2020年3月15日日曜日

一言メモ: 「世論」を知るにはフィルタリングが必要だ

「ネット世論」とは
ネット世論=投稿合計-デマ投稿
として定義されるだろう。

ネット投稿のかなりの部分は個人ベースで公開されているブログが占めている。今ではツイッター、フェースブックなどSNSの投稿がブログの情報量を超えているかもしれない。

本来、ブログとはウェブログ(WebLog)であって、簡単に言えば「紙に鉛筆で書く日記の代わりに、ネットにメモをして保存した作業日誌」のことである。だから、他人の目に触れるものでは本来はないし、ましてブログを不特定多数の人々に読んでもらって、世論を喚起したい、そんな狙いをもって書かれるものは「ブログ」ではない。

このブログも100パーセント、メモである。公開しているのは、限定公開範囲を設けるのが面倒くさいからだ。

旧世代に属する小生は、広く社会に公表する書き物なら、原則として(編集局長かレフェリー等による)審査を受けるべきだと思っている。理由は簡単で、書いていることが嘘か本当か分からないからである。書いた内容の真偽に書き手は責任を持つべきだと思っている。伝聞なら「〇〇氏からの伝聞だ」と明記すべきだと思っている。そうすれば情報元が保存されるからだ。

学問分野では「自由な議論」が不可欠だが、自由だからといって誰でもいつでも意見を公開できるわけではない。例えば、マシンラーニング分野の専門家が頻繁に利用している無査読論文公開サイト"arXiv.com"がある。論文の体裁をとればサブミットできるのだが、しかし余りに低品質で信頼できないと判定されれば既に投稿された論文であっても削除される仕組みだ。

情報提供を業務とする企業・組織は、明らかなデマは情報ではないが故に、デマと判定する投稿は削除するべきだというロジックはここから出てくる。フェースブックもこの方向に沿って努力するようになった。「表現の自由」とは「嘘をつく自由」とは違う。

いまSNS企業に求められているのは、自社のネットワーク品質のマネジメントである。「表現の自由」と「公益」とが対立している。どのような方法で「社会的な絆」を守るのか。守るためにバランスをどうとるのか。これが経営課題になっている。そんな先鋭的な問題意識はまだ日本国内では成熟していない。

★ ★ ★

「△△とは本当か?」というタイトルの投稿は大半が低品質である、そんな印象が小生の中では形成されている。これがバイアスであったり、偏見であれば、むしろ幸いなことだ。かと思うと、「……、やはり最悪の事を考えておく必要がありますから」と言いたいだけの記事も結構ティピカルである。「真の意味で」最悪の事を考えているなら、そもそも呑気に文章などは書いている余裕もないわけである。

こんなパターン化された投稿の元サイトに辿って行って、そこに多数の広告が掲載されているとすれば、それは閲覧数を目的とした営利動機による執筆であることは明白だと判定し、中身は読まない。

そんな<ほぼほぼデマ>に接すると、せめて「いいね」や「賛成/反対」などの評価ボタンがないかと探すのだが、大体においてそんな評価の機会は備わっていない。

ブログは、本来は世論を形成するツールではなかったはずだが、もし世論形成に寄与する目的で投稿をするなら、投稿を受理するサイトはその投稿を評価する仕組みをつくっておくべきだ。この辺の違いがブログサイトを差別化するファクターになるに違いない。

社会の中の活動は、それが企業活動であれ、フリーマーケットであれ、違いが差別化の因子となり、優勝劣敗が進むものである。これが偶には『悪貨が良貨を駆逐する』ケースもありうるわけで、デマの拡散とは即ち「情報における優勝劣敗の例外的ケース」に該当する。なぜこんな事象が起きることがあるのか。これもまた学問的には面白いテーマだろう。

