2023年2月27日月曜日

断想: 国民国家は戦争する。どう戦争するか、しないためにはどうするか、が問題だ。

 2月の最終投稿になりそうなので、今日は勝手気ままな断想を覚え書き。


前のトランプ大統領は「西側陣営」を不必要な存在であるかのように行動した。マクロン仏・大統領は『NATOは脳死状態』だと表現した。そんなト大統領も、ドイツとロシアがエネルギー共同体を構築する動きには苛立ちを隠さなかった。確かにEUとEURO圏、NATOにいながら、ロシアと一体になってヨーロッパで「大きな顔」をするのは矛盾した話しだ。それでもト大統領の動物的勘は「西側陣営からのアメリカの自由」を欲したのだろうと憶測している。元々、アメリカはモンロー主義を採っていてヨーロッパの問題に介入することを嫌っていた。

今のバイデン政権は解体されかかっていた「旧・西側陣営」を再びまとめようと一生懸命だ。それは(おそらく)中国とは結局のところ理解しあえない、故に敵対するしかないという意識があるのかもしれない。


そもそも

天に二日無く、土(ド)に二王無し。

という《公理》から政治を考える中国の伝統的思想と、ストラテゴスやコンスルを選挙で決めていたギリシア=ローマ以来の西洋的伝統とが融和するはずはなく、まして

All men are created equal.

という《公理》から出発するアメリカ民主主義と中国的文化の相性がイイはずはない。

この違いを、政経分離、多様化、相互主義の下で「あるべき違い」と考えれば、トランプ的発想になるだろうし、違いを「不正義」だと考えるならバイデン的な接近になる。


ト大統領のディール志向は日本人には評判が悪かったが、かと言って「何が正しいか?」を旗印にすると、結局は戦争しかない。

西欧の「ポスト宗教改革」では内戦が相次いだが、結局は信仰の自由と体制選択の自由という原則で平和が戻って来た。このプロセスで誕生したのが「国民国家」だ。

国民国家という建て前ももう雨漏りがしているが、かといって帝国の誕生を予感させるものはない。中国も内政不干渉を常に言っている。


しばらくは、体制選択の自由を認め合い、軍縮努力を再開するしか、道はない。軍縮の果てにあらゆる軍事同盟を禁止し、戦争拡大の目を摘むようなら御の字だ。何しろ古代ギリシア世界では、正反対の体制をとるアテネとスパルタが平和共存していたのだ ― 最終的に互いに軍事同盟を結成して二大陣営に分かれてペロポネソス戦争を始めてしまったが。アッ、第一次世界大戦もヨーロッパの強国が二大陣営に分かれてしまったことが背景にあった。となると、今もまた危ない、危ない・・・。


そもそもソ連解体時に「NATO」を解体しておくべきだった。それをしなかったのは、統一ドイツへの警戒感であったのだろうが、その時の善意が今の戦争につながっていると考えれば、歴史は皮肉なものだ。正にヘーゲル的弁証法による歴史の展開を見ている感じがする。

2023年2月24日金曜日

一言メモ: CPI上昇率で気になった些細なこと

1月の 消費者物価指数が公表された。指数で104.7、上昇率で4.3%になった。

ところが、昨年1月の指数は100.3だから、本年1月の前年比上昇率は4.3868...パーセント。四捨五入をすると4.4%になる。ところが上昇率公表値は4.3%。

どうやら丸めた後の指数値を使って変化率を出しているわけではなく、丸める前の数字を使って割り算をしているものと見える。

実質GDP成長率でも丸め誤差でこんなことが起きるが、備考にでも付記してくれると有難いものだ。

『細かな事が気になるもので・・・私の悪い癖』、ということで。

★

細かな点はともかく、物価の急速な上昇で生活は当然苦しくなっているはずだ。

名目の消費支出では下の図のように対前年で増えてはいる。



しかし、消費者物価指数で割り算をして実質化すると、


直近公表値である昨年11月、12月の対前年比は11月が▲0.6%、12月が▲0.5%の低下である。

※ 実質化に使ったCPIは、「帰属家賃を含む総合」で、実質消費支出の公表値で使われている「帰属家賃を除く総合」とは多少異なる。

電気料金の急上昇を税金で緩和しているので、足元で家計を苦しめてはいないが、今後もインフレは継続する見通し。

アメリカ主導の経済制裁をいつまで続けるのかという不満は次第に高まるだろう。

★

それにしても・・・で加筆。

アメリカは『この際だから』というノリでロシアを敗退にまで追い込みたい意識があるかもしれない。しかし、そうなればユーラシア大陸が不安定化する可能性が高まり、中国を巻き込み、世界はどうなるか分からない。

