2020年3月1日日曜日

一言メモ: 年明け後2か月の国会審議は「体たらく」と言うべきではないか

今年に入ってから1月から2月まで中国発の新型コロナウイルスへの対策を総合的な観点から徹底的に練り上げるべきであったと多くの人は感じているだろう。

もし抑え込み戦略を政府内で徹底審議していれば、最初の水際防止作戦、入国管理、経済対策、雇用対策そしてクルーズ船着岸後の検疫・医療と、多数の課題に対して同時並行的にもっと適切に対応できていた可能性がある。

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この長い時間、政府執行部の主要閣僚は国会の予算委員会出席のためずっと拘束されていた。確かに官僚組織があるが、政治的な意思決定を官僚に委ねるのは適切ではない。政治家は官僚だけではなく、多分野から意見を聴いて勉強することも大事である。

結局、国会では新型コロナウイルスではなく昨年の「桜の花見」の実態追求をとり上げ続けた。

通常国会開会直前の時機に、東京地検特捜部が「IR汚職」に関係した与党政治家A議員を逮捕したこともその後の委員会では与党攻撃の材料となった。やはりこの件も長時間をかけて審議されている。

まあ大局的にいえば『野党は野党であるが故に野党の問題意識は議会の意思とはならず政治的には無意味である』というわけではない。「日本の政治」を改善し、真っ当な状態にするには野党の存在は極めて重要である。

問題発見と解決はいつでも、直ちに着手するべき事だという一般論はある。

とはいえ、「野党」が存在するが故に国会はいかにも国会らしいと国民に思わせなければなるまい。野党の存在価値はそこにしかない。そうでなければ、野党は何もしていないわけなのだから。

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新型ウイルスの広がりという眼前の問題があるにも拘わらず、関係性の薄い不祥事をとりあげ、しかもその疑惑が国益をどの程度損なっているかどうかの具体的な評価も曖昧なままにして、内閣を拘束し、一つの不祥事を長い時間をかけてずっと審議したという経緯は、大いに国益を損なっていたのではないかと、小生には思われるのだ、な。
時は金なり
である。

疑惑が濃厚であれば「告発」をするべきである。疑惑を裏付ける証拠がないのであれば「不信任案」を動議提出する理屈だ。

告発もせず、不信任案も出さず、疑惑を疑惑のままにして長い時間をかけてとりあげ質問ばかりを続けるのは、野党議員が政治家として極めて不誠実である証である。そう指弾されても仕方がないのではないだろうか。

今期の国会審議は「失敗例」の一つとして今後の検証対象とするほうがよいのではないだろうか。

もっとも、国会の「体たらく」と呼ばれる混迷状態を意図的につくり、社会不安を醸し出すこと自体が、「政権獲得戦略」なのだと考える観方もあるわけだ。だとすると、これは「弱者の核兵器」と言われる毒ガスならぬ「弱者の政略」ではあって相当高級なストラテジーである・・・そうなのだろうか?

いずれにせよ、国会という場は権力闘争が渦巻く闘技場である。であれば、きれいに戦ってもらいたいと感じるのは小生だけだろうか。

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