2020年3月14日土曜日

一言メモ: 「年金お知らせ便」よりも大事な「お願い」があるのでは

新型コロナ・ウイルスの特性は段々と明らかになりつつある。

乳幼児、若年層の多くは概ね無症状・軽症のまま治るが、高齢層は重症化しやすく、致死率も高い。若年層でも持病がある人は重篤化しやすい。大枠はこんなところだ。

新型コロナに対するワクチン開発を進めている専門家には『人類の60~70パーセントは新型コロナウイルスに罹患する』という見通しを述べる向きもある。Dr. Richard Hatchettである。ドイツのメルケル首相も同様のことを語っている。何日か前は『人類の40パーセントは感染する』という程度だったから、その後の拡大で長期的感染率の見通しも上方修正されたのだろう。

今回の新型ウイルスは、高齢者には怖いが、そうではない年齢層にとっては普通の風邪とほぼ同じだ。医療システム制御で凡ミスさえ犯さなければ、大半の人にとっては怖いという感覚をもつ必要はまったくない。年齢層の間の致死率の違いが非常に大きい。体質によって発症の度合いにばらつきが非常にある。そんな特性がある。

このようなウイルスの特性と長期的な感染見通しに基づいて、どう対応するのが社会的に合理的であるのか。この辺りが今後次第に定まってくると予想している。

そこで個人的な予想を覚え書として書いておきたい ― そういえば、東日本大震災直後も、その時点で予想できたことを書いておいたのだが、半分以上はまだ実現していない(参考はこれ)。なので、以下に書くことの半分も実現されないかもしれない。


  1. 社会の基盤である生産活動は(基本的に)再開されるはずである。発症し感染が疑われる場合は検査を行い陽性の場合は自宅待機とするのはインフルエンザと同様に対応する。こんな方式になると予想する。
  2. 但し、クラスター形成の確率が非常に高くなる活動、つまり下図の3条件を満たす活動は時限的に、例えば1年間程度は禁止もしくは自粛要請されたり、あるいは入場時の体温チェックが義務付けられるのではないか ― 具体的にどの分野、施設で何が求められるかは、ちょうど「軽減税率」対象品目を指定するのと似ていて、恣意性が混じるのは仕方がないが。もしその間に喪失所得が発生するなら、幾ばくかの所得補償が失業保険と併用しながら別に立案されるだろう。
  3. 感染者が自宅で発生した時の「自宅待機」のあり方が最も重要になる。例えば『新型コロナウイルス感染者の自宅待機に関する行動指針』が感染者本人、家族への「お願い」として国内全世帯に郵送配布されるのではないか。日本人は公的な方針に従うことが好きである。全世帯配布は『年金お知らせ便』と同じである。
  4. マスク、アルコール消毒スプレー・ジェル、うがい薬などの適切な使用法なども「お願い」の中で記述されるはずである。
  5. 『接客に際する行動指針』、『勤務に際する行動指針』も必要かもしれない。
  6. 当面1か月、3か月、1年、ワクチン製造の目途がたつまでの2年程度までに分けて、<緩慢な感染拡大>と<死亡数の極小化>を担保するための戦略見通しがメディアを通して伝えられるだろう。
  7. その間の経済対策などは当然上の戦略と併せて示されるはずである。


大体、3月下旬から4月、遅れれば今年のゴールデン・ウィークにかけて、こんな風に物事は進行すると観る。

世間の期待も概ねこんな所ではないだろうか。実際、うちのカミさんとはこんな話を毎日している。現実に関係業務を担当している中央省庁、自治体の職員ならその話しばかりだろう。

ということは、現実の進行が世間に潜在している期待に満たない場合には、政治・経済・社会の各側面で相当激しいバックラッシュが発生するだろう ― 戦略、戦術でミスをすれば強固にみえた日米の政権も夏が過ぎれば実質的に終わっているかもしれない。

社会的に、受け入れることは受け入れ、覚悟することは覚悟し、犠牲を総合的に最小化する合理的戦略を固める時期にそろそろさしかかっている、と観る。パンデミックの中で経済と暮らしの破綻を回避し、新型ウイルスとの戦いを進めるには、まずは犠牲の増大を覚悟しながらも、その最小化を図るのが公益につながる最適戦略である理屈だ。

