2025年7月26日土曜日

ホンノ一言: 外交交渉のあり様も帝国主義的になってきたかも、ただアレなんだよね・・・

トランプ政権との関税交渉で「合意」したとの報道があった後も、「合意文書はない」、「四半期ごとに進捗をモニターし、場合によっては関税率を25%に戻すこともありうる」等々、要するに日米二国間の外交案件であるにもかかわらず、どうなるかはアメリカのト大統領の胸先三寸に任せてしまったという実情が露わになってきた模様だ。

この交渉、この関係性、今後結構、もめるンじゃないかネエ・・・
と、非常に懸念されます。ただ、合意自体については
日本の石破首相、赤沢大臣、よくやったじゃないか
と、日本国内では評価する向きが多いようで・・・

それもそのはずというか、交渉ごとの結果をどう評価するかは、むしろ相手側の反応を観察するとよく分かる。今回の合意については、経済学者・Krugmanもsubstack.comから届いたメールマガジンの中で以下のように述べている、というかボロカスに非難している。

This is clearest in the case of automobiles and automotive products. Trump has imposed a 25 percent tariff on all automotive imports, supposedly on national security grounds. This includes imports from Canada and Mexico. And here’s the thing: Canadian and Mexican auto products generally have substantial U.S. “content” — that is, they contain parts made in America. Japanese cars generally don’t. But now cars from Japan will pay only a 15 percent tariff, that is, less than cars from Canada and Mexico.
Google翻訳で日本語に訳すと:
これは自動車と自動車製品の場合に最も顕著です。トランプ大統領は、国家安全保障上の理由から、すべての自動車輸入に25%の関税を課しました。これにはカナダとメキシコからの輸入も含まれます。そして、ここで重要な点があります。カナダとメキシコの自動車製品には、一般的にかなりの量の米国産部品が「含まれている」ということです。つまり、米国製の部品が含まれているということです。一方、日本車には一般的にそうではありません。 しかし、今後は日本車に課される関税は15%のみとなり、カナダやメキシコからの自動車よりも低いのです。
確かに、ほとんど米国製部品を使ってメキシコで製造された自動車には25%の関税を課し、米国製部品など何も使わず日本で製造された自動車には15%の関税で勘弁してやるなど「何をバカなことをやっているんだ」と。立場が日米反対なら日本国内では非難轟々だろう ― というより、日本は官僚が細部を詰めるので、いくら「政治家」でも愚かな内容で交渉をまとめる強大な権力は持っていないはずである。

更に、

Wait, there’s more. Trump has also imposed 50 percent tariffs on steel and aluminum, which are of course important parts of the cost of a car. Japanese manufacturers don’t pay those tariffs.
訳文は省略するが、わざわざ自動車の米国内生産費を決定している金属製品に50%の関税をかけ続けるというのだから、その分、アメリカは不利になるのに決まっている、と。日本の自動車メーカーは日本産の鋼材を関税なしで買えるのだから、と。 そんな次第で、Krugmanは
Overall, the interaction between this Japan deal and Trump’s other tariffs probably tilts the playing field between U.S. and Japanese producers of cars, and perhaps other products, in Japan’s favor.
と締めくくっている。今度の交渉結果は「日本に有利だ」と。文字通り"stupid"だと、まあ散々にこき下ろしている。確かに、経済学の理屈で言えば、ト大統領の政治判断、理屈的には愚かである。しかし、
理屈としては愚かで不合理であるとしても、政治としては「これをやらなきゃならないんだ」、そういう時はある。
こういう事かもしれない。おそらくロシアのプーチン大統領もそう、ウクライナのゼレンスキー大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、どの人もそうなんだと憶測する。トランプ大統領も理屈抜きでやっているのに違いない。石破首相が国政選挙で大敗したにも関わらず、首相を続投しようとしているのも、理屈を度外視しているのだろう。そもそも(得体の知れない理想を求めるのは)原理的には非合理的で、理屈に合わず、信じるから信じる、やりたいからやる、そんなものなのではないか。

普遍より主観。論理より信念。利益より大義。知の裏付けも何もない、ないないづくしの「狂人」(?)が、無視されるのではなく、熱狂的に迎えられる時代。こんな時代がやって来たのかもしれない。危ないネエ・・・しかし、「国を守る」とは、そもそも非合理的な動機が根底に無ければ、「張り子の虎」になるしかないのである。愚か者が賢人に勝利する(というより、しうる)ことは、ゲーム論でも「チェーンストアの逆説」で証明されているところである ― 個人的には、「国」なるものは全て「張り子の虎」で大いに結構。むしろそうあるべきだ、とは思っているが。

2025年7月25日金曜日

ホンノ一言: 給付か減税か? 政党が多すぎるなら選択と集中で合理的に議論すればよい

 いわゆる《議論の集約》、《選択と集中》について何も知らないのだナ、というのが露わになっている記事はネットにも溢れかえっている。

本日はその典型的な事例を見つけたので覚え書きにしておきたい。

先日の参院選では「財政ばら撒き」の方式として「給付」か「消費税減税」の二つ、あるいは両方が各党から提案されていた。

これ自体が発想の貧困を如実に伝えるものだと(個人的には)思っているのだが、それはさておいて、与党が大敗、野党はまとまらずという情勢で、結果としては給付も減税もなしになるのではないかと、巷では落胆する向きが多いそうである。

例えば、次のように各党の公約(?)を整理しているところがあった

 ▼給付

 自民・公明:1人2万円・4万円(子ども・住民税非課税世帯には4万円)


 ▼給付&減税

 立憲:2万円・食料品0%(原則1年間)

 れいわ:10万円・消費税廃止


 ▼消費税減税

 維新:食料品0%(2年間)

 国民:一律5%(時限的)

 共産:一律5%(廃止目指す)

 保守:食料品0%

 社民:食料品0%

 参政:段階的に廃止

いま社内の検討会をしているところで、机上の資料には上のような内容が書かれていたとすると、叱責とまではいかないだろうが、出席者から失笑、嘲笑が漏れ聞こえてくるのは、確実だ(と想像する)。

「古典」とは旧くなることがない文化遺産である。その中に、QE(≒品質管理)の為の大原則があって、これ即ち《重点志向の原理》だ。端的には《選択と集中》という表現になる。この原理を徹底するための「QE七つ道具」は、ビジネスマンなら当然の常識だと(個人的には)思っているのだが、その最初のステップが《パレート図》になる。

パレート図とは、縦軸に頻度。横軸には頻度順に並べ替えられた各項目。そして、項目ごとに頻度を棒グラフで表し、重ねて累積頻度を右上がりの折れ線グラフで示したグラフ。これがパレート図である。

上には、九つの公約がある。しかし、各政党の議員数は大小マチマチである。これを

議員数 = 頻度

と読み替えて、パレート図にすればよい。

パレート図を利用した重点志向とは、累積頻度が80%(ないし項目数が少なければ90%)を超えるところに努力対象を限定し、残りの項目はカットする。先ずは上位80%の問題を解決するために100%の努力を集中する。80%を解決してから再度状況を整理し、状況が同じなら残り20%の問題に100%の努力を傾ける。こんな問題解決思想を指していて、極めて現場志向で、実践的に手順化されている。いわば「勝利の方程式」であります。

問題解決だけではなく、論点を整理する時などにも、役立つ。

このパレート図の考え方をとれば、最も多数を占めているのは、自民・公明の「給付」である。政党別議席数累積割合をみると、自民・公明を与党として一つに括ると、第4位の「維新の会」で8割を超える    ―    但し、今回は先日選挙のあった参議院の議席数をベースにしている(議席数はChatGPTで調べた結果を使ったが個人情報が含まれる可能性があるということなので共有リンクを貼り付けるのは控える)。