そもそも前にも投稿したが、英米の戦略的思考の本質が
先に熊を叩いて、あとで鶏を絞め殺す戦略
であるのは、中国政府も気づいているだろう。今は、西側、ロシアいずれにも与しない第三者的オーディエンスを決め込む国が世界で最も多数を占めている。そして、オーディエンスがいるとき、ゲームの当事者は《風評、名声、Reputation》を得たいがため不必要に冒険的な戦略を選ぶものであることも理論的には確認されているようだ — どこで読んだのか直ぐに確認できないが。

「イデオロギー不感症」に罹っている小生には、アメリカ(そしてイギリス)の悪い癖、いつもの《火遊び》にのめり込んでいるようにしか見えない。

もちろん、国境の向こうにロシア軍が集結している中で交渉への意志を貫徹せず、むしろ米英を頼り「来るなら受けて立とう」と言わんばかりの姿勢をとったゼレンスキー大統領と、作戦劈頭のキエフ急襲に失敗した段階でいったん矛を収め、力を温存し、東部に戦力を集中し(北部国境はむしろ最小限で良いから)当初の目的を貫徹しなかったプーチン大統領と。<1流半の政治家だが元スパイで軍事は素人 vs 3流半の政治家だが元俳優で"Great Communicator">という相性の悪い二人の当事者が、戦争拡大の直接責任を負うべき点に間違いはないだろう。マ、これも後講釈ということで。

*

・・・と、ここまで書いてきて、やはり消費支出実質化のデフレーターが公表値と違っているのは気になる。

「持家の帰属家賃を除く総合」で実質化したときの消費を描いておきたい。


この場合、昨年11月の前年比は▲1.2%、12月は▲1.3%になって公表値と同じになる。

【加筆】2023-2-26、2-28





2023年2月23日木曜日

覚え書き: 民主主義大国・アメリカの将来を示唆する本なのかも

本箱の隅に大変古い本が残っているのを再発見した。『堺屋太一が解くチンギス・ハンの世界』(講談社、2006年)だ。

モンゴル帝国といえば、大量虐殺をいとわない野蛮な軍事力で中国本土を制圧し100年を超える長きにわたって漢民族を抑圧したという点で、中国史においては言わば「黒歴史」のような扱いを受けているのが日本でもそのまま大勢になっている ― 日本をも攻撃した「元寇」は黒歴史というより多少は輝かしい戦史として記憶されているが。

ところが、実はモンゴル帝国は現代世界にも通じる《不換紙幣制度》を巧みに活用し、ユーラシア大陸全域に及ぶ広大な経済圏を出現させた極めて独創的な帝国でもあった。強大な軍事力は世界経済秩序を守るためのインフラとして機能していた。堺屋太一はこの帝国運営技術を高く評価しているのだ、な。

古い本なので内容はほとんど忘れていたが、パラパラとページをめくっていると、感心できる箇所が幾つもある。中でも、現代的意味を持つところをメモっておきたい:

史上初の「世界帝国」、大モンゴル帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)にも滅びる時が来る。

(中略)

14世紀に入ると、チンギス・ハンの子孫にも、イスラム教やキリスト教、あるいは仏教などに熱中する者が現れる。これには地元の信仰深い女性が皇室に入った影響が大きい。・・・無期限無差別の取り込み主義は破れ、文化への介入が強まり、軍事力は分散して大量報復も実行されなくなった。

皇室と行政は、経済重視の原則を忘れて信仰にのめり込み、宗徒による差別が広まった。叛乱は交易を妨げ、通貨の需要を減らす。不換紙幣は過剰になり急速に価値を失った。不換紙幣の増発に頼って来たモンゴル政府は一気に財政破綻、軍事における物量作戦も不可能になった。