ワクチンが開発されるまでは「緩やかな感染拡大」を致し方のない現象として受け入れることから、高齢者には厳しい局面が続くことになる。とはいえ、感染拡大は免疫の拡大でもある。「新型ウイルス」の登場は今後将来も予想されることだ。新型ウイルスに対して抗体を形成する能力は年齢と共に衰える。高齢者は何によらず「新型」に慣れにくいものなのだ。今回のようなステージは自然災害と同じく繰り返されるものだ。であるが故に、最適反応戦略は必ずある。公式の「お願い」、というか「行動指針」が要るだろう。

かなりの部分でこのように進んでいくのではないかと予想する。

2020年3月10日火曜日

どのタイプの株価大暴落になるか?

昨日のNY株価は2013.76ドルというウォール街史上最大の下げ幅を記録した。下落率でいえば7.79%である。

NY株式市場の歴史に残る株価大暴落としては三つが挙げられている。

  1. 1929年10月の「世界大恐慌」
  2. 1987年10月の「ブラックマンデー」
  3. 2008年9月の「リーマンショック」

この三つである。

1929年の世界大恐慌は何波にも渡って株価大暴落が津波のように押し寄せ、長期低落が底を打った1932年7月の時点でダウ平均株価は29年9月の最高値から90%下落していた。29年10月28日の月曜日の下落率12.8%も、長期低落率90%のいずれも文字通り歴史的である。ダウ平均株価が最高値に戻るまで25年を要した。

1987年10月19日のブラックマンデーは景気回復途上で唐突に発生した大暴落であった。この日のダウ平均の下落率は22.6%で、これはまだなお史上最大の下落率である。14日の取引開始から19日の取引終了までダウ平均は31%の急落を演じた。しかしながら、その後市場は平静をとり戻し、約2年後の1987年8月には株価は元の水準に戻った。

2008年9月のリーマンショックはまだ記憶に新しい。リーマン・ブラザーズ破綻の影響を憂慮して提出された「緊急経済安定化法案」が9月29日に下院で否決されると — その時の下院議長もいまトランプ大統領と対立しているナンシー・ペロシである ― その日のダウ平均は(その時点の)史上最大の下げ幅777ドルを記録した。下落率では6.98%である。しかしながら、リーマン危機を引き起こした景気後退は2009年春先には底を打ち株価も3月初には反転した。ショック前の2007年10月につけた高値に戻るのは2013年2月なので6年を要した。

今回の株価暴落は下落率でいえばリーマンショックを超えている。歴史に残る暴落劇になったわけだ。今後、上のどのタイプの株価低落になるだろうか?

***

株価暴落は「恐怖指数(Vix)」とは裏腹の関係にある。

URL: https://www.barchart.com/

恐怖指数の動きの特性は
急速に上昇し、上昇後は緩慢に低下し元の水準に戻る
というものだ。

いわゆる『あつものに懲りてなますを吹く』という奴だ。

リーマン危機時には9月、10月の2か月で20近辺から瞬間的最高値70まで上がっている。その後、平常時の水準である20近辺に戻るのは2010年2月であるから、1年半を要している。ちなみに実態経済の景気後退期間は平均1年半程度であるというのが経験則である。

今回は年明け直後のVix指数はまだ20未満であった。それが1月、2月、3月にかけて急速に上昇し、昨日の瞬間的最高値は53.15になっている。株価暴落はこの裏返しである。

背景としては、アメリカ国内で新型コロナウイルス感染が拡大しつつあることは勿論だが、何よりサウジアラビアが石油市場でしかけている「攻撃的安値戦略」、というよりロシアによる「安値攻勢」というべきかもしれないが、石油価格(WTI、4月渡し)が一時バーレル30ドル割れにクラッシュしてしまった事がよりショッキングな突発的事象として無視できないところだ。