なので、比較検討は

  1. 自民・公明:1人2万円・4万円(子ども・住民税非課税世帯には4万円)
  2. 立憲民主党:2万円・食料品0%(原則1年間)
  3. 国民民主党:一律5%(時限的)
  4. 維新の会:食料品0%(2年間)

この4提案を重点的に検討、議論するのが、合理的だ。

さらに言えば、上位2政党の双方とも給付2万円を提案している点で共通している。そして、上位2政党で割合が66%を超えている。概ね3分の2である。全体の3分の2が賛成する提案は「多数」と解釈しても可とするのが、合理性ある民主主義社会の運営だと(個人的には)思っている。

それでも、マア、ほとんど意味のない「ばら撒き」であるには違いないが……

国会全体の意志について見通しをつけるなら、参議院だけではなく衆参合計の議席数でパレート図を作ると良いだろう。

民主主義社会で「ある案」に全員が賛成するという状況はほぼゝ絶対にないと確信しているのだ、な。

世間で議論するのは大事な事だが、

下手な考え、休むに似たり

という格言もある。「小田原評定」という警句もある。

これは認めても良いという結論を速やかにまとめることの重要性は、組織においても、社会においても、同じだと思うのだが、いかに?

「合理性」というのはこんな時に顕在化してくるその国の徳性だと思う。

2025年7月21日月曜日

ホンノ一言: 日本もまさに「海図なき航海」に入ったかも・・・

昨日の参院選は事前の予想とほぼゝ一致する結果になった。そして案の定、日本政治の行く末が五里霧中になって来たというか、先行き不透明感は増す一方になって来た。

海図なき航海・・・いや、そればかりではない。船長も名ばかり、一等航海士も名ばかり。その知識レベルは怪しいもので、船客の中のヨットマンの方がまだ海を知っている。さあ、どうする・・・と。そんな状況に日本は丸ごといるという感覚だ。ま、誰のせいでもない。日本は民主主義国家なのだから。

ロシア、中国の選挙介入活動が云々される中、日本政治の振れ幅は今後も拡大する可能性を残した。

例えば、これから一カ月、SNSでどんなバズリ方をするかで、もう一度投票を行うと仮定して、次回投票日の結果はどうなるか見当がつかない。

更に考えると、時間間隔を極端に短くしていっても、その微小時間内の変動がとんでもなく大きくなる確率がゼロでない。こうなると《究極の不透明性》というヤツになる。これは金融工学でよく使われるウィーナー過程ではない。

予測などは意味をなさなくなるが、まだこれほど酷くはない。

茶番だと 知りつつ向かう 参院選

    くだらなき世の 果てぞ待たるる

少し古語を混ぜて

末法と わきまへつつも 参院選

    くだらなき世の すゑぞうたてき

こう書き変えると、(社会構造は意外と連続的に変化していたようだが、しかし)政治構造が激変した平安末期から鎌倉初期の趣味に近くなるかもしれない。

ほんと・・・、20年後の日本は想像を絶する別の国になっている(或いは、成り果てている?)かもしれないと思う。

閉塞感と世直し待望感が臨界点を超えると、これまでにない事が流行し、見たことのない社会現象が見られるようになる。その時代に生きている人には驚きだが、長い期間をおけば、これまた循環的に生じている世相というものでもあるわけで、これまた歴史の経験から予測できることだ。

当たってほしくはない将来予測だが、覚え書きまで。

2025年7月18日金曜日

ホンノ一言: 参院選……暑い日をより暑くさせる意見が多すぎます

今週末の参院選に向けて選挙戦もたけなわだ。しかしながら、参政党など新興保守政党は熱い。猛暑の中でご苦労様だが、この支持拡大は「既存政治への不信」が背景にある、と。そんな(冷静な?)評論がネットにアップされていたりする。目に入るというのは、結構、アクセスされているのかナア、と。既存政治への信頼などあるはずがない現状は既に共通の感覚だと思うのだが……。どうも間が抜けている印象だ。

北海道も暑い。湿度が高いのは異常である。こんな日に、間が抜けた投稿を読むと、猶更暑くなって困る。

そうかと思うと、民主主義への不信は理解できるが、民主主義はあらゆる体制を試してきた最後に残った体制であるから、私たちは民主主義を信じ続けなければいけないという説教調、というか牧師のような投稿もネットにはある。少し読んで止めるが、やはり暑くなる。

西洋史の古代を勉強すると「都市国家」が一つのキーワードになる。そしてしばしば都市国家は古代ギリシアのアテネのように「民主的」に運営されていて、それが(2千年余りの時を超えて)近代西洋の民主主義社会の母体になったということが授業では強調されていた(ように思う)。

ところが、民主的に運営されていた都市国家・ローマが、領土を拡大し、その当時としては多民族国家になるにつれて、共和制の限界が露呈し、紀元前27年にカエサルの甥であるオクタウィアヌス (Octavianus) が元老院の推挙によって初代皇帝に即位しアウグストゥス(Augustus)の称号を贈られた事は、あまりにも有名な時代の転機となった。以後、古代ローマは共和制から帝政に移行し、時代が下るにつれて、ますます皇帝専制の度合いを強めるという歴史を歩んだ。

よく民主制(≒共和制)は最後の政体であるとか、国家が大規模になれば民主制によるしかないなどと述べる御仁もいるが、どちらも歴史の事実に反している。

国家が大規模化し、多民族化すれば、多様な社会をまとめる一つの共通の権威(あるいは権力)が要請されるのは、子供でも理解できる理屈である。 中世ヨーロッパを特徴づける体制、即ち「神の代弁者」たるローマ教会のトップ(=教皇)と「世俗権力の代表者」たる皇帝ないし国王との並立は、政治的妥協の産物で、あたかも中国史、日本史にある南北朝時代に通じるものがある。 いわゆる《権威の分裂》という現象で、これによって良かった面もあった反面、政治不在となる負の側面もあったと思っている。

その欧州も、汎ヨーロッパ的なキリスト教の権威が弱体化するにつれ、絶対主義国家が地域ごとに生まれ、革命と徴兵制の実施を経て国民国家となり、啓蒙思想の広まりと国民皆兵による平等感の浸透から民主主義国家へと衣替えをしてきたのが、極めて概略的な《民主主義国家発展史》だと勝手に理解している。

古代ギリシア・ローマの時代に遡らずとも、民主主義と国民皆兵とは双子のような表裏一体の二要素として誕生した点が重要なポイントだと、これも勝手に理解しているわけで、ここにはいかなる哲学も、思想・信条も不必要で、極めて現実的な選択の結果として「こうするしかなかった」、これが小生の歴史観で、この辺の道理は、ヨーロッパだけではなく、東アジアを含めて、全ての地域に該当するロジックだと、これまた勝手に理解している。

日本というケースは特殊だ。まだ戦前期のうちに国民の要望に応える形で普通選挙が実施されたことは以前にも投稿した。が、寧ろそれをきっかけにして(曲がりなりにも)マアマア機能していた政党政治が自己崩壊してしまったのは、歴史の皮肉というより、天皇制民主主義の病理というものであったろう。戦後の日本は、その天皇制を守るために、連合軍の指示に従って、敢えて(完全!?)民主主義への移行を受け入れた。こうした極めてparadoxicalな歩みを踏んできたのが日本だ ― ほんと、天皇、コメ作り、伊勢神宮?、奈良・京都?、何を犠牲にしても守るものが色々とあって大変なのが日本であります (T_T)