「世界帝国」の何よりの「敵」は主観的な価値観の押しつけである。押しつける本人は正義と感じ、相手も幸せにすると信じているから始末が悪い。

もし米国が21世紀を通じてスーパーパワーであるためには、自らの正義と美意識を他国に押しつけるべきではない。たとえそれが民主主義や市場経済であっても。

※62―63頁から引用

いやあ、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席が聞けば泣いて(?)喜びそうだ。こんな風に(正しく?)考えた日本人もいたのか、と。


著者は既に故人であるが、昭和10年(1935年)の生まれであるから、小生の父よりはかなりの年下。いわゆる「焼け跡派」の世代に属している。小生とはほぼ親子の年齢差があるものの、それでも上に引用した思考、発想は、かつての日本社会では世代を超えて共有されていたように記憶している。「日本は日本で考える」くらいの事は誰もが当然のことと前提していたような気がする。何しろかつての大学の経済学部には<比較経済体制論>などという授業もあった。大学のキャンパス構内には「打倒米帝」(米帝=アメリカ帝国)、「ファシストせん滅」(ファシスト=全体主義者≒支配階層)などの立て看板がまだ見られていたのだ。

だから、ロシア=ウクライナ戦争が始まったときも(少なくとも日本では)甲論乙駁、というかヒトは色々で多くの意見が出てくるものと思っていた。その方が日本としては自然だと思った。ところが、この一年間、発言されたり、説明されたりする意見はどれも要するに英米で主流のイデオロギーである。むしろ英米メディアより純粋に一色になっている。異論がほぼ出て来ない。テレビには防衛省の官僚が頻繁に登場して政府公式の見解を語っている ― マア、日本が「価値観の共有」などと繰り返し口にするのは、アメリカ、イギリスに遠慮、というか「忖度」している面もあるのかもしれない。しかし、民間まで忖度する必要はない。

自由な発言ができるはずのネットでも、《イデオロギー批判》、《観念論批判》は年齢層を問わず、ほとんど目にすることはなく、少なくとも日本では「ロシア批判」、「米英‐ウクライナ支持」で一色。《歴史的必然性》とか《アウフヘーベン》などと唱える御仁はまさに一人もいない。「百花斉放」、「百家争鳴」どころか、「同調圧力」のみが働いている。これはどうしたことか?

これでホントにいいんでしょうかネエ。足をすくわれなきゃいいんですがネエ・・・

と思います。

戦前、共産党を共通の敵とするべくドイツと「日独防共協定」を締結したところが、ドイツは勝手に「独ソ不可侵条約」を結ぶに至った。時の平沼騏一郎首相は

欧洲の天地は複雑怪奇

と呆れ、絶句し、上の捨て台詞と共に退陣したものだ。

同じような事は二度も三度も起こるだろう。


堺屋太一が上の本を出版した2006年だが、その3年前の2003年に「大量破壊兵器(Weapons for Mass Destruction)を密造しているという疑惑からアメリカ、イギリスなど有志国が「イラク戦争」を仕掛けている。更に、その2年前の2001年には、アメリカがビン・ラディンを匿った咎でアフガニスタンを攻め「アフガン戦争」が始まった。こんな時代背景もあって上の本を出版し、その中で引用したような文章を書いたのだろうと思われる。

その当時と状況は何も変わっていない。ただ、今回は軍を派兵することなく、兵器を提供しているだけの違いだ。

思想にとらわれて自分の主観を強引に主張すれば、現実面では必ず失敗するものだ。中国国民党支援、朝鮮戦争、ベトナム戦争、etc.、アメリカは一体いくつ失敗を重ねてきたのだろう。

マ、どちらにしても今回のロシア=ウクライナ戦争。ロシアもそうだろうが、アメリカも大きな歴史の曲がり角を曲がりつつあるようだ。これとモンゴル帝国の興隆と没落を重ね合わせる感性は今はもう誰も持っていない。

