2017年9月20日水曜日

祖父のエピソード: これは奇縁だったかも

小生の母方の祖父は名を石丸友二郎という。裁判官をやって人生を送った人である。だが、色々と失敗をした人でもあったようだ。

たとえば祖父が旧制松山中学(小生の親は父方・母方とも四国松山地生えの家に生まれた)を卒業するときのことだ。その頃、成績第一位は熊本の旧制五高に推薦入学できたらしい。ところが祖父は2位であったようだ。2位は五高ではなく、岡山にあった旧制六高への推薦が可能だったと言う。小生なら大人しく六高に進んだと思うのだが、祖父は実力に自信があったのだろう、『試験を受けて五高に行きますから』と言い放ったそうなのだ。ところが受験してみると、祖父の言い分によれば得意の数学で勝負をするつもりだったところ、たまたまその年の問題は多量の計算を要する問題が出題されたらしい。小生も単純で面倒なばかりな計算は嫌いであったが、祖父も計算は苦手だったらしい。多分、計算ミスを途中でやって、キリの良い答えが出なかったのだろうか、時間が気になり焦ってしまい、あえなく不合格になった。さすがに見栄を切った手前恥ずかしく、表にでることもいやになり、鬱症になった祖父をみて、父親(=曽祖父)は海辺にある家の一室を借り、一夏のあいだそこに滞在させたと言う。いまでいう転地療養である。それで元気を取り戻した祖父は秋から受験勉強を再開する気持ちになったのだが、これが運勢というのか翌年の春に旧制松山高校が開設されることに決まった。それで、祖父は熊本にも岡山にも行かず、地元の松山高校にそのまま進むことになった。

そんなことで岡山の旧制六高に学ぶ機会はついになかったのだが、もし六高に進んでいれば有名な新島八重の娘婿である広津友信がまだ英語教師か生徒監として在職していたはずである。広津は六高に明治34年(1901年)から大正9年(1920年)まで勤務していた。もしそうなっていたら、祖父のことだから広津から聴いた新島八重や戊辰戦争前後の色々なエピソードを小生にも話してくれたに違いない。

石丸友二郎。妻は同郷の作道家から嫁した米代である。長女の名は静江。7歳下の弟が元一である。静江、即ち小生の母である。静江は夫・芳男が53歳であるときに死別し、その後11年を経た後61歳で他界した。元一。妻は和子である。二人とも松山市で暮らし健在である。

こんなことを調べる気になったのは、会津若松の特産である「ニシンの山椒漬け」が小生の好物なのだが、中々地元では手に入らず残念であったところ、ふるさと納税で寄付すれば送ってもらえるのではないかと思いつき、ネットを検索してみると、意外や会津若松市ではなく隣の会津坂下町でお礼の品の一品としてニシン山椒漬けがあるのを見つけた。ただ、会津坂下町には行ったことがなく馴染みがないので、調べてみると出身者の中に新島八重がいる。NHKの大河ドラマで八重は有名になったが、生まれた土地は若松ではなく、坂下であったのかと、再び八重のことを調べ直しているうちに、上の娘婿・広津友信に行き着いたのだ。

広津友信。福岡県出身で同志社英学校に学び創立者・新島襄の信頼厚かった人物である。新島の死後に米国・ハーバード大学に留学し帰国後は同志社の校長代理を勤めた。しかし明治34年に或る校内トラブルに巻き込まれ、同志社を辞任し、同年秋岡山の六高に移籍した。妻は新島八重の養女・初である。初は元・米沢藩士である甘粕三郎に育てられたが、実の親は父が元・米沢藩士甘粕鷲郎、母が元・会津藩士手代木勝任の娘・中枝である。両親が早く亡くなったため叔父・甘粕三郎が初を引き取って育てた。初の祖父・手代木勝任は会津戦争で敗勢が濃くなる中、秋月悌次郎とともに米沢まで陰行し降伏の仲介を依頼した。同藩の協力で会津藩は官軍・板垣退助らに降伏を申し入れることになり戊辰戦争は大きな山を越した。

・・・ついでにいうと、上にあげた祖父は東大には順調に進んだが、その後司法試験(当時の高文試験)を受験するときに遅刻するという大失敗をまた犯してしまった。ただ、この時はさすがに鬱症にはならず、小田原の中学校で臨時教員を一年勤めてしのぎ、翌年度に無事合格した。なので、祖父は10代においては駿馬であった(という)のだが、職業人生を始める時点においては既に人に遅れをとっており、裁判官とはいっても地味な支部勤めが多かったような気がするのは、若い頃のこんな失敗が尾を引いたのかもしれない、と。今になってから思ったりしているのだ。