プラトンは、ペロポネソス戦争敗戦後のアテネの精神的混迷の中で『国家』を著し、多数の政体を個別にとりあげて考察した。前にも投稿したことがあるが、一つの国家が選択する政体は、王制、民主制、僭主制等々、その時その時で移り変わって行くものである、と。この認識こそが極めて重要で、国家もまた《無常》の存在であって、実在するものではないということだ。永遠不変の理想の国家は思惟の世界、即ちイデア界に存在する ― 周知のように、プラトンの思考に沿えば「理想の国家」は民主主義国家ではない。現実には無常の世界があるのみ。この「真理」を弁えておくだけでも、何というか「生きる覚悟」というか、世界観をハッキリさせることになるのではないだろうか?。

実在するものではない対象を実在するものと誤認し、それに固執するのは煩悩の中でも三毒(貪瞋痴とんじんち)に挙げられる《=迷い》そのものである。
そう思うのだ、な。

現代社会は、科学的な思考さえマスターすれば良い、あとは要らない、と。何だか理系は優秀、人文系は阿呆と言わんばかりの《科学主義》が(ここ日本では?)盲目的に吹聴されているが、実際には宇宙観、生命観、人生観、哲学・思想いずれにおいても、科学的思考で理解できる領域は極めて限定的である ― 気になるなら最先端の物理学の紹介本でも一読されたい。

というか、この辺の事はドイツの近代哲学者・カントがとっくの昔に整理した事柄で『純粋理性批判』の序文だけでも読めば済む話だ。

年表をみればすぐ分かることや、分かり切ったことで議論が迷走することが多い現代日本社会をみると、どうにもこうにも、基本が定着していないというか、メッキが剥がれてきたというか、知的に《退化》しているという事実が明瞭に現れている感じがして

情けなさには涙コボルる

こんな今日この頃であります。また暑くなってきた・・・

2025年7月16日水曜日

ホンノ一言: 田端信太郎氏の卓見?

今週末の参院選は、国政選挙としては投稿したように「自分が知る最も下らない選挙」であるのだが、それでも自公(=与党)が過半数割れするかどうかは、ギャンブルの対象としては面白い(と言わざるを得ない)  ―  事情は知らないが、海外サイトでは既に賭けの対象になっているかもしれない。

著名な(?)投資家である田端信太郎の発想や意見には、結構、同感する点が多い。最先端の(といってもイイと思うが)ビジネスの現場で生きてきた経験は、同氏のリソースにしっかりとなっている、と思う  ―  同僚による評価、というか業界内評価がどんなであるかは、分野も違うので熟知していないが。

その田端氏の最近の見立て:


  1. 今回の総選挙で自民党が過半数割れする可能性に触れ、その場合「石破さんが責任とって辞める可能性がまあある」と。
  2. 昨今議論される消費税減税については「消費税減税実現しません」と断言。国民民主党や維新の会が減税を主張しているものの、「下げたら戻せない」という構造的な問題があるため、政治的には実現が難しい・・・
  3. 高齢者の医療費自己負担割合の引き上げ(1割から3割)が、社会保障費抑制のための現実的な手段となる・・・
  4. これから30年インフレが続く・・・政府の無責任な「バラマキ」政策が財政規律を緩め、通貨価値の希薄化を招いていることがある
  5. 株とか不動産とか、そういうインフレに強い金融資産を買わないと、はっきり言って死ぬ
  6. 現場系の職人やタクシー運転手など、「体を使う仕事は全然足りなくて、すごく収入増えてると思う」と述べ、意欲さえあれば稼げる時代になったと強調。
  7. 大学進学の必要性にも疑問を呈し、「変な大学は行く必要ないよね」と、手に職をつけることの重要性を説いた。
  8. 日本経済がインフレという不可逆的なフェーズに入ったことで、個人間の格差がさらに広がる・・・
URL:https://news.livedoor.com/article/detail/29168329/
YouTube:https://www.youtube.com/watch?v=mMUd4O7U5WM&t=1756s

上に抜粋した同氏の見方には、八割がた賛成だ。特に、第6から第7にかけて「手に職をつける方が得」、「変な大学に行く必要はなし」というのは、堀江貴文氏とも同じ目線で、やっぱり同じ釜の飯を食った仲間だネエと感じる次第。徹底的に実践的。イイと思います…

なるほど後期高齢者の医療費負担率を1割から3割に引き上げれば、医療保険料は下げられる   ―   それよりは、(前にも投稿したように)消費税率引き上げと同時に国民年金保険料をゼロにする方が筋が良いと思うが、医療費負担率を一律3割とすることも、宿題であるには違いない。


(上の要約とはやや異なるが)現在から今後将来にかけて豊かな人生を送って行くためには
  • AI(=人工知能)をパートナーにできる優れた頭脳で勝負する。
  • 手に職を付けて手足・身体で勝負する。
この二つのどちらか一つだけが正道だ。敢えて言うが、このほかの道はない、そう断言する。
頭脳・身体でなく口で勝負する仕事はなくなっていく
ということだ。なお、上で「AIをパートナーにできる」というのは、AIに使われるのではなく、AIを有能な部下として使いこなせる、という意味である。



製造業(=モノづくり)が(相対的に)地盤沈下したここ半世紀の間に評価された「言葉で勝負する才能」は、残念ながら急速に陳腐化して、主流から脱落する。

もはや「言葉を紡ぐ能力」は、生きた人間の専売特許ではなくなった。

《グローバル・クラスの創造性ある頭脳》、でなければ《工業高校・専門学校から高専レベルの基礎+職業経験知》、このいずれかを糧に出来れば、豊かな人生を送れる。

前者は少数の人間にのみ与えられる天賦の才で決まるが、後者なら99%の汗と1%のアイデアがあれば誰でも勝負できる。

現場を担当して社会のインフラを守る仕事が尊重される時代… …、個人的には真っ当で善い時代になって来たと期待しているところだ。

松本清張の社会派推理小説が描くような「虚業の栄える時代」は終焉してほしいものだ。

ちょうど流通業で中間段階にある卸売がスリム化されるように、社会の生産体系においても、中間段階にあって言葉を使う仕事はだんだんと消失するということか……「本社」などは半分以下にスリム化できるのでは?「中央官庁」も同じであります。


こんな変化の時代に大学は対応できるのか、と?

それは上に書いたとおり。

全国大学の50%から70%超(?)は「大学」とは別種の職業専門学校に衣替えをするであろうし、強制的にそうすることを迫られるものと予想する。この意味で、今年度から始まった一部多子世帯に対する「大学授業料無償化」は、現代日本の問題が視えていないという事実を露呈させた、時代に逆行した愚策だ。

「大学」というより、むしろ職業スキルの教育機関は、文科省から外し、経済産業省の所管とした上で規制を撤廃し、職業資格認定制度と併せて、有用な就業機会につなげていく方が遥かによい(はずだ)。職業につながる教育サービスである以上、市場による評価に馴染むはずだ。厚労省所管の産業分野との関連は書くのも面倒、分かり切った事なので省略。

政治家や中央官庁の堕落と機能劣化には甚だしいものがあるので、「こんな行政が・・・」というより、政府は職業教育の舞台設計から降りる方が良い。こう記して覚え書きとしたい。



人間社会は、ずっと大昔の石器時代から
智恵のある者が、智恵のない愚か者から、何もかもをむしりとる。
この実相は、人間性が同じである限り、変わらないし、今後将来も変わるまい。

人間の魂は、智恵、気概、欲望の三つから成り立つとする魂三分説をギリシアの哲学者・プラトンは唱えた。ところが、この中の智恵を補うAI(=人工知能)が登場した。人間の智恵、つまりはロゴス、言葉の優越が人工物によって砂状化しつつある社会になってきた。

しかし《優れた人間》は人間社会にはやはり必要だ(と思う)。では、今後の人間社会で優れた人間とはどんな資質をもった人間であるのか?・・・分かりませヌ。「優れた人間」そのものは変わらないと思うが、今後将来、「大衆が優れていると見る人間」とはどんな人間になるのか、小生にはまったく分かりませぬ。

うまくやって行ってほしいものだ。


AIが助けてくれるから、全ての人の生産性がアップして豊かになれるはずだ、と?