2023年2月22日水曜日

高度なツールを使わず高度な経済政策論ができる一例

まだ学部でマクロ経済学を勉強している頃、《フィリップス曲線》と言えば、縦軸がインフレ率、横軸が失業率のグラフで説明されていた。それが、1970年代の二度に渡る《石油危機》で世界がスタグフレーションに陥る頃には、フリードマンの《自然失業率》概念が主流となって、フィリップス曲線の縦軸はインフレ率ではなく、(いつしか)インフレ率の前期差をとって描かれるようになった。

KrugmanがThe New York Timesに寄せているコラム記事でこれと同じ話をしているので、非常に面白かった ― Krugmanはノーベル経済学賞を受賞した高度にアカデミックな経済学者である。

*

そこで使われている道具は三つのグラフである。

一つ目は


このグラフの縦軸はインフレ率の前期差で1970年代の大インフレ時代には主流であった関係である。いま足元では、8パーセント超えになったインフレ率を(せめて)2パーセント程度にまで抑えようとして、FRBが攻撃的金利引き上げを続けているわけだが、上の図を見ると、8パーセントから2パーセントまで、つまりインフレ率を6パーセント下げるには、図の縦軸の枠外になるが延長して読み取れば、失業率を5%まで悪化させても恐らく足りない。もっと景気を悪化させる必要がある ― ちなみにアメリカの失業率は1月時点で3.4%であるから、まだまだ景気が良すぎる。こういう政策観になる。

Krugmanがコラム記事で主張していた骨子は、期待インフレ率は1970年代とは様相が異なりほぼ一定の高さのままで変化していない。したがって、フィリップス曲線が、期待インフレ率の上昇に伴ってシフトするという現象は足元では認められない。故に、現在当てはまっているフィリップス曲線は


上のような縦軸にインフレ率をとったオリジナルの関係に戻っている。これを見ると、現時点の失業率は概ね3.5パーセントだからインフレ率は2パーセント弱になる。もし目標インフレ率が2パーセントであるなら、現状の労働市場は寧ろ弱い。実体経済を現状のまま継続すれば、インフレ率は2パーセントを下回るところまで景気が悪化していくであろう、と。

大体、こんな趣旨の議論を展開している。

なお「期待インフレ率はほぼ一定のままで安定している」という事実認識の根拠としては、以下の図を示している。

*

このように使用している経済学上の道具はどれも学部のマクロ経済学でもとりあげられるような入門的なレベルなのであるが、論理は極めて骨太で、主張がハッキリと明確である。

もとよりKrugmanは親・民主党として名だたる経済学者であるから、金利引き上げ・インフレ抑制よりは暮らし向き改善・雇用改善が望ましいと考える立場に近い。だから上のような議論をするのは自然なわけである。

主張されている政策論への賛否は当然あるのだが、何よりこのように骨太の経済政策論が、経済新聞でもない普通の新聞に掲載される<言論環境>に、小生は非常な羨ましさを感じる。

確かに日本経済新聞には「経済教室」や「やさしい経済学」もあるし、その他にも経済学者や経済専門家が登場するコラムは多々あるのだが、印象としては何かの分野のプロフェッショナルが専門分野の近いプロフェッショナル達を相手に書いているような感覚をいつも覚えてしまう。

せめて経済学部の2年生位の学生が読むとしても、基礎理論がそこでどのように応用されているかを見てとれるような、それでいて結論が具体的で明確であるような記事内容であってほしいものだ。

『最近の世界の学界で主流となっている考え方によれば云々・・・』のような骨子でいくら解説をしても、そこにはロジックと結論というものが欠けているので、読む人は著者に感心はするだろうが、面白さや共感には程遠いだろう。


2023年2月18日土曜日

ホンノ一言: 「打ち上げの失敗」ではなく「報道の失敗」だったようで

 <情報化時代>というのは、馬鹿々々しい事まで、それが拡大されて世間に伝わるということなのだろうか?