2017年9月18日月曜日

暴言議員・豊田女史のインタビューで思う

暴言暴行で世を騒がせ自民党を離党した豊田真由子議員に民放のニュースキャスターMがインタビューしたというので注目されている。

今回は秘書への暴言暴行とはうって変わり、スッカリと萎たれた反省ぶりで、これが録音された人物かと思われるほど、声調はまったく別人である。

インタビューの内容自体については多くの意見が既にネット上にアップされている。改めて付け加えなくともいい。

ただ思わず考えてしまったことがあった。

◇ ◇ ◇

豊田議員は、繰り返すまでもなくエリートである。有名女子高校から東大法学部に進み、中央官庁の官僚となってから、米国・ハーバード大学に留学するなどを経て、衆議院議員に当選した。極めて聡明で、昔流の表現を使えば「目から鼻に抜ける」ような大秀才、いやいや超才媛であったからこそ可能だったキャリアである。そんな人だからこそ、暴行暴言が世間の一大テーマになったわけでもある。

悪い意味で『命なるかな。斯(こ)の人にして斯の疾あること、斯の人にして斯の疾あること』という孔子の言が当てはまってしまったわけだ。

しかし、よく考えてみると、オリンピックの金メダリストが不祥事を起こすのだから、勉強エリートがトラブルを起こしたくらいで驚くことはないのだ。理屈はそうでござんしょう。

T女史の場合、「頭がいい」というその点こそがどうにも好感を持てない大きな短所として働き始めている。これが厳しい現実として指摘できる。

◇ ◇ ◇

少し敷衍しよう。

下の愚息に何度も言っているのだが、人の長所は即ちその人の欠点であり、欠点は即ち長所である。たとえば<大胆>な人は同時に<鈍感>な人物でもあり、より大胆であればあるほど一層鈍感にもなりうる。鈍感であるという欠点を表面化させないためには繊細である必要があり、そうなるべく努力をすれば本来の長所である大胆さが消えてしまうのだな。理想は「大胆にして細心」だが、言うは易しだ。他の性格もすべて同じである。

聡明な人は変化や違いに敏く、状況変化に即応してとるべき対応が直ちに分かるものである。頭の回転が生まれつき速いのだ。かつそんな人は記憶力が抜群に良い。それが普通の人間集団におけるトラブルの中では最大の欠点となりうる。前にも投稿したことがあるのだが、小生の田舎でいうところの「キョロマ」になることが多いのだ、な。

大成功するための必要条件として大阪では三点が強調されている。誰でも知っているそれは<運・鈍・根>である。頭のよい人物は鈍な人物を演技できないものである。上手に演技しようとする努力そのものが、鈍な人物ではなく賢い人間である事実を浮かび上がらせてしまう。

故に、聡明な人は概して大成功には至らない。これが昔からの経験則のようなのだ ー 小生の亡くなった父もその轍を踏んでいたように(今にして)思ったりする。

江戸幕府の名老中であった松平伊豆守信綱は「知恵伊豆」と呼ばれるほどの秀才であったが、人望薄く、「才あれど、徳なし」と評されていたそうだ。小姓をつとめて以来ずっと仕えた将軍・家光が薨去したときに殉死はせず(4代家綱を託された故であるが)、そのため「伊豆まめは、豆腐にしては、よけれども、役に立たぬは切らずなりけり」と庶民からは揶揄されている。

◇ ◇ ◇

非常に頭のいい人物というのは、使われる人物であってこそ輝くことが多い。尊敬や人望、器の大きさとは無縁になりがちだ。「頭の回転が速い」という素質単独ではせいぜい歯車一枚が担当できる範囲のことしかできない理屈だ。大成功に至るにはもっと必要な才質がある。

知恵伊豆や一休さんのように「頭の回転が速い」、「頭がいい」ということが真に求められる仕事とは一体なんだろうか、よく考えると分からないのだな。小生の身近には研究者が多数いるが、研究者としての成功は「頭より性格」、これが経験則だ。やはり、どう考えても人の手足になって指示された仕事を正確かつ速やかに進めるときではないか。それとも当意即妙が求められる芸能人だろうか・・・。頭の回転が速いことは、足が速いのと似ていて、あくまで個人の能力なのである。走るのは一人で走る競技もあるが、仕事は一人では中々できない。頭の良し悪しはその人個人の才能なのだ。そういえば東大生の芸能人化現象がさいきん顕著に進んでおるなあ・・・。ま、これは別の話題。

今日はどうも結論らしい結論はありそうもない。が、上で「考えてしまった」と書いたので一応全部書きとめておく。

一生懸命に受験勉強をすれば普通の人でも解答可能であるような特定のパターンの問題を<制限時間内>で解くような筆記試験は、頭の回転の速さを測定しているわけであり、まったく人材選別に無益とまでは言わないが、問題解決能力を問うものではなく、選別手段として高い精度をもっているとは言えない。