それは分からない。ただ労働者の報酬は労働市場で決まる。AIの普及は労働需要を増やすのか?誰もが懸念している事には、それなりの理由はあるのだ。

ロジカルに考えれば、AIは、AIを使う凡人に報酬を与えるのではなく、AIを所有する人間、AIを創造する頭脳にこそ利益を与える(はずだ)―もちろんAIを利用する消費者は、消費者余剰を得るという形で、より豊かな社会を享受するのは確かだ。だからと言って、多数の人がAIによって儲かるというのは、電力、自動車が登場した時と同じで、また別の話しだ。

【加筆修正:2025-07-17】

2025年7月14日月曜日

ホンノ一言: 選挙が茶番にならないためには

人の心の中は目には見えないので、中々、ホンネは分からないものである。とはいうものの、

決してその人が触れようとしない事柄は何かに注目すると、話している人が内心で怖れている事が分かる。
この鉄則は、現代社会でも相変わらず有効である。

いま参院選を控えて、どの政党もカタチだけの、というか口先だけの(?)政策論を展開しているが、 セールス・ポイントはどうやら減税やら、給付金やらの、財政ばらまき政策の提案であることに変化はないようだ。 マア、外国人問題、移民問題が足元ではクローズアップされていて、これはこれで議論を巻き起こしているようだが……

いわゆる《ばらまき》というのは、経済学的には財政赤字の拡大。《財政規律重視》というのは均衡財政志向、つまりは財政再建重視 の方向とほぼゝ同じ意味である、ここ日本では。

しかし、日本の国債依存率は、中央政府の財政に限れば、2024年度が31.5%   ―    今年度には当初予算案で24.8%に低下する見込みになっている。 これが中央政府・地方政府を含めた一般政府部門全体の公債依存率になると、2024年度が38.2%になって、やはり地方財政の赤字状況がより濃厚に反映される (以上、ChatGPT調べ)。

一口に言えば、

いま 「ばら撒き政策」を提案しているというより、日本ではずっと恒常的に財政ばら撒きを続けている。
小生は、何も急進的財政均衡主義者ではないが、客観情況としては、どう否定しても、否定しようのない現実がある。

故に、減税なり、給付金なりを提案したいなら、その財源を示す必要が政党にはあるし、新規財源がないなら、支出のどこを減額するか、 他の税目のどこを増税するかを具体的に示す義務がある。

その義務を果たしていない政党は、まず《無責任》であるし、 厳しく言えば実行困難な公約で票を集めようとしている意味で《選挙詐欺》に該当すると小生は思う。

インターネットやネット動画の普及が、暮らしの利便性を向上させている裏側で、投資詐欺、「トクリュウ(=匿名・流動型犯罪グループ)」の横行を招いている。これと同じように、民主主義社会の成立と普通選挙の実施が、往々にして、選挙詐欺、選挙不正という結果をもたらしている。人間の悪が根絶されない限り、善い社会制度が善い結果をもたらす保証はないのである。

小生が何より《小さな政府》を最も願っているのはこの点による。社会の中に同じ量だけの人間悪があるなら、その悪を民間レベルに封じ込め、制度悪、政治悪を生む機会を最小化することが「まだ我慢できる社会」を造る早道である。

 
それはともかく、
 

たとえば、消費税を減税したいというなら、所得税の増税くらいは何故提案する気にならないのだろう?高所得者の累進税率を引き上げるとでも言うべきだ。 それを言わないのは、多分、自らが高所得者であるからではないか?そんな疑いを持たれても仕方があるまい。

あるいは、なぜどの政党も金融所得課税の強化を強調しないのだろう?

配当と譲渡益を合算した収入はその他所得と合計して総合課税を選んでもよいが、投資家の多数は一律20%の分離課税を選んでいるはずである。

いま国民健康保険料に金融所得を反映する方向が検討されるようだが、その前に例えば譲渡益と配当が300万円を超える場合は総合課税を義務付ける。 これだけでも状況は随分変化するはずである。確定申告をすることになるが、AIがこれだけ進化した現代社会では、技術的困難はもはやない。証券会社のシステム改編もそれほど難しいはずがない。

あるいは別の方法として、分離課税を累進税率として、1千万円を超える場合は税率を30%に引き上げる。3千万円を超える場合は税率を50%に 引き上げる。1億円を超えれば税率70%とする。この位はやっても問題はないだろうと、個人的には感じる・・・


しかし、どの政党も決して金融課税を深堀りしようとは言わない。メディア各社も決してそれに触れようとしない。

関係者がすべて決して触れようとしない事柄に、実は議員、メディア企業経営者、有名評論家・専門家等々、いわゆる《政治関係者》が、突かれることを 内心で怖れる痛い核心がある。話しはまったく違うが、中国と中国共産党との関係も、似たような一面があるはずだ。

選挙は、時代が進むにつれて、ますます茶番化してきているが、議論するべき事柄を議論しないでおこうとする関係者に大いに問題がある。小生は そう観ております。

2025年7月12日土曜日

ホンノ一言: ト大統領の関税25%に毅然として対応せよという声が多いようだが

アメリカのトランプ大統領が日本から輸出される商品に対して25%の関税を課すると、自動車に対する関税25%はそのままだ、と。そんなレターを送って来た。

「自動車は日本経済の基幹」ということもあって、日本中が大騒ぎ(?)になっている、というより「交渉失敗」だと悲観してよいのか、「失礼だ」と激怒してよいのか、激怒してどうなるものかという諦めもあるのか

イイですよ

と、このさい開き直ってしまうTVコメンテーターも現れたりして、人によって表情はいま実に様々である。

この「イイヨ」という硬派の反応が人気(?)を高め始めているようなので、ちょっと嫌味を書いてみたくなった。

この「イイですよ、どうぞ」と語っている人たちの言い分だが、少し前までは1ドルが100円だった。それが今では140円台半ばだ。なので、アメリカに輸出する商品については、米国内販売価格($ベース)を変えていない場合、売上げ収入が5割近く増えている勘定になる。日本国内のコスト増、米国内の輸送コスト上昇などもあるので、利益の増加率となるとその分だけ下振れるが、同程度には増えているだろう。

そこに25%の関税率だ。米国内販売価格($ベース)を変更せず、関税は全て日本側がかぶるとしても、増えた利益が元に戻る程度、マイナスにはならないだろう、十分乗り越えられる・・・。どうやらそんな理屈で

関税25%、乗り越えられます。大丈夫です!