JAXAが打ち上げを予定していたH3ロケットの事もそうだ。

概要は毎日新聞の以下の記事で要点は尽きている:

種子島宇宙センター(鹿児島県)で据え付けられたH3の機体を、遠くから大勢の人が見守った。主エンジンは正常に着火し、白い煙を吐き出したが、カウントダウンが「ゼロ」になっても、機体は発射台から動かなかった。

JAXA側の担当プロマネの説明では、《フェイルセーフシステム》が異常を検知したので打ち上げを中止したということだ。 

ところが・・・

「失敗ではないのか」。記者会見で問われた岡田氏は「いざとなれば安全な状態で停止させることに、かなりの神経を使っている。その意味では正常に停止したので、設計した意図通りではある」と説明した。

上のように「失敗」という語句に拘った共同通信の取材記者が何度も食い下がり

世間ではこれを一般に「失敗」と呼んでいます

と捨て台詞を吐いたというので、今度はこれが騒動になっているそうだ。 


フェイルセーフとは”Fail Safe"であり、Wikipediaの解説

フェイルセーフ(フェールセーフ、フェイルセイフ、英語: fail safe)とは、なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に設計時に想定した安全側に動作するようにすること。またはそう仕向けるような設計手法で信頼性設計のひとつ。これは装置やシステムが『必ず故障する』ということを前提にしたものである。

こんな説明を待つまでもなく、生じた異常は、確かに"a failure"であった。しかし、英語の"failure"は常に日本語の「失敗」という単語に訳されるわけではない。正常に動作しない異常なり障害もまた"failure"である。だからこそ"fail safe system"が作動して、補助エンジンに点火しなかったのだが、これもシステムの管理下で自動的にそうなったのであり、《システム管理下》の異常であったというのが、客観的なロジックだ。

システム管理下の安全維持動作であるので予定変更ではあるが失敗ではない。

これがJAXAのロジックで、現代工学では極々標準的な言葉使いである。

だから、旅客機が離陸するときでも、何らかの異常をセンサーが検知すれば(たとえ飛行可能ではあっても)「離陸中止」となり、多分、使用機変更になる。この手続きを「離陸失敗」とは言わない。異常発生に対してシステムが指令するルーティンであり正常業務の範囲内である。


今回の件は、「打ち上げ失敗」というより「報道の失敗」と言うべきだろう。 

The launch of H3 has been postponed due to some trouble in its auxiliary engine.

英米紙なら、多分、上のようにポストポーン(postpone)されたと短く伝えるだけの事だったのじゃないか?

・・・と思って、NYTやBBCを調べてみたが、記事が見つからない。報道もされなかったのかも・・・

まあ「報道の失敗」がニュースとして報道されるなんて、抱腹絶倒のブラックユーモアでしかない。情けないネエ、こんな印象で終わってしまった。


それにしても、共同通信のくだんの記者、卒業した学部はどこなのだろう?

まさか工学部出身の人じゃないよね?何だか、失敗の責任を確認したいような雰囲気だったから法学部出身? ひょっとして・・・

そんなことを思いました。




2023年2月17日金曜日

ホンノ一言: 株式市場はいまパラドックスの一言

確かに、株価は景気に対して先行性がある。景気拡大が続いている中でピークアウト感が出て来れば投資家は利益減少、配当減額を予想して早めにリスク回避をする。保有株式を高値で売り抜けようと図る。そして安全な債券へとシフトしようとする。すると、現実に株価は下がる。だから株価低下はリセッションの前兆である。

それは分かる。

★

しかし、NY株式市場は昨年春からもうずっとそんな迷走を続けている。FRBは景気拡大を伝えるデータが一つ出るごとに金利を上げ続けている。故に、リセッションの懸念もずっと続いている。それでもアメリカ経済はリセッションに入らない。

景気がいいのは良いことではないか。景気の腰はそれほど強いのである。

しかし、投資家はFRBが景気を後退させようと意図している、と。そう受け止めているので、明るい指標が出るたびに「また金利を上げるのじゃないか?一体、いつまで上げるのだ?」と驚き、かつ訝しみ、景気後退を予想して株価が下がる。そんな奇妙なゲームが1年近く続いている。

最近では、だから、明るいデータが出ると株価が下がり、暗いデータが出ると株価が上がる。普通の理屈では、あり得ない株価になっている。

昨日も、アメリカ景気の明るさを告げるデータが相次いだので、NYの株価は急落した!?

