2024年9月5日木曜日

読後感: 経済学者ゾンバルトの現代性?

この夏の間、内池は酷暑に見舞われたが、北海道は昨夏程ではなく、この2,3日は夜になると20度を下回るくらいになった。それでも拙宅の付近を一回り、概ね30分ほどを歩いて帰ると、風は涼しいのだが、坂を上り、坂を下りで汗ビッショリになる。

もう今年の半分以上は過ぎた。思い返すと

家居して 窓をあければ 青嵐

遠海に ひと思ひ出す 憂き身かな

そんな初夏を過ごしていたのが、つい先日には

昼顔は あと幾日の 暑さかな

二、三日 蝦夷を夢みる 蝉のこへ

夏が過ぎつつあるのを感じた。

そして昨日また歩いていると

白樺の 梢にちかき 葉の色は

    黄に染まりつつ 秋は来にけり

川のべの  虎杖 いたどり しろし  の弱り

あとひと月、10月初旬を過ぎれば東京の初冬を思わせる風景となろう。そしてまたひと月がたてば初雪が舞うのを待つ頃になる。 

永井荷風の『濹東綺譚』を読む習慣は、例年と同じく、今年も続けたが、いまの季節には『雨蕭々』が好いかと机上に置いてあるのだが、まだ読むに至らない。

前稿では、ヴェブレンのことを覚え書きしたので、同じ本のゾンバルトの章から記憶に残りそうな箇所を引用しておこう:

現代は資本主義時代と呼ばれてもいいが、そこでは経済と経済的利害とが他の一切の文化価値に対して優位を求めるという点で、むしろ「経済時代」と呼ぶ方が適切である。

(中略)

そこでは自由の名において、人間の中に横たわる卑しい本能が跳梁し、しかもそれによって物質的な生産力が著しく増大したが、これに伴って人間社会の紐帯が切断され、私たちの生活はあらゆる方面において、悲惨な、退廃的なものとなった。

 ゾンバルトの主著は第一次世界大戦前の『近代資本主義』だが、上に引用した論考は1940年執筆と章末に記されている。これを読むと、その当時に生きた人々にとっての「現代資本主義」は、いまを生きる私たちが見ている「現代資本主義」と概ね同じだったのではないか、と。こんな想像が可能になる。

さらに、

このような退廃の中にあって、私たちは一体何に希望を託し得るだろうか。マルクス主義だろうか。否、私たちはもはやマルクスのように、資本主義が必然的な過程を経て未来の完全な社会――物質的福祉が満たされた社会――に到達すると考えることは出来ない。

マルクスが期待したような資本主義から社会主義への「自然な進化?」は考えられない。ゾンバルトの自国であるドイツやヨーロッパ世界を観察しながらこう考えている。

となれば、ロシア人のレーニンがその道を選択したように、暴力をもってロシア帝国を打倒するしか、社会主義国家を建設することは出来ないという理屈になるのだが、こう考えると、ゾンバルトの時代認識はその後の世界の成り行きを予測する一面もあったというわけだ。

資本主義から社会主義への自然な進展はないと考えたゾンバルトは、(ドイツ民族という)民族の特性に合致した社会主義へと主体的に努力することが何より大事だと強調するわけで、この辺りマルクスの唯物史観からはかなりの隔たりが出来ている。

つまり、

マルクスと異なり、弁証法的な必然の法則によって歴史が進化するとは考えられていないこと。ゾンバルトにとって、資本主義は未来の完全な社会主義社会を生み出すべき母体では決してない。社会主義社会を実現するためには、現代からの「全面的転向」が必要であり、しかもその転回は我々の自発的意志によって行なわれる以外にない。

こういう認識だ。

その根底には

資本主義的生産方式の普及につれて、旧来の社会的紐帯(村の生活、家庭生活、習俗など)が根本的に破壊されて、大多数の人口が都市に集中したが、その都市において彼らを待っていたのは不健康な生活環境と、明日の糧をいつ失うとも知れない生活の不安だった。

資本主義と都市化、豊かな消費社会をおくれるが不安定で流動的な労働市場。これらを問題視する視線がゾンバルトにはある。こんな不健全な社会から健康な社会主義社会が誕生するはずがない、というわけだ。

とはいえ、最初に資本主義を是認し、都市に生まれ、都市で育ち、都市で暮らし、消費生活を楽しんでいる人たちは、それが問題の根源だと批判されても、ただ不快の気持ちを覚えるだけであろう。何が問題であるかが分からないのだ。

そもそも「生産現場」で働く人たちの感覚と価値観。大都市で「消費生活」を楽しむ人々の感覚と価値観。この両者は、趣味もライフスタイルも水と油であるのは、現代でも変わらない。

戦前期、20世紀前半という時代の下で、資本主義社会を問題視する視線ということでは、ドイツと日本とで共有可能な感覚があったのだろう。

どれだけ頑張ってもドイツはイギリスのようにはなれない。アメリカのようにもなれない。言葉が違う。価値観や理念がそもそも違う。文化が違う。そんな違和感があったとすれば自然なことである。ドイツにとって自然であれば、日本にとってはもっと自然な感情であったろう。20世紀前半という時代はこう要約できるのかもしれない。

と同時に、この種の距離感は21世紀という現時点においても日本と欧米先進国との間にまだ残っている。こういう意識が両者の側にある。そう感じるときがあるのだ、な。

だから、(今は最も親しい関係を維持している)英米で当たり前のように実行されている経済政策、その他の政策を日本でも実行しようとすると、強烈な拒絶感に直面する。それで日本人は埋めがたい距離を感じる。それもあってか、同じドイツでも旧東ドイツに住む人たちの世論がネットを通して伝えられたりすると、何か親近感を覚えたりする。

どうもゾンバルトが生きた時代から何世代もたっている割には、その当時、世界を分断していた精神的な活断層の痕跡が残っているようなのだ、な。

経済がグローバル化すれば、中国やロシアが物質的にも精神的にも西欧、アメリカと融合すると予想されていたが、決してそうではなかったし、これからも融合はしないであろう。インドもそうだ。日本と中国はいくら経済的相互依存関係が深化しても融け合うことはない、・・・。こうしたタイプの事情は、現代世界にいくらでも残っている。

こんなことを考えたりしている。

文字通りの《ポスト・グローバル化時代》かもしれない。

第一次世界大戦後の1920年代に《ノーマルな世界経済》と言えば「金本位制」のことだった。故に、金本位制への復帰が世界共通の目標だった。しかし、金本位制というレジームは第一次世界大戦によって瓦解していたのだ。

第二次世界大戦後の国際平和維持のレジームはウクライナに対するロシアの軍事行動によって既に瓦解している。瓦解の事実を認識する時期がいずれ来ると思う。元には戻れないというべきだろう。


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