こう語る御仁はTV画面の向こうで意外と多い  —  国内の新聞はとるのを止めたので分からないが。

でも、ちょっと待って・・・これが本日投稿の主旨である(あくまでも嫌味としての投稿だ)。

このところ輸出企業の利益が増えてきたのは円安進行のためだ。

その円安は、輸出業者にとってはプラス、輸入業者にとってはマイナスだと、全てのメディアは大衆にそう説明してきたはずである。

その輸出業者のプラスが関税率引き上げで帳消し。元に戻るわけだ。とすれば、インフレという円安の負の効果のみが日本には残る理屈だ。

「イイですよ」という現時点の反応は、

日本は結局損をしただけネ。まあイイですよ。我慢しますから。

何だか拗ねているようでもあり、

もう諦めますヨ

ハッキリとこう明言する方が趣旨がよく伝わるのでないか、と感じる。

上がった関税だが、それをアメリカで転嫁すれば、アメリカの消費者は値上げに泣く。これはアメリカ国民にとって損だと日本側では話している。が、関税収入は米国政府の懐に入るのだ。

日本から見ると、価格転嫁するから採算は悪化しない。損失がないようにも思える。が、$ベース価格の値上げによって輸出台数は減る。これは¥ベース価格から期待される需要が減るのと同じだ。日本側が自動車不況に陥るのは避けられない。

一方、上がった関税をアメリカで転嫁せず、米政府に納める関税額だけ日本側が全額かぶるとすればどうか。この場合は、日本側の利益が減って、輸出採算が大いに悪化する。やはり自動車不況だ。ただ、$ベース価格は変更なく、アメリカ国内の売れ行きは変わらない。故に、アメリカ国内に生産拠点を移す直接的な動機が強まる。これがトランプ関税のそもそもの狙いだ。

米政府が関税収入を得て、日本側メーカーが販売減少か、採算悪化のいずれかで自動車不況に陥るのは二つのケースで共通している。が、事態の進行シナリオとしては複数ある。何故ここをきちんと話題にしないのだろう?どちらも「日米我慢比べ」などという状況ではないのではないか?

但し、上の予想は全て経済学で言う《部分均衡分析》だ。米国内ライバル企業の行動、ドイツ、韓国など日本以外の自動車大国に課する関税がどうなるか?これらも無視できない要因だ。


関税はいわゆる《保護貿易政策》である。自由貿易を是とすれば保護貿易は邪道という理屈になるが、実際には「戦略的保護貿易」で経済発展に成功した例は、歴史上、多数ある。

アメリカ国民がこれから苦しみます。ここは日米我慢比べです。

ノー天気に語っている解説者は、端的に言って阿呆に見えます。ニュース解説なら、もっと真面目にやったほうが良いと思うのだが・・・


2025年7月10日木曜日

断想: カントの道徳哲学から離れたのは

カントの『道徳形而上学原論』は学部時代に履修した「倫理学」の授業のテキストだった。担当教官の名前は忘却した。しかし、当時の小生にとって上のテキストは難物中の難物であり、倫理学なる学問分野はこれほどまでに訳の分からないものなのかと、呆れかえったものだ。試験は、テキストに関する記述式の問題だと記憶しているが、小生はまったく関係のない本について自問自答式のエッセーのような駄文を以て答案とした。実に不真面目な学生であった。にも拘わらず、成績は<C(=可)>で単位を認定してもらったことは今なお感謝している。

しかし、分からないまでも目を通した本というのは、後になってから再読したくなるもので、これは不思議な心理だが、事実だから仕方がない。このテキストの冒頭にある

„Es ist überall nichts in der Welt zu denken möglich, was ohne Einschränkung für gut gehalten werden könnte, als allein ein guter Wille.“

この世の中で、無制限に善いものと見なすことができるものは、ただ善意志のみである。

この書き出しに感動を覚えたのは、かなりの年数がたってから、再読したときである。

なので、道徳的価値については、経済学を専門にした立場からは結果重視の功利主義を是としつつも、カント的な善悪観に深い共感をもって過ごして来たわけで、こんな風だから例えば西田幾多郎の『善の研究』についても「そりゃ、そうだ」といった反応をしたのだと思う。

しかし、最近になってから、カント的な「善意志主義」には深い疑問を感じるようになった。というのは、上のテキストやカントの『実践理性批判』もそうだと理解しているが、いわゆる《煩悩》によって人間理性は常に曇っている点に、考察の光が(ほとんど?)当てられていないからである。というか、カント哲学やドイツ観念論哲学において、人間の《煩悩》を真剣に、深く考察している跡はない。

人間の善意志には常に自己中心的な汚れ(=染汚ぜんま)が煩悩として付着するものだ

考える自己(=自我)と考えられる対象(=外界)とが対立しているという対立構造こそが、人間の心に煩悩が生じる根本的な原因である。この事をエクスプリシットに問題にしている点ではカントの倫理学よりはインド・世親が完成した唯識論が精密である。

ギリシアのプラトンには悪によって人間は最終的な幸福を得ることはできないという思想があった。輪廻と再生を通して行為の倫理的価値が現実化すると考えられていたわけで、この点では、唯識論が想定する阿頼耶識が異熟するのとほぼ同一で、ある意味で理路一貫していたわけである。

カントは最初の『純粋理性批判』において、純粋理性の到達範囲を限定的に規定してしまった。そこで実践理性なるものが出てきたのだと思うが、《人間悪》を《善意志》と同時に議論しなければならなかったと今になって思っている。

浄土系仏教の根本経典である『無量寿経』の下巻では、人間の悪についてこれでもかという程に文章化されている。こういう側面がカント、というか近代西洋哲学を啓いたデカルトと言うべきかもしれないが、乏しい。

2025年7月8日火曜日

ホンノ一言: 今度の「参院選」、知っている中で最も下らない選挙です

今月予定されている参議院選挙。小生が経験した中では最低レベル。最も下らない選挙になりつつある。情けない選挙だ。

文字通り、涙コボルル

だねえ、というところです。


大体、マスメディアが争点にしている《給付金 vs 減税》。

あの報道の仕方は何ダイ?

この一言につきる。

そもそも物価高対策といっても、重要論点になっているのは食料品、エネルギーなど必需財である。特に食料品価格の高止まりは日本の家計のエンゲル係数にも明瞭に現れている  ―  数字を盲目的に受け取るべきでないことは投稿済みだが、それでも家計のやりくりに相当の影響が出ている事は、小生も日常的に体感しているところだ。


食料品を下げるなら消費税率を下げればよい。この理屈は分かる。であれば、輸入食料品に日本政府が課している関税率を下げればよいと、こう提案する政党が何故一つもないのだろうか?

下げられるのは消費税だけではない。関税だって下げられるのだ。何故?

こんな疑問をなぜ誰も口にしないのか?七不思議であります。


牛肉、豚肉などは安倍内閣による《TPP協定》(及びTPPに代わる日米貿易協定)のお陰で、ほぼゝ関税障壁ゼロの状態に向かいつつある。日本国内の消費者でこの事を感謝している人がどの位いるのだろうか?もしTPP(及び日米貿易協定)なかりせば、牛肉事情、豚肉事情がどうなっていたか、想像したことがあるのだろうか?

他方、コメには極度に高い関税率がかかっているのは、最近のTV報道でも話題になっている  ―  それを批判する声が高まらないのは七不思議だが。

しかし、コメだけではない。小麦、大麦、脱脂粉乳、バター、澱粉、砂糖、豆類、そしてコンニャクイモにも200%超の高関税率が課されている。いわゆる《200%超の高関税品目》というリストで、食品加工業での利用を考えると、日本にとっての主要農産物でもある。

特にこんにゃく芋にかかっている関税率など、天文学的な高関税率で、こんな税率が世界で認められていること自体が、先進国(?)の中では例外的であろう。最近でこそ米の暴騰で関税を支払ってでもアメリカからコメを輸入する採算が取れ始めているが、これまでは正に「輸入禁止的関税率」そのものであったわけだ。

つまり

《200%超の高関税農産物》を牛肉・豚肉並みの関税率に引き下げるだけで、極めて強い食料品価格値下げ効果が期待できる。

例えば、コメの枠外輸入に課している341円/キロを小麦の55円/キロにまで引き下げるのは無理としても、半分の170円/キロに引き下げると、どうなるか?