筆記試験では<真に解答困難>な問題を出題し、体力の限界を問うほどの長時間を与えて解答させる方式の方が選抜手段としては有効だと思う。評価は主観的にならざるを得ない。だからこそ、評価を担当する側にこそ一流の人間を配置するべきだ。中国伝統の科挙はその方式であった ー それでも出題パターンは無限にはないので受験勉強の巧拙で合否が決まるところがあったと何かで読んだことがある。

厳しい勝負の世界で生きているプロスポーツでは、練習を重ねいま身につけているスキルより、「基礎」と「伸びしろ」をみて選手を選び育てているはず。これはどの世界にも当てはまることだ。

こんなことを改めて考えてしまった。ま、月並みなことである、な。

2017年9月16日土曜日

ずっと昔の「文春砲」?

夏に読み返すなら永井荷風の『濹東綺譚』が最良だと思っている。この夏もまた読んだのだが、面白い下りがあったのでメモしておく。

主人公の大江(≒荷風自身)が遊興の巷・玉の井をなぜ歩き回るようになったのかを語る場面である。

此に於てわたくしの憂慮するところは、この町の附近、若しくは東武電車の中などで、文学者と新聞記者とに出会わぬようにする事だけである。・・・十余年前銀座の表通に頻りにカフェーが出来始めた頃、此に酔を買った事から、新聞と云う新聞は挙ってわたくしを筆誅した。昭和四年の四月「文藝春秋」という雑誌は、「世に生存させて置いてはならない」人間としてわたくしを攻撃した。

と、こんな下りがあるのに改めて気がついた(岩波書店『荷風全集』第9巻(昭和39年初版)、134頁)。

『濹東綺譚』が書かれたのは昭和11年(1936年)のことである。「う~む、81年も前から文藝春秋という会社はこんな「筆誅」なるものをやっていたんだネエ」と、改めてというか、つくづくと、会社の根性なるものに感嘆した次第。

とはいうものの、永井荷風はことさらに『文藝春秋』のみに辟易していたわけではない。

たとえばこんな下りもある。

文学雑誌『新潮』は森先生の小説に対していつも卑陋なる言辞を弄して悪罵するを常としていた。殊に先生が『大塩平八郎』の一編を中央公論に寄稿せられた時『新潮』記者のなしたる暴言の如きは全く許すべからざるものであった(岩波書店『荷風全集』第15巻(昭和38年初版)、232頁)。
荷風がいう「先生」というのは森鴎外のことである。上は大正11年(1922年)8月発行『明星』に掲載された『森先生の事」がオリジナルである。書かれたのは実に95年も前のことだ。

現在、「週刊文春」と「週刊新潮」が何かと言っては人の秘密を暴露しては人を非難し、販売部数を伸ばす競争をやっているが、「この性向、昔から何も変わっていなかったんだネエ」とつくづくと感嘆した。

同じ路線を100年近くも走り続けるのは、会社であるとしても、ある意味で偉大なことであろう。



2017年9月14日木曜日

北朝鮮問題: 間の抜けた記事、間の抜けた予測

新聞記事を書いている記者がどの程度まで書いている事柄について勉強しているかというと、疑問に感じられることが多いと。こんな指摘は以前からある。次の下りはどうなのだろうか。

 (前略) また、日米の運用が一体化すればするほど、自衛隊が米軍と同じ集団とみなされる恐れがある。もし北朝鮮が米軍に軍事行動をとる場合、給油などをする自衛隊にも矛先が向きかねない。政府がどこまで情報を開示し、正確な実態を伝えるかも議論が必要になる。


北朝鮮が仮に日本海で米艦を攻撃すれば、直ちに安保法制上の「存立危機事態」及び「武力攻撃予測事態」が宣言され、集団的自衛権が発動されることは確実である。

その集団的自衛権について違憲訴訟が殺到することも予想される。

しかし、現に北朝鮮が米艦を軍事攻撃しつつある事態になれば、詳細を述べるまでもなく、集団的自衛権に基づき自衛を進める内閣を支持する世論は高まるであろう。違憲訴訟の結論がでる以前に、憲法改正が発議され、国民投票に付されることもまず確実ではないかと思う。国民投票では賛成多数となるであろう。

なので『北朝鮮が米軍に軍事行動をとる場合、・・・自衛隊にも矛先が向きかねず』というのはかなり間の抜けた話しで、そんな<有事>においては自衛隊というより日本の国土が当然の理屈として北朝鮮の攻撃対象になる。これはもう当たり前のロジックだと思うのだが、「そうならないように出来ないか」と願うなら、上のような暢気な予測を述べるより、戦争を避ける戦略的外交の余地について特集記事を企画したり、世論を形成する努力を(もっと)するべきではないだろうか。

森友騒動や加計学園騒動ではそれができたのである。

2017年9月13日水曜日

主観におぼれては良い分析も、良