★

昨年、こんな投稿をしている。1970年代のアメリカ経済を苦しめた<大インフレーション>を退治したヴォルカー・ショックについての投稿だった。そこでも使ったグラフはこれだ。



確かに1970年代のインフレはアメリカ経済を大いに苦しめた。ヴォルカーFRB議長の空前の高金利政策によってようやくインフレ抑え込みに成功した。《ヴォルカー・ショック》についてネットではこんな解説をしている:
第12代連邦準備制度理事会(FRB)議長ポール・ボルカー(Paul Adolph Volcker, Jr.)の、1970年代の米国におけるスタグフレーションを終わらせたるための1979年の新金融調節方式の採用による金融引き締め政策の断行に伴う景気後退のことで、高金利政策により、3年間でインフレ率は12パーセント以上も減少し、4パーセントを下回りスタグフレーションを終わらせることはできたが、それと引き換えにGDPは3パーセント以上減少し、産業稼働率は60パーセントに低下、失業率は11パーセントに跳ね上がった。

1982年後半、3年続けた金融引き締め政策を断念し、緩和を実施し、これによって米国経済は活気を取り戻し、GDP・産業稼働率は向上し、失業率は低下した。

実に、空前の高金利政策と経済活動の大きな犠牲を伴ったのが1970年代インフレの抑え込みであったわけだ。ところが、上図で見る通り、S&P株価指数は(いま見ると「驚き」に値するが)急落していない。そして、引き締めから緩和へと移った1982年以降は株価の上昇トレンドが戻っている。

それに対して、足元のNY市場では


昨年春に金利引き上げに転じてからS&P株価指数は結構下げてしまった。そして、今もなおFRBと市場の間で腹の探り合いを続けている。FRBが狙っているという<リセッション>に入りそうで入らない膠着状態が続き、GOサインを出せないまま資本市場は低迷を続けている。
こんなデータが出てきた以上、今はまぎれもなく《リセッション》じゃ!
こんな塩梅で、実際に景気後退になれば、投資家は安心し、株価も上昇トレンドに戻るのだろうか?しかし、それは《不況》であるのじゃないだろうか?
ンなこと、あるわけないでしょうが。不況の時には株価は本格的に下がるんだヨ
常識的にはこう考える。

何だか、一軒の家が燃えていて火事が心配されるとき、様子をしばらく「注視」したあと
これだけ燃え上がった以上、これはまぎれもなく「火事」である
そうして、消防車が駆けつける。こんな情景を連想します。

ホント、どうするつもりなんでしょうネエ……

70年代のインフレに比べれば大したことはないのに・・・
何だか、今回のFRBは引き締めるにしても下手くそだネエ
こんな感想を抱く人は世界中に多いのではないだろうか?

また3月には金利を(ちょっと?)上げるそうで……

 



2023年2月15日水曜日

ホンノ一言: 文明開化時代の写真恐怖症と現在のマイナンバーカード拒否症とが似ているという話し

昨年12月であったが、河野太郎デジタル相が『運転免許証の更新手続きをオンラインで自宅から出来るようにする』との方針をABEMAであったか、某ネット番組で話したところ、否定的な意見が結構出ているとの報道がある。正直、ビックリだ。


その反対意見には

  • 視力検査どうするのか?
  • 交通事故の悲惨さを思うとき、こういう発想はいかがなものか?

など唖然とさせられるものがあるかと思うと、これを報道した記事の最後に

視力検査や高齢者をどうするのかなど、問題もありそうだ

といった結論めいたことを述べているので、ほとんど絶句の極みに立ち至った。

*

実は、小生のカミさんは年金をもらい始める時期なのだが、つい先日、北海道では免許更新のための優良講習がオンラインで配信されているので受講したところだ。

オンライン受講時には受講者のマイナンバーカードでログインし、免許証番号も入力する。マイナンバーカードの顔写真と免許証の顔写真が合致しているかどうかを顔認証するのであろう。ついでPCを操作している受講者が本人であるかどうか、PCのWEBカメラで自分を撮影し、その写真をサーバーにアップロードする。受講者が本人であるかどうかもチェックされるわけだ。