例えば、いま急増している「カルローズ米」を考えて見たまえ。政府にはカルローズ米輸入の関税がおさめられているのだ。税収増だ。それでも消費者にとってはウェルカムなのである。更に国内販売米価を下げれば、もっと売れるだろう。消費者には嬉しく、財政が悪化するわけでもない。財政が悪化しないから、どこかを削る必要もない。

実際、ChatGPTで予測してもらうと

関税を 170 円/kg に引き下げても、輸入が「洪水」のように増えるわけではなく、最も起こりやすいシナリオでも 年間10万トン前後の上積み に留まる見込みです。これは(筆者追加:当面は)消費量の 2 % 程度で、市場を大きく揺るがすには追加の規制緩和や消費者嗜好の変化が不可欠と言えるでしょう。

こんな回答だ。米価は下がるが、国内農家も効率化されるので、輸入激増とはならないわけである。まさに事前の予想のとおり。牛肉自由化後の和牛事情を見るにつけても、日本のコメ作りを揺るがす打撃にはならない。農家、というより日本の農業にとって怖れるほどの打撃にはならない(と思われる)。むしろカンフル剤となるであろう。

お隣の韓国は、米韓貿易協定でほとんどの農産物に課していた関税を撤廃したが、米だけは撤廃対象から外している。それでも韓国は、年間で40万トンの米をWTOの関税割当制度の下で海外から輸入し、うち13万トンはアメリカ米であるということだ(ChatGPT調べ)。韓国もアメリカとの関税交渉で苦戦していると伝えられているが、もはや譲る所がなくて困っているかもしれない。

日本は韓国に比べれば、まだ譲るべき所がいくつか残っているだけマシであるともいえる。


なぜこうした効果のある政策を選挙で公約する政党が現われないのか?それは(いまの)農家に打撃となるからである。

恨みを買いたくないという《動物的本能》が与野党含めて全ての政党を支配している。

安いコメを輸入すれば、確かにコメ作り農家は困るだろう。特に非効率、低能率の兼業農家は困る。低コストで安いコメを大量に作れないからだ。ある政党はそんな農家の味方になるはずだ。しかし、農業とは関係のない他の消費者は全員が助かるのだ。消費者だけではない。その消費者を雇用している非農業企業にとってもウェルカムである。なぜなら賃上げ圧力がその分弱まるからである。非農業・消費者世帯の味方をする政党が現われてもよい理屈だ。

しかし、そんな政党は出てこない。

「政治を目指す」という輩は、どうやら困る人を出したくないという妄念に支配されているらしいのだ、な。

思うのだが、これでは《政治》に取り組む資質に欠けている。

故に、大半の候補者は資質にも覚悟にも欠ける大根役者で、選んで投票するのも、実に下らないのだ。



消費税率引き下げも、国民の全てに恩恵がまんべんなく及ぶわけではない。税収が減る以上は、どこかにマイナスの影響が現われる。小生は、年金保険料、医療保険料、介護保険料のやむなき引上げに追い込まれると予想している。そうでなければ、保険診療、介護サービスの低下、年金の減額、介護職員の処遇の劣化という結果も(可能性としては大いに)ありうる。

しかも、消費税率引き下げによる物価安は一過的で、需要を刺激することから、やがて物価は再び上がると予想するのが学理的には常識だ。このとき、また消費税率を下げるのか?このシナリオは、かつてギリシアが辿ったみちであることをいま誰が話しているのだろう?

農産物に対する関税率引き下げの場合、(上述したように)政府の揚超か、せいぜいが中立的だと(小生は)思う。とすれば、財政は悪化せず、インフレ圧力にはならない。円レートへの影響は・・・後で、ChatGPTに予測させよう。


いずれにせよ、高齢のコメ作り農家の怒りを怖がっている政党が、退職高齢者や入院患者の怒りなら平チャラだという、そんなロジックはない。選挙が終わってしまえば、必ず四方八方に忖度して、公約を反故にするのは明々白々であろう。


有権者は自らに都合の良い政策を求めれば良いのであって、アメリカのカルローズ米を買えば、日本のコメ作り農家に悪いのではないかと心配する必要など全くない。そうなれば、そうなればで、どう対応するかはコメ作り農家が戦略をたてれば良いことだ。アメリカ牛肉を買うときに、日本の国内業者のことを心配する人はいないはずだ。吉野家がアメリカ牛で牛丼を作っているからと言って、国内産牛肉を使えよとクレームをつける人はいない。同じことである。


やれば出来る事をなぜ政治家は提案しないのだろう?

これが小生には七不思議でありまして、各政党の幹部の頭脳のレベル、及び度胸と胆力、誠実さを疑っているものであります。


最後にもう一言。

消費税減税の財源として、岸田政権が約束した防衛費倍増の撤回を、なぜ野党は公約しないのであろうか?

これも小生には解けない難問であります。対米外交を重視したいなら、トランプ政権の要求に沿って農産物市場を開放しながら関税障壁を相互になくしていくのが理屈だろう。安全保障、軍事費拡大を志向しているなら、減税を提案するなど、下策であります。

マア、とにかく、今回の参院選は「下らない」の一言であります。

【加筆修正:2025-07-09、07-10、07-12】



2025年7月6日日曜日

ホンノ一言: ロ対ウ、中国が中立でないと日本が騒いでもしょうもないと感じるが

スマホでLINEニュースを何気に閲覧していると、中国の王毅外相が欧州連合(EU)のカラス外交安全保障上級代表に対して

中国政府としてはロシアがウクライナとの戦争に敗れる事態は受け入れられない

こう伝えたという記事が目に入った。

そりゃそうでしょう

と小生は思った。ところが、同じ記事を読んでいくと、

ウクライナ戦争での中立を掲げる中国政府の公の立場とは相反する発言となる。

こう書かれている。これは記事を書いた記者自身の意見になる。

この記者は理屈というのが分からない人なんだネエ

と感じた次第。


単純なことだ。

ロシアが敗れるというのはウクライナが勝利するということだ。それは望まないというのが中国政府の立場ということだ。しかし、「ウクライナが勝利しない」イコール「ロシアの勝利・ウクライナの降伏」ではない。

《中立》というのは、戦争当事国のいずれの側の勝利も願うものではない、故にいずれをも支援しない。これが元の意味である。

中国政府がロシアを暗々裏に支援している事は周知の事実と言ってもよい。だから、中国がロシア・シンパであることは明々白々だ。

だからと言って、ロシアの勝利、ウクライナの降伏を望んでいるかといえば、それは違うような気がするのだ、な。


つまりは《終戦》ではなく《和睦》。これが中国の願望であろう  —  そのために何が出来るか、何をしているか、何をしようと考えているかは、また別だが、ロシア有利の停戦を望んでいるのは確実だと思われる。ロシアが体力を残したまま有利な形で停戦をするが、ウクライナは残り、不和の火種が残り、テロが続発し、ロシアは手こずる。ロシアの財政を圧迫する。北京政府にとって、こんな情勢が悪いはずはない。

案外、ロ対ウの戦争に関しては、アメリカのト大統領と中国の北京政府の目標観は意外と重なる部分がある。少なくとも相互排除的な関係性にはない。そんな気もするのだ、な。


戦争継続を望んでいるのは、むしろ(今に至っては)ウ国の大統領もそうだが、欧州であろう、と。つまり停戦後のロシアの復讐、欧州の締めあげが怖いので、この際プーチン政権の息の根を止めたい。こんな《恐露心理》が蔓延しているのでありましょう。自ら好んで火に飛び込んだ、と言うしかありませんが・・・

「フランス革命」以来、「国民国家」を建設した西欧先進国を中心に「自由と民主主義こそ理想なのである」と叫び続けてきたのだが、それなら何故こんな事態になっているのか?

