日本は、いずれかの政党に所属する人が国家元首たる「大統領」に任ぜられる国ではない。有権者が国会議員を選んで、あとは議員が中心になって、内閣を組織して日本国を運営してくれ、と。そんな議院内閣制の国である。
確かに、考え方には人それぞれの違いがあるから、どんな政策をとるかで対立状況は必然的に生じる。そこで政党が生まれ、与党と野党に分化することになる。
このロジックは分かる。
しかし・・・と、最近は疑問に感じる事が増えた。
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昨秋からの米価高騰を批判し続けていれば、野党は何千万人もの消費者の共感を得ていたはずだ。
関税率引き下げによる民間輸入拡大と、コメ関税収入増収との見合いで同時並行的に米作効率化を進めて、食品価格を引き下げろと政府に要求すれば、何百万人もの農家票は失うが、代わりに一桁多い都市人口の支持を獲得できていたはずだ。
食品価格が下がれば、高止まりしているエンゲル係数も下がる。
生活を楽にする提案を野党が行えば、拍手喝さいする有権者は多い。野党支持率は上がるはずだろう。
しかし、こうはならなかった。
多分、「食糧安全保障」とか、「農家保護」とか、クサグサのキーワードが脈絡もなく党内議論で噴出して、名案も正論も消滅していたのだろう……と想像している。
結局のところ、・・・《米価引き下げ劇》は自民党の小泉新農相が演じることになり、野党は小泉氏の周りに群がる野良犬のように、隙を窺うくらいが出来る事の全てになった(ようにみえる)。
野党が声高に叫んでいる《消費税減税》は、世論調査では寧ろ「税率維持」を支持する人の方が多いくらいで、まったくアピールできていない。減税の財源は、「赤字国債」とか、「企業増税」とか、「今後検討」とか、涙がこぼれるようなお粗末ぶりだ。
それも「1年限りの消費税減税」なんて、営業現場やエコノミストの失笑をかっているのを、知らないのだろうか?・・・本当に知らないのだろうナアと思ったりします。
そもそも消費税を減税して喜ぶのは高齢者だ。消費税率を下げれば社会保障の財政が行き詰るのは確実だ。いずれ年金・医療・介護の保険料は上がる。しかし、高齢層が年金保険料を負担することはない。
消費税率を下げて保険料を上げると、年金保険料を払っていない分、高齢層は助かる。勤労者の収支はそれほど変わらない結末になって終わる。
消費税率を上げて保険料を下げると、年金保険料支払い減をうけない分、高齢層に負担がかたよる。
この位の理屈は、もうほとんど全ての人は、分かってますゼ。
だから消費税減税は、(実際には)高齢層優遇の政策提案である。更に、多額の消費税を支払っている富裕世帯が喜ぶ政策でもある ― 消費税廃止の声がいつまでも止まないのは一面ではこの点による。
極端な場合、
消費税率を上げて、国民年金保険料を廃止すれば、高齢層(=年金受給者層)は確実に負担増。他方、勤労者の負担は消費増税のマイナスと保険料ゼロによるプラスが(ほぼ)相殺する。
勤労者下位層は、定額の国民年金保険料負担がなくなる分、プラスの恩恵をうけるはずだ ― 但し、未納者は年金保険料負担がなくなるという恩恵を受けない。が、保険料でなく税で国民年金をまかなう分、将来の定額受給が確実になるので、プラスだろう。
これは明らかに《現役勤労者シンパ》の政策だ。
しかし、いまどの政党もこんな提案をしてはいない。つまり、与党も野党も退職高齢者の怒りをかいたくないのである。思いが同じなら、与党も野党もない。
つまり、
与党と野党の対立は《退職高齢者 vs 現役勤労者》の世代対立を反映するものではない。
こういう見立てが論理的である、と思うのだナ。 つまり、与野党ともすべて《退職高齢者シンパ》である。
自民党なら仕方がないと諦めもつくが、「働く労働者の味方」を謳いながら、実は「退職高齢層の味方」として振る舞うのは、日本の野党の最も不誠実で狡猾なところだと小生は観ている。
では
本当のところ、与党と野党は、どんな点で対立しているのだろう???
