2023年2月27日月曜日

断想: 国民国家は戦争する。どう戦争するか、しないためにはどうするか、が問題だ。

 2月の最終投稿になりそうなので、今日は勝手気ままな断想を覚え書き。


前のトランプ大統領は「西側陣営」を不必要な存在であるかのように行動した。マクロン仏・大統領は『NATOは脳死状態』だと表現した。そんなト大統領も、ドイツとロシアがエネルギー共同体を構築する動きには苛立ちを隠さなかった。確かにEUとEURO圏、NATOにいながら、ロシアと一体になってヨーロッパで「大きな顔」をするのは矛盾した話しだ。それでもト大統領の動物的勘は「西側陣営からのアメリカの自由」を欲したのだろうと憶測している。元々、アメリカはモンロー主義を採っていてヨーロッパの問題に介入することを嫌っていた。

今のバイデン政権は解体されかかっていた「旧・西側陣営」を再びまとめようと一生懸命だ。それは(おそらく)中国とは結局のところ理解しあえない、故に敵対するしかないという意識があるのかもしれない。


そもそも

天に二日無く、土(ド)に二王無し。

という《公理》から政治を考える中国の伝統的思想と、ストラテゴスやコンスルを選挙で決めていたギリシア=ローマ以来の西洋的伝統とが融和するはずはなく、まして

All men are created equal.

という《公理》から出発するアメリカ民主主義と中国的文化の相性がイイはずはない。

この違いを、政経分離、多様化、相互主義の下で「あるべき違い」と考えれば、トランプ的発想になるだろうし、違いを「不正義」だと考えるならバイデン的な接近になる。


ト大統領のディール志向は日本人には評判が悪かったが、かと言って「何が正しいか?」を旗印にすると、結局は戦争しかない。

西欧の「ポスト宗教改革」では内戦が相次いだが、結局は信仰の自由と体制選択の自由という原則で平和が戻って来た。このプロセスで誕生したのが「国民国家」だ。

国民国家という建て前ももう雨漏りがしているが、かといって帝国の誕生を予感させるものはない。中国も内政不干渉を常に言っている。


しばらくは、体制選択の自由を認め合い、軍縮努力を再開するしか、道はない。軍縮の果てにあらゆる軍事同盟を禁止し、戦争拡大の目を摘むようなら御の字だ。何しろ古代ギリシア世界では、正反対の体制をとるアテネとスパルタが平和共存していたのだ ― 最終的に互いに軍事同盟を結成して二大陣営に分かれてペロポネソス戦争を始めてしまったが。アッ、第一次世界大戦もヨーロッパの強国が二大陣営に分かれてしまったことが背景にあった。となると、今もまた危ない、危ない・・・。


そもそもソ連解体時に「NATO」を解体しておくべきだった。それをしなかったのは、統一ドイツへの警戒感であったのだろうが、その時の善意が今の戦争につながっていると考えれば、歴史は皮肉なものだ。正にヘーゲル的弁証法による歴史の展開を見ている感じがする。

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