今後、石油価格だけではなく鉄鉱石、銅、アルミなど国際商品価格にまで低下の波が広がっていくことが予想される。

もともと米株価は「バフェット指数」(=株式時価総額÷名目GDP×100)が昨年11月時点で148にまで上昇していたことから、「株価バブル」が発生しているという認識があった。客観的な状況としては、1929年もしくは2008年に近いかもしれない。

多分「コロナ不況」と呼ばれるのだろうが、ウイルス対策と経済動向は実は本質的関連性は薄く、マクロ経済的な因果関係に沿って、今後不況色が強まり来年春辺りで底打ちする……そんな展開を今は予想している。

来るべき景気後退が来たということではないだろうか。

2020年3月9日月曜日

コロナ禍でいま直ぐに気がつく問題点はまだある

ダイヤモンド・プリンセス内での新型コロナウイルス蔓延に関連して、検疫と医療両面から同時並行的かつ十分な分量でサービスを投入しなかったという点は反省するべき点ではなかったか、と。この点は先日の投稿で記した。

もう一つ気がついた。

日本では
医療上さほどの意味のない無症状・軽症者に対するPCR検査の件数を増やすよりは、重症患者の治療に重点を置き医療現場の崩壊を回避する。現場崩壊を回避することで死亡者数を抑えることを重点目標とする。

このように目標を設定したことはやはり合理性があったと小生も思う。日本の国益にも適う措置であったはずだ。

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ただ、目標を特定化することから、副作用も出てくる。

検査を拡大するよりは抑制的に運用し、医療現場制御の維持と死亡者数の抑制に重きを置いたために、無症状・軽症感染者の検査漏れが大量に発生することは予想しておくべきだった。

この副作用が日本国外にスピルオーバーしないように、同時並行的に「出国管理」をも厳格化しておくことも必要であったかもしれない。

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海外の多くは新型コロナウイルス発生源である中国からの入国を早期に全面的に禁止した。ところが、日本では湖北省(後に浙江省も)に地域を限定し、比較的緩やかな入国管理を続け、2週間の隔離を全面的に義務付ける発表をしたのはつい先日の事だ。日本では緩やかな入国管理ともっと緩やかな出国管理が続けられてきた。

無症状・軽症感染者の多くが日本国内で「検査漏れ」となり、検査から漏れた多数の日本人感染者が中国からの入国を全面的に禁止していたアメリカ等へウイルスを運搬した……、と。こんな非難が今後少なからず出てくるとしても仕方がないだろう。

やはり今回のウイルス禍では、初動・検査防疫・総合的対応の多くの面で日本の施策には多々問題があった。この批判は免れないのではないか。『今回はまずかったよね』と感じている日本人は多いと思う。

『油断シテイマシタ』とすれば、やはりさすがの安倍政権もここにきて「焼きが回った」ということだろう。「反省・検証するべき点は確かにあったと思う」と謙虚に表明できるかどうかだろう。

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早稲田大学は新年度の授業開始を4月20日に延期する決定をしたという。平常の予定より2週間だけ後に延ばしたことになる。最初の一週間はオリエンテーションになるので、授業は実質的にゴールデン・ウィーク明けからという感覚だ。

もしもゴールデンウィークが明けてもまだ新コロナ終息が宣言できず、授業も開始できないという状況であれば、その時こそ「夏の東京五輪開催はとても無理である」と。多くの人はそんな覚悟をするだろう。

日本の側でウイルス抑え込みの失敗が露わになり、それも一つの理由になって今夏の五輪開催を断念せざるを得なくなるとすれば、安倍内閣は夏を越すことは難しいのではないか。

最近の株式市場の動き、公表されている(例えば)景気動向指数の動きをみると、春から夏にかけての景気後退は侮れない度合いになるだろう。

来そうで来ない景気後退であったが、新型コロナが思いがけぬ引き金になって、本格的な景気後退期に既に入っている。小生はそんな風にみるようになった。


実際、一致指数(CO)、先行指数(LE)、遅行指数(LG)の動きをみても、現状判断は決して難しいものではない。

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もちろん反省点はまだある。

1月から2月にかけて、襲来が予想されるウイルス禍とは関係のない「桜の花見」や「IR汚職」を国会のホットイシューとして延々と議論した国会の「ノー天気振り」にも目を向けておく必要があるだろう。

多々あると思う。

2020年3月7日土曜日

メモ: 「コロナ不況」は来るのか?