どこかの何かが間違っている……、何だか今のヨーロッパ(EU)は氷山と衝突したあとのタイタニック号を連想させる……


いま21世紀の世界で言えることは、多数の独立した武装国家が併存する中で、どちらかの陣営が無条件降伏するまで戦う20世紀型の戦争をやっていては、もう世界がもたないということだろう。

世界には《最終調停機関》が存在しない以上、戦争は頻発する。しかし、「陣営」はつくらず、当事者の勝手にまかせる。戦争を拡大させない。こんな姿勢をとろうと思えばとれる。であれば、日本(中国も?)の戦国時代、ヨーロッパの中世から近世にかけての《限定戦争モデル》に近い。戦争は紛争当事国の政治意志の延長として観るのがよいということだ。

戦争の目的に敵国の消滅を含めても此方側の犠牲が増えるだけである。戦争目的を達成すれば十分だ……、小生はこんな時代にノスタルジアを感じる。生まれてもいないのに、ノスタルジアも何もないのだが……。

このモデルに《核武装》という選択肢が触媒になるのか、リスクになるのか、これは専門家ではないので、確かなことは書けない。

前にも一度書いた記憶(例えばこれ)があるが、こんな方向を個人的には希望しているし、いやでもこうなっていくのではないかと予想している。

大体、こう観ている所であります。

ちなみに、上のような「限定戦争モデル」が支配的な時代においては、いわゆる《民主主義》、《国民国家》という統治モデルは、適していない(ような気がする)。が、これはまた、別の機会に。

【加筆修正:2025-07-07】

2025年7月3日木曜日

断想: 「選挙」は「茶番」?「詐欺」?騙される方が悪いの?

今月の参議院選挙が公示された。各政党は公約をまとめてアピールしている。TV、新聞のマスメディアはそのまま報道している。

これ位なら中学生でも作文できるネエ … …

と思いつつ、観ている。



試しにChatGPT(のモデル"o4-mini")に次の問いかけをしてみた。

ある政党に勤務しています。今月の参議院選挙に向けた重点公約を決めたいと思います。5項目にまとめることは出来ますか?リベラル派の価値観を強く出したいのです。

ChatGPTの回答をコピーしておこう:

以下のように、リベラル派の価値観を色濃く打ち出す重点公約を5項目にまとめてみました。党内での議論のたたき台としてご活用ください。

  1. すべての人の尊厳と多様性を守る社会の実現

    • 性別、LGBTQ+、障がい、外国籍などにかかわらず、あらゆる個人の人権を徹底的に保護・尊重します。

    • 差別禁止法の制定・改正や、ダイバーシティ教育の充実を推進します。

  2. 安心して暮らせる社会保障の強化

    • 子育て世代・高齢者・障がい者など、ライフステージや事情に応じた手厚いセーフティネットを構築します。

    • 保育・介護・医療の公的負担を拡充し、給付型奨学金やベーシックインカムの検討も視野に入れます。

  3. 気候危機を正面から捉えた環境・エネルギー政策

    • 2030年までに温室効果ガスを▲60%削減、2050年カーボンニュートラルを見据えます。

    • 再生可能エネルギー投資の急拡大と脱原発・脱石炭のロードマップを公表します。

  4. デジタル自由とプライバシーの保護

    • デジタル社会における国民の情報自己決定権を明文化し、ビッグデータ利用の透明化・監視を強化します。

    • オンライン・ハラスメント対策や、選挙でのSNS利用ルール整備で、健全な言論空間を守ります。

  5. 政治の透明性・参加促進と世代間連帯

    • 政党助成金・企業献金の公開制限撤廃、立法過程のオンライン公開・国民投票の拡充など、政治プロセスの開かれた化を推し進めます。

    • 若者・女性・地方在住者の政治参画支援策を講じ、次世代への責任を果たします。


これら5項目を基軸に、党として具体的な政策提言や数値目標を詰めていくと、リベラルらしいメッセージを選挙公約としてしっかり打ち出せるかと思います。ご検討ください。


★ 


これでも好いが、いま議論されている消費税をどうするかにも言及したい。そこで次の依頼をした:

いま議論されている「消費税をどうするか」にも触れたいのです。もう1項目増やして、どんな公約にすればいいか考えて下さい。

すると1項目増えた次のような回答が得られた:


消費税をめぐる議論を反映し、累進性や社会保障充実と結びつけたリベラル色の強い公約を6項目目として追加しました。

  1. すべての人の尊厳と多様性を守る社会の実現
    – 性別、LGBTQ+、障がい、外国籍などにかかわらず、あらゆる個人の人権を徹底的に保護・尊重。
    – 差別禁止法の制定・改正や、ダイバーシティ教育の充実を推進。

  2. 安心して暮らせる社会保障の強化
    – 子育て世代・高齢者・障がい者など、ライフステージに応じた手厚いセーフティネットを構築。
    – 保育・介護・医療の公的負担拡充、給付型奨学金やベーシックインカムの検討を視野に。

  3. 気候危機を正面から捉えた環境・エネルギー政策
    – 2030年までに温室効果ガス▲60%、2050年カーボンニュートラルを達成。
    – 再生可能エネルギー投資の急拡大と脱原発・脱石炭の明確なロードマップを提示。

  4. デジタル自由とプライバシーの保護
    – デジタル社会における情報自己決定権を明文化し、ビッグデータ利用の透明化・監視を強化。
    – オンライン・ハラスメント対策、選挙でのSNS利用ルール整備で健全な言論空間を守る。

  5. 政治の透明性・参加促進と世代間連帯
    – 政党助成金・企業献金の全面公開、立法過程のオンライン公開・国民投票拡充で開かれた政治を実現。
    – 若者・女性・地方在住者の政治参画支援策を講じ、次世代への責任を果たす。

  6. 消費税の見直しと公平な税制改革
    – 基本的な生活必需品(食品・医療・教育関連など)への軽減税率の適用を徹底し、低所得層への負担軽減を図る。
    – 高所得層・大企業への課税強化を併せて進め、消費税依存からの脱却と累進性のある税制を構築。
    – 消費税収を社会保障・子育て支援・気候対策といった共通財源に優先的に振り向ける仕組みを制度化。


この6項目をベースに、具体的な数値目標やスケジュール、関連法改正案などを詰めていくことで、リベラル派ならではの一貫したメッセージとして選挙公約にまとめられるかと思います。ご検討ください。 



高名な歴史家にして歴史人口学者である仏人・エマニュエル=トッドは、現代の民主主義国における《選挙》は《茶番》であると言明している  ―  先日もこれに触れた。

「帝国」、「圧制」がまだなお世界でゾンビの如く跋扈していた20世紀初期という時点であれば、確かに「普通選挙」には大きな歴史的意義があったのだろう。

しかし、時代は変わった。昔と今は別世界である。いまは利益目当ての《選挙ビジネス》が隆盛を極めている世相である。抑圧的な昔も鬱陶しい世界だったろうが、現代世界も下らない世界だと感じるときは多い。

高給や箔付けが魅力なのか、当選すること自体を目的とする候補者が当選する仕掛けになってきている。当選しても政治など出来ているはずもない御仁が看板だけは政治家を名乗る。

公約などは(上のように)適当なAIを駆使すれば、即座に作文してくれる。大衆を騙すのは低コストかつ効率的に誰もが少人数で出来るのである。

ネット詐欺、投資詐欺もそうだが、騙されている事に気づくのは難しい。騙すためのツールがそろっているのだ。しかも、どんどん進化している。



こんな時代で《政党政治》を健全に運営していくには、幾つかの制度改革が必要だろう。

政党が政党交付金の支給対象になる要件として、

  • 国会議員を5人以上有すること
  • 国会議員を1人以上有し、かつ、以下のいずれかの選挙で全国を通じた得票率が2%以上であること

- 前回の衆議院議員総選挙(小選挙区または比例代表)