あとは、オンライン講義の区切りごとに簡単なクイズが出されるので回答していくという仕組みだ。運転免許試験場でも講習を受けたことが当然あるが、ただ聴いているだけだ。それに比べると、クイズに答えるだけでもキチンとしている。そのクイズは講義を聴いていないと答えづらい内容になっている。クイズの内容を日ごとにランダムに変更するのであれば、きちんと講習を聞いていなければ正解できず、次のステップに進めないだろう。オンラインの方が寧ろ良いと感じる。なお、クイズへ回答する際にも顔写真をアップロードする必要があるので、別の人が傍にいるにしても付き添っていなければならない。とはいえ、運転免許試験場における聴きっぱなしの講習風景を考えれば何ら問題ではないであろう。

更に、オンライン講習を受講すれば、その免許証番号の人物がオンライン受講済みである記録がサーバーに残る。免許証を交付してもらうためには警察署に一度は赴く必要があるが、受講済みであることは即座に確認される。後は、免許証用の写真を警察署で撮影する―背景が無地である必要があるので、自宅で撮るのは却って面倒なのだ。そうしてから、カミさんの場合は1カ月後以降に出来上がるという新免許証を待っている所である。


カミさんは、ほぼほぼ高齢者である。小生も高齢者であると自信を持って言える。その二人が、オンライン講習の方が便利だと痛感したのだから、上に引用した記事の結論部分にある「高齢者」は、さしあたって必要がない。


カミさんがオンラインでやったことは講習のみであり、書類記入は警察署にまで行って記入した。だから完全オンラインではない。それでも便利になったと感じる。これが、書類記入もオンラインで申請可能となり、写真はPCのカメラで撮影し、マイナンバーカードの顔写真と顔認証をかけてOKなら、アップロードした画像から顔の部分だけをクリップして背景が無地の写真をサーバー側で自動作成すれば、自宅にいながら完全オンラインで免許を更新できるわけで、技術的には今現在でも容易なはずだ。

残るのは視力検査であるが、これも事前に近くの眼科で視力検査をしてもらい、そのデータを眼科から登録するか、データを書き込んだファイルを本人がアップロードするかのシステムを作るのは何も難しくはない。視力検査だけならメガネ屋でも可能だろう。

つまり、高齢者も、写真撮影も、視力検査も何ら問題ではない。事務手続き合理化と「交通事故」がどう関係してくるのか理解不能である。問題でもないのに問題だと騒いでいるのは内容を知らずただ騒いでいるのであろう。問題がないのに問題があると騒ぐ人たちがいるということが即ち日本社会の問題である。


但し、という但し書きはやはり必要だ。

まず高齢者の場合、加齢を原因として認知能力の低下が高い確率で予想される。身体能力の衰え、反射能力の衰えも運転適性を大いに左右する。であるが故に、加齢とともにいつかの時点で認知能力等を検査する必要性はあり、その検査はオンラインでは(不可能ではないが代理者が傍にいることもありうるので)難しいのである。なので、認知症発症率が高くなる年齢、例えば後期高齢者以上の免許証更新者についてはオンライン手続きを認めないといった措置は必要であろう。

ただ、これは認知能力の検査の必要性があるという理由からであって、年齢を原因とするものではない。ということは、認知能力減退あるいは精神疾患で通院中の人物については、やはり運転適性の判断に対面検証が望ましいわけである。しかし、「通院中」、「治療中」であるという事実は(本来は)病院側のデジタルデータを活用すれば直ちに確認できることなのだ。仮に、(理想的には)自動車運転不適と判断される患者については、医師がそのデータを医師の判断に基づいて入力し、それが警察側のサーバーに自動転送される仕組みを設けておけば、免許証更新通知の段階でオンライン手続きで可であるか否であるかどうかまでも付記できることになる。極めて便利、かつ社会的安全も担保されるだろう。とはいえ、このレベルにまで立ち入って私たちの生活を便利にすることが望ましいのかどうか、それは日本社会が判断するべき事である。

*

火事があるときに「火事だ」と騒ぐのは社会的には有益である。しかし、火事がないのに「火事だ」と騒げば、リソースがムダに使用される一方、必要なところにリソースが投入できないという二重の無駄が生じる。