そもそも前回の衆議院選挙で勝利した以降、久しぶりに《政権交代》への機運が浸透しつつあったと思っていたのに……、本当にもったいない事だ。
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なぜ「反政府」という点でしか、与党と野党は敵対しないのだろう?
政治学者ではないので、日本政治の与党と野党が本当はどこで対立しているのか、実はよく分からないのだ。
言っている事を観察していると、「世代対立」が与野党対立をもたらしているわけではない。かと言って、「都市 vs 農村」の対立状況が反映されているわけでもない。「農業 vs 非農業」の対立が与野党対立に現われているのでもない。「富裕層 vs 中下位層」の対立でもなく、「伝統産業 vs 新興産業」という対立が与党と野党の対立を生んでいるとも言えなさそうだ。
外交なんて言っちゃあ駄目ですヨ。外交は内政の続きです。国防も内政の続きです。対外的にどうするというのは、国内事情から決まるものだ。だから、与野党の対立軸は、日本国内に求めなければならない。これが基本的なロジックである。
では、(あるはずの)《対立軸》は、どこにあるのだろうか?
経済専門家が関心をもつ「小さい政府 vs 大きな政府」という対立軸は日本にはない。
分からぬ・・・
最近、一つ気がついたことがある。
ほとんど全ての国会議員(および地方議員も?)は、議員に当選すると、《職務専念義務》を要請され、何度も当選を重ねるうちに、「国会議員」が「職業」に化してしまう。場合によっては「家業」にすらなる。つまり「落選」はいわゆる「失業」、というか「没落」を意味する。
もし議員を職業とみると、これほど非独立的で非安定的な職業はあるまい。任期は4年とはいうが、普通は任期満了以前に解散となって選挙の洗礼をうける。常に失業におびえなければならない。
毎年の株主総会で洗礼を受ける株式会社の取締役の方が厳しい境遇ではある。が、取締役は能力・実績、つまり十分なプロフェッショナリテイ(Professionality)がなければ、投資家の信頼が得られない。一度評価されれば(よほどのヘマをしない限り)その地位は安定する。それに比べれば、議員、というか政治家を選ぶのは、一般有権者であり「政治の専門的能力」(?)など関係なく、その日の風向きや気分で投票する人たちだ。そこにロジックはないと言ってもイイ。いわば人気商売である。
スキャンダルに極めて脆弱なのはそのためだ。メディアに期待しながら、他方では嫌がるのは、潔癖な(?)な大衆を顧客とする芸能人と同じ心理である。
人は、同じ状況、同じ境遇に立てば、ほぼ同じことを考え、同じことを発言し、同じように行動するものだ。故に、与党の議員も、野党の議員も、議員である以上は、同じ社会状況において、同じことを考え、同じ行動をとりたがるはずである。
この面で与党と野党と対立してはおらず、同じ感覚を共有しているとすら言えるだろう。
まして日本の戦後体制では、国会議員は(支持層ではなく)全ての国民に奉仕する国家公務員であると規定されてもいる。である以上、国会議員が同じエートス(=気質)を共有しているとしても道理は通るわけだ。
してみると、日本の国会で「与党」と呼ばれ、「野党」と呼ばれる陣営に属している方々は、決して本質的な政治方針で対立しているわけではなく、むしろ議員としては共有している部分が多いくらいで、その意味では与党は国民という飼い主に優遇されている「飼い犬」、野党は政権という犬小屋を与えられない「野良犬」に似た存在である・・・
ここで話は本日の始めに戻るわけだ。が、こんな酷い譬え話しが無礼であると非難されるような実相を見せてほしいものである。
今日述べたような側面があるような感じがして、むしろ国会議員の職務専念義務を外すほうが、現実の政治力学に合致した均衡点を目指すうえで有効だ、と。最近はそう思うようになった。
全ての国民に奉仕する義務を負うのは、政権交代によって異なった政党に仕える可能性をもった官僚である。官僚が特定の政党を支持し、ある政党を忌避するのは、容認できない。しかし、政治的意思決定を行う国会議員は、(議員の任期に限って、だが)全ての国民に対する奉仕義務を免除するべきであろう。
これが民主主義だと思うがいかに?
【加筆修正:2025-06-11、06-12】
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