しばくら以前に「来そうで来ない景気後退」について覚書を投稿した。その時に予想していたのは、循環的というか、自律的というか、2016年初めに国際商品市況が底打ちしてから既に4年超、さすがに商品価格全般がピークアウトするのではないかという経験則によるものだった。長短金利スプレッドが縮小していたことも判断材料になっていた。

ところが景気後退は来そうで来ない。米国株価は歴史的高値圏に停留したままで一向に下がらない。

不思議だった。

ところが、いよいよ景気後退局面が始まりそうな兆候もある。もし今後、景気後退に入れば「コロナ不況」と名付けられるだろう。

既に感染防止の観点から物的、人的両面で国際的流動には急ブレーキがかかっている。世界の製造センターである中国から発した新型ウイルスであったことから、中国内生産拠点の生産再開が遅れ、世界のサプライチェーンが寸断されている。中でも、インドの製薬業界では中国から輸入している薬剤が供給不足に陥っており、そのため今後ヨーロッパで新型コロナウイルスが蔓延した場合に、治療薬が不足するのではないか、死亡数が増えるのではないかと懸念されはじめた。

恐怖指数(Vix)は短期的な市場ボラティリティ(変動範囲)を予想するインデックスとして参照基準になっている。具体的にはNY市場で取引されている「S&P500のボラティリティ指数」を指す。

その最近15年間の推移は下図のようになっている。


URL: https://www.barchart.com/futures/quotes/VIH20/interactive-chart

既にVixは35を超え、2015年夏の「上海ショック」を超えてきた。その前となると、2011年秋口である。

2011年・・・何があったか?日本では勿論「東日本大震災」が3月11日に発生していた。

Googleで2011年中に発生した事件・イベントを検索すると:

  1. 2月にエジプトのムバラク大統領が辞任、8月にはリビアのカダフィ政権が崩壊するなど「アラブの春」が進んだ。
  2. 大地震は東日本大震災だけではなく、その前の2月にニュージーランド・クライストチャーチでも大地震が発生していた。
  3. 東日本大震災そのものもショッキングであったが、福島第一原発のメルトダウンがもっと衝撃的であった。その後、日本が原発を稼働停止。イタリアも原発再稼働を中止し、エネルギー面で大きな変動が予感された。
  4. 5月には米国オバマ政権がアルカイダのビンラディンを殺害した。7月にはノルウェーのオスロで連続テロが発生した。
  5. 8月には円ドル相場が75円に突入した。
  6. 秋口を過ぎると、タイ全土で洪水があったりしたが、世界を揺るがす大事件は次第に少なくなり、11月には野田首相が「TPP交渉参加」を表明。年末には「福一冷温停止状態」が宣言された。

こう列挙すると、確かに2011年という年、特に前半は「多事多端の年」であった。その2011年の10月、Vix指数は一時45を超えている。

更にその前の山となると、いうまでもなく「リーマン危機」である。

今回のVix指数急上昇をもたらした直接的要因は「新型コロナウイルス」の感染拡大である。しかし、流行病の蔓延はそれ自体としては一過性のショックであり、多数の人は終息後の回復を予想しながら計画を立てるはずである。加えて、ウイルスそれ自体は新型とはいえ、それ程の重篤に陥るような凶悪な病原ではないことも明瞭になりつつある。

Vix指数上昇の原因は、ウイルスそれ自体によるものというより、中国に依存した世界的サプライチェーンの脆弱性が露見したことによる経済的不安だろう。脆弱性への認識、つまりリスク・プレミアムの上昇が資産価格全般を下押しし続けるだろう。

