2020年3月2日月曜日

一言メモ: 法学や社会科学は素人学問と無縁ではありえない

新たな政党が結成される時には政治が面白い。流通が混乱すると経済学が面白い。

社会が騒然としてくると、覚え書きに書き留めておきたくなることも増えてくる。

いまカミさんが視ているTVのワイドショーをデータ分析をしながら机越しに眺めていたのだが、こんなやり取りがあった。

ある店で売っている商品の「悪口」をネットに投稿した者が「偽計業務妨害」で逮捕されたという話に関連した話だ。

MC: トイレットペーパーがなくなるとか、そういうデマをネットに書き込むことも社会不安を煽っているわけですネ。こうした行為は犯罪にはなるのでしょうか? 
法律専門家: 犯罪にはならないと思います。トイレットペーパーは一般的に販売されている商品で、それに「なくなる」と書くことはむしろ商品が売れる方向に働きますから、妨害にはなりませんね。誰の利益も侵害していないわけです。ですので、犯罪にはなりません。ただ、だからと言って、こういう行為をやってもいいということにはなりませんヨネ。
 いや、いや、ロジックは通ってるネエ、と思いました。と同時に、勉強するとこんな風に考えるようになるよナア、と。いささか自戒もこめて感じいった次第。

もちろん、この話しの裏には転売目的でトイレットペーパーを買い占めている者が、社会に不安を与えて相場をつりあげるためにSNSに「品がなくなる」と全くのデマを故意に流したのだ、と。こんな邪推も一応成立はするのである。だとすれば、これは犯罪でなければならない。が、これはいずれ判明する事だろう。

経済学専攻から現在の仕事に入った小生は上の語りを聴いていて昔の授業を思い出したのだ:

学生: 先生、販売価格が下がるとそれを生産している企業の経営が圧迫されて、人件費圧縮の必要から仕事を失う人も増えると思うんです。そうすると、商品はもっと売れなくなるわけですから、価格の低下には政府が介入したほうが善いのではないですか? 
先生: その考え方は一見正しいように思われるのですが、間違っています。どの商品にも言えますが、買いたくても買えない人、売りたくても売れない人がいるという状態は、社会的には善い状態とはいえないでしょう。希望が実現できないわけですから。需要と供給の均衡をとることが社会では大事です。売りたいと思う人と買いたいと思う人が互いの希望を実現できる社会全体のバランスは価格の変化によって誘導できるのですね。価格に介入すると思わぬところにしわ寄せが出てしまって困る人が増えるのですね。全ての商品の価格は、互いに関係しあいながら、全体としてバランスするように決定できることが理論的には確かめられています。ただ、どんな価格が社会にバランスをもたらす均衡価格なのか私たちには分からないのですね。だから自由な市場に任せる。狭い視野にたって、価格が下がるのは善くないとか、逆に価格が上がると買えない人が増えるとか、そう考えて政府に介入させるというのは誤りなんです。
どの学問分野にも特有のロジックがある。ロジックが貫徹されていると、その学問分野を勉強する人は「素人」よりは知性が高くなったように感じるものである。

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しかし、法律にせよ、経済学にせよ、ソーシャル・マネジメントのツールとして活用されないのであれば、外に活用される用途は一体あるのだろうか?「存在意義」の話である。もちろん活用されなくとも、どんな「学問」も「学問」たりうるわけであって、大学で「概論」や「原論」という文字が入った授業を教えるという仕事はなくならない。これも用途の一つには違いない。

とはいうものの、ネットに投稿された無責任なデマによって社会不安が高まっているという事実を普通の人が指摘して、これは問題ではないかと問いかけている時に、聞かれた法律専門家の方が「誰の利益も侵害していませんから犯罪(≒法律違反)ではありません」と言っていては、『そうですか。法律ではこの問題を解決できないわけですね。法律以外の方法で解決しなさいということですね』と。こんな議論になっていくだろう ― TV画面ではそんな議論にはならかったが。

セクハラもパワハラも小生が若い時分には法律上の問題ではなかった。憲法で表現の自由が基本的人権として保障されているからだ。にも拘わらず、法律上の問題になってきたのは人々の意識が変わったからである。

社会や人間の事柄に関する限り、人々の意識と学問のあり方は無縁ではありえない。学問的ロジックは専門家にとってのみ有用であって、専門外の人々にまで一般的に通用するものではない。実験に基づく精密科学ではないからである。これは法律や経済学など社会系の学問一般の宿命である。



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