(たとえばこれ)。
政治の世界でも、経済・経営の世界でも、同じだと思っている。
なので、一流の政治家は少なく、凡庸な政治家が大半である。
もっと悲しいことは
一般有権者にも、上の能力分布が当てはまるので、その政治家が一流であるか、二流・三流であるかを見分ける能力をもつ人は稀である。
ということだ。
ちょうど
歴史に残る一流シェフが調理した料理を正しく賞味できる人はほとんどいない。目隠しをされて一流のワインとテーブルワインをテイスティングだけで正確に識別できる人が少ないのと同じである。
故に、有権者が選挙で選ぶというのは単なる形式であって、実際に一流の政治家が責任ある地位に就けるかどうかは、世論によるのではなく、運による。
ただ
世襲の君主制において名君の子が一流であるかどうかも運による。
要するに、同じである。
つまり、アメリカの次期大統領が一流であるか、凡庸であるかは、運しだい。これが今の世界を支配するロジックだ。そんな風に思いめぐらす今日この頃です。
一流の政治家が一流であることを国民が知るのは、一流でなければ解決できないような乱世が到来し、実際に平和を取り戻した時だけである。
その「乱世」で、民主主義を制限した方が良いのか、あくまでも民意で指導者を選びなおす方が良い結果につながるのか、歴史上の永遠の問題だと小生は思います。
凡庸な為政者で世の中が治まっているのは平和であるからで、これ自体は好いことだ。
以上、たまたま思いついたのでメモする次第。
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