今後、本格的に景気後退局面に入れば、株価は更に3割以上は低落するだろう。アメリカのダウ平均は今年2月11日の29551ドルから19800ドル近辺、大雑把に予測すると2万ドルを割り込む可能性も予測範囲には入れておくべきかと思われる。崩落は始まれば急速に進む。が、それがいつの時点で始まるかまでは分からない。ただ、中期的な景気後退から株価急落が始まれば、平均的には1年半程度は弱気相場が続くのが経験則である。リーマン危機でもその経験則に従って2007年末のピークを経て2009年春に株価は反転した。




2020年3月2日月曜日

一言メモ: 法学や社会科学は素人学問と無縁ではありえない

新たな政党が結成される時には政治が面白い。流通が混乱すると経済学が面白い。

社会が騒然としてくると、覚え書きに書き留めておきたくなることも増えてくる。

いまカミさんが視ているTVのワイドショーをデータ分析をしながら机越しに眺めていたのだが、こんなやり取りがあった。

ある店で売っている商品の「悪口」をネットに投稿した者が「偽計業務妨害」で逮捕されたという話に関連した話だ。

MC: トイレットペーパーがなくなるとか、そういうデマをネットに書き込むことも社会不安を煽っているわけですネ。こうした行為は犯罪にはなるのでしょうか? 
法律専門家: 犯罪にはならないと思います。トイレットペーパーは一般的に販売されている商品で、それに「なくなる」と書くことはむしろ商品が売れる方向に働きますから、妨害にはなりませんね。誰の利益も侵害していないわけです。ですので、犯罪にはなりません。ただ、だからと言って、こういう行為をやってもいいということにはなりませんヨネ。
 いや、いや、ロジックは通ってるネエ、と思いました。と同時に、勉強するとこんな風に考えるようになるよナア、と。いささか自戒もこめて感じいった次第。

もちろん、この話しの裏には転売目的でトイレットペーパーを買い占めている者が、社会に不安を与えて相場をつりあげるためにSNSに「品がなくなる」と全くのデマを故意に流したのだ、と。こんな邪推も一応成立はするのである。だとすれば、これは犯罪でなければならない。が、これはいずれ判明する事だろう。

経済学専攻から現在の仕事に入った小生は上の語りを聴いていて昔の授業を思い出したのだ:

学生: 先生、販売価格が下がるとそれを生産している企業の経営が圧迫されて、人件費圧縮の必要から仕事を失う人も増えると思うんです。そうすると、商品はもっと売れなくなるわけですから、価格の低下には政府が介入したほうが善いのではないですか? 
先生: その考え方は一見正しいように思われるのですが、間違っています。どの商品にも言えますが、買いたくても買えない人、売りたくても売れない人がいるという状態は、社会的には善い状態とはいえないでしょう。希望が実現できないわけですから。需要と供給の均衡をとることが社会では大事です。売りたいと思う人と買いたいと思う人が互いの希望を実現できる社会全体のバランスは価格の変化によって誘導できるのですね。価格に介入すると思わぬところにしわ寄せが出てしまって困る人が増えるのですね。全ての商品の価格は、互いに関係しあいながら、全体としてバランスするように決定できることが理論的には確かめられています。ただ、どんな価格が社会にバランスをもたらす均衡価格なのか私たちには分からないのですね。だから自由な市場に任せる。狭い視野にたって、価格が下がるのは善くないとか、逆に価格が上がると買えない人が増えるとか、そう考えて政府に介入させるというのは誤りなんです。
どの学問分野にも特有のロジックがある。ロジックが貫徹されていると、その学問分野を勉強する人は「素人」よりは知性が高くなったように感じるものである。

***

しかし、法律にせよ、経済学にせよ、ソーシャル・マネジメントのツールとして活用されないのであれば、外に活用される用途は一体あるのだろうか?「存在意義」の話である。もちろん活用されなくとも、どんな「学問」も「学問」たりうるわけであって、大学で「概論」や「原論」という文字が入った授業を教えるという仕事はなくならない。これも用途の一つには違いない。