問題解決だけではなく、問題認識のステージにおいて、既に社会の発展を妨げる行為はありうるということだ。

今の日本社会の真のデジタル・ディバイド問題は、若年層・壮年層・高齢層という年齢を原因とする格差ではなく、PC、スマホ、色々な周辺機器といったIT機器を難なく操作できるか、使いこなせるかといったITスキルを原因とする格差が拡大している所にある。

スマホは使えてもキーボードを打てず、パワーポイントやエクセルはおろか、ワードで文書作成すらできない高校生が大学に入学してきている。そんな若者がデータベースから自分の問題意識に応じた情報を検索し、抽出し、デジタル化して解析するなどという作業が出来るはずがない。だから、ネット情報をコピペするというお手軽な方法に頼ったりする。お手軽な方法だからアウトプットは低く、価値につながらず、優位性がない。つまり、勉強や研究、開発で用いられているスタンダードなメソッドを修得しているかどうかで若年層にもデジタル・ディバイドが拡大していることに目を向けなければならない。

そこが日本社会の最大の弱点なのだということに余りにも無頓着な人が現役として立派に(?)仕事をしている。そして「高齢者は…」などと月並みで単純な言い回しで結論を書いている。

嗚呼、何て単純で空っぽな頭しか持ってないんだ

と、涙が出るほどの不甲斐なさを感じる。そこに大きな弱みがあるのだということだ。

こうした事態をもらたす教育環境上の格差、営業業態上の格差、生活環境上の格差、これらの色々な格差を<丁寧に>観察し、報道することが非常に重要である。

日本社会のDX化を妨げる主たる要因は、必ずしも年齢や世代ではなく、寧ろ上に述べた色々な要因による《格差》、なかでも《経済格差》、及びこれらの格差から派生する《意識の差》ではないかと思っている。

*

幕末から明治の文明開化の時代、日本人が《写真機》なるものに示した恐怖は相当のものがあったという。今では、滑稽そのものなのであるが、

写真をとると魂を抜き取られる

と触れ回る人が、実際に経験した人の前で面子を失い、恥をかく場面は、確かに少なかったのだ。

そして、写真を拒絶するような人間は必ずしも年齢とは関係がなかった。年齢とは関係なく新しもの好きで、好奇心の強い人は一定割合いるものである。逆に、新しいモノに反感を持つ人の割合も年齢とはあまり関係しないものだ。確かに、新しい物事に反対論を述べる高齢者はいるが、実は(小生の身の回りをみても)それほどの多数勢力ではないように感じる。功成り名を遂げて概ね引退した世代は、世の中の変化に対して声高に騒ぐ動機はない。更にいえば、今後長い期間に渡って反対論を述べ続けることもないのである。むしろ青壮年層であるにも関わらず、新しい物事の導入に強い反感を示すグループが、将来の日本にとっては大きな問題なのである。

この事情は幕末から明治にかけての騒乱においても同じであった。攘夷と開国、尊皇と佐幕、文明開化への共感と拒絶などなど、激しい対立は必ずしも年齢や世代で線引きされてはいなかったのである。その辺りの事情は(例えば)島崎藤村の歴史小説『夜明け前』を読めば当時の世間のイメージが伝わってくるものだ。そこでも描写されているが、高齢者というのは時代の変化に困惑するがそれだけである人が大半である。激しい対立は壮年、青年の現役世代の間の「考え方の違い」から発する。衝撃的な「大久保利通暗殺事件」以前の日本で続発した内戦、内乱、要人暗殺などはその現れだ。推して知るべし。「変化の時代」とは昔と今の違いこそあれ、互いに似ているものだ。明治維新と文明開化に反対したのは、その時代の「高齢者」であったなどと言えば、唖然失笑、バカの証明になっちまいますゼ……。

いまマイナンバーカードをめぐって、『口座番号を紐づけするなんて、オオ嫌だ!』とか、『マイナンバーカードなんて絶対作らないヨ!』などと言っている人たちは、その昔、文明開化の時代になっても『写真なんて、おいらあ金輪際御免だネ!』と啖呵をきって抵抗した江戸っ子を連想させる雰囲気をもっている。

【加筆】2023-02-16