- 前回または前々回の参議院議員通常選挙(選挙区または比例代表)
  • 等々

が政党助成法で明記されている(そうだ。実はこれもChatGPTに教えてもらった)。

既存要件に加えて次のことを追加するべきだろう:
国際社会と日本の長期展望を示したうえで、外交及び安全保障、財政、税制、マクロ経済政策、産業政策等の経済政策、社会保障政策、教育及び労働政策に関連する総合的な政策パッケージを数値的根拠と併せて公開すること。
政党を「政治結社」にするわけだ。言葉の定義上、「政党」として当たり前の事柄だと思う。「総合的ヴィジョンと政策」を公開しない政党は、たとえ一定数の得票、国会議員数を確保しても「政党交付金の不交付団体」であることを公示の際に明記させる。

これを提案したいですネエ・・・それでも優秀なAIなら作ってしまいそうですが、・・・政党がヴィジョンに縛られるのだから、それでもイイでしょう。

「創憲」……、実に結構。では具体的に、どんな政策を実行して、国際社会と折り合いをつけながら、国造りとするのか、ということだ。


こうすれば、政党交付金の一部は、真っ当な政策綱領の研究、立案に使われるはずだ。政党の外郭に研究グループが形成されるかもしれない。AIに公約を作文させるなどの《選挙詐欺》も防げるはずである。


多分、小党分立状況になるので、連立に向けた協議が選挙後に行われるだろう。ドイツ的な政治情況である。各政党はヴィジョンに縛られる。だから、連立協議成立後の文書交換で、政権の基本方針を公開すればイイ。

従来型の、というか「選挙互助会」型の党は、後援会が助けて、政党交付金なしで、これまで通りに活動すれば、それでよい。員数合わせというか、穴埋めとして融通無碍に活用できる。

そうすれば、日本の政党もアメリカ、欧州の政党のレベルに近付くかもしれない。いま日本の自民党や立憲民主党とイギリスの保守党、アメリカの民主党を比べることは、日本の兼業農家とアメリカ・イリノイ州で大規模に大豆生産をしている農業事業者を比べるようなものだ。そのアメリカ、イギリスでも、当選する首長、議員達の知的劣化は甚だしいということですが・・・


2025年7月2日水曜日

ホンノ一言: 今は不況ではないが、不安は高まるばかり、というのが正当な判断か

ホリエモンこと堀江貴文氏が「いまは不況とは言えないでしょう」とネットで発信したところ、「不況だろうが」といった感覚の反論が寄せられたのに対して、「あなただけなんじゃないの?」と切り返したそうで、それで巷では結構な論議になっている由。

《いまは不況か、不況でないのか?》というのは、主観・客観が入り混じる領域でずっと以前から論争・迷走が絶えない分野である。

堀江氏が「いまは不況とは言えんでしょう」というのは、客観的にはその通りであって、そもそも今はインフレである。「失われた30年の間」、日本が悩んできたのは需要不足であり、それに由来するデフレであった。いまはその反対のインフレだ。かつ「空前の人出不足」だ。インフレと人出不足の時代、どこが不況なのかというのは、客観的判断として完全に正しい。

実際、仕事に就けない人の割合、つまり完全失業率はいま歴史的低水準にある。

直近ではリーマン危機の翌年、日本の失業率は5.5%のピークを形成した。それが今では2.5%で低位安定している。

公的統計のポータルサイト"e-Stat"から失業率がピークであった2009年7月前後の図をコピーしておこう。


不況は雇用状況に現れるから、

少なくとも今は不況ではない。

これがまず第一のポイント。


とはいえ、現在、米トランプ政権と関税交渉を続けている真っ最中である。折しも、今日になって日本との交渉は打ち切りとの見通しが報道され始めている。日本には30%の関税を課すとト大統領は発信しているそうだ。もしこのまま実行されれば、日本の自動車産業は大打撃を受けるのは必至で、関連産業を含めれば、500万人から600万人の雇用者が影響を受けるだろう(就業者数については例えばこれを参照)。

この懸念があるのかないのか、足元の景気動向指数は特に先行系列が低下を続けている。緑の折れ線が先行系列で、一致系列の動きと比較している。



Source: Get and Draw Japan's Composite Index

故に、

今は不況ではないが、この先半年、1年、2年となれば、極めて心配である。

不安を高めている人は多いはずだ。物価は高止まりしているのに、不況が来たらどうしよう、というわけだ。


交渉失敗の主因は、日本が農業部門、さらには鉱物資源、軍事産業も含まれるかもしれないが、思い切った譲歩をしていないという点にあるのは、政府説明でもメディア報道でも何も明らかになってはいないが、背景としては分かり切っている。

確かに、相手の非を主張するばかりで、取引(=deal)をする姿勢を見せないなら、ト大統領も怒るだろう。相手の方が強いのだから、怒らせてしまえば当方の失敗だ。

与党は農家票の離反を怖れて、農業部門でのいかなる譲歩も拒んでいるはずである。

農家を守って、自動車産業を生贄にするか。

日本の農業人口は100万人程度に過ぎない(例えばこれを参照)。

ところが、「日本農業新聞」によれば、

訪問系の関係人口のうち、水路周辺の草刈りや援農などに取り組む「直接寄与型」は約437万人、通いで農業を行うなどの「就労型」は約105万人。この二つの型は、特に地域と結び付きが強く、合わせて約542万人に上った。

どうやら農業関係人口も500万人から600万人程度と見込まれる。自動車関連産業とドッコイ、ドッコイだ。更に、直接間接に農村と関係する総人口は、2000万人を超えて日本の総人口の約2割を占めるという……、本当カナとは思うのだが、確かにこれでは農業関係者の「総スカン」を食らうというのは自民党にとっての悪夢であろう  —  野党にとっては好機(?)かもしれないが(それとも厄介者?)。しかし、これを言うなら、金属、一般機械など直接・間接に自動車産業と取引のある産業は、製造業だけにとどまらず、日本経済のほぼ全域を占めると言っても過言ではない。

外交戦略、経済戦略の観点に立つときは

問題の本質は、非能率で高コスト体質にある農業にある以上、農業の国際競争力を高める方向こそ国益にかなう。(日本経済の)スター選手は今もなお製造業であり、現在の農業は高齢化でヨボヨボになった引退直前のベテラン選手である。

何をすれば善いかは明らかではないか……、こう考えるのがロジカルだが、

経済のロジック、経済の合理性は「選挙」のある政治のロジックとは違う。

これまた認めなくてはならない現実だ。

うまくやっていってほしいネエ・・・

日本人は機会主義的であるという投稿が足元では読まれているようだが、機会主義者が前に進むには「戦略」ではなく「好機」がいる。チャンスが欲しい。つまり猫にとっての魚である。七輪の前で魚の番をしている人、油断してるかナ・・・。こんなノリだ。その好機が逃げて行った。『嗚呼、天は我らを見放したか!』、機会主義者には戦略的敗北はない、そもそも戦略を持っていないからだ。敗北ではなく不運がある。正に"Curiosity killed the cat"である。邪悪な戦略家でなく、単なる機会主義者であっても、悲劇の主人公になることは(往々にして)あるのだ。

何をすればイイのか、思案にあまる。これまでの日本の歴史にこんな状況が何度訪れたことだろう?今回はどうなるだろうか?確かにこれも不安要素だ。

不安イコール不況

案外、いまの大衆心理はこんなところかもしれない。魚が逃げていけば、猫は落胆し、落胆するが故に、不況感を感じる・・・経済学ではないが、社会心理学的な「不況」も研究テーマとしては面白いかもしれない。


【加筆修正:2025ー07ー03】