とはいうものの、ネットに投稿された無責任なデマによって社会不安が高まっているという事実を普通の人が指摘して、これは問題ではないかと問いかけている時に、聞かれた法律専門家の方が「誰の利益も侵害していませんから犯罪(≒法律違反)ではありません」と言っていては、『そうですか。法律ではこの問題を解決できないわけですね。法律以外の方法で解決しなさいということですね』と。こんな議論になっていくだろう ― TV画面ではそんな議論にはならかったが。

セクハラもパワハラも小生が若い時分には法律上の問題ではなかった。憲法で表現の自由が基本的人権として保障されているからだ。にも拘わらず、法律上の問題になってきたのは人々の意識が変わったからである。

社会や人間の事柄に関する限り、人々の意識と学問のあり方は無縁ではありえない。学問的ロジックは専門家にとってのみ有用であって、専門外の人々にまで一般的に通用するものではない。実験に基づく精密科学ではないからである。これは法律や経済学など社会系の学問一般の宿命である。



2020年3月1日日曜日

一言メモ: 年明け後2か月の国会審議は「体たらく」と言うべきではないか

今年に入ってから1月から2月まで中国発の新型コロナウイルスへの対策を総合的な観点から徹底的に練り上げるべきであったと多くの人は感じているだろう。

もし抑え込み戦略を政府内で徹底審議していれば、最初の水際防止作戦、入国管理、経済対策、雇用対策そしてクルーズ船着岸後の検疫・医療と、多数の課題に対して同時並行的にもっと適切に対応できていた可能性がある。

***

この長い時間、政府執行部の主要閣僚は国会の予算委員会出席のためずっと拘束されていた。確かに官僚組織があるが、政治的な意思決定を官僚に委ねるのは適切ではない。政治家は官僚だけではなく、多分野から意見を聴いて勉強することも大事である。

結局、国会では新型コロナウイルスではなく昨年の「桜の花見」の実態追求をとり上げ続けた。

通常国会開会直前の時機に、東京地検特捜部が「IR汚職」に関係した与党政治家A議員を逮捕したこともその後の委員会では与党攻撃の材料となった。やはりこの件も長時間をかけて審議されている。

まあ大局的にいえば『野党は野党であるが故に野党の問題意識は議会の意思とはならず政治的には無意味である』というわけではない。「日本の政治」を改善し、真っ当な状態にするには野党の存在は極めて重要である。

問題発見と解決はいつでも、直ちに着手するべき事だという一般論はある。

とはいえ、「野党」が存在するが故に国会はいかにも国会らしいと国民に思わせなければなるまい。野党の存在価値はそこにしかない。そうでなければ、野党は何もしていないわけなのだから。

***

新型ウイルスの広がりという眼前の問題があるにも拘わらず、関係性の薄い不祥事をとりあげ、しかもその疑惑が国益をどの程度損なっているかどうかの具体的な評価も曖昧なままにして、内閣を拘束し、一つの不祥事を長い時間をかけてずっと審議したという経緯は、大いに国益を損なっていたのではないかと、小生には思われるのだ、な。
時は金なり
である。

疑惑が濃厚であれば「告発」をするべきである。疑惑を裏付ける証拠がないのであれば「不信任案」を動議提出する理屈だ。

告発もせず、不信任案も出さず、疑惑を疑惑のままにして長い時間をかけてとりあげ質問ばかりを続けるのは、野党議員が政治家として極めて不誠実である証である。そう指弾されても仕方がないのではないだろうか。

今期の国会審議は「失敗例」の一つとして今後の検証対象とするほうがよいのではないだろうか。

もっとも、国会の「体たらく」と呼ばれる混迷状態を意図的につくり、社会不安を醸し出すこと自体が、「政権獲得戦略」なのだと考える観方もあるわけだ。だとすると、これは「弱者の核兵器」と言われる毒ガスならぬ「弱者の政略」ではあって相当高級なストラテジーである・・・そうなのだろうか?

いずれにせよ、国会という場は権力闘争が渦巻く闘技場である。であれば、きれいに戦ってもらいたいと感じるのは小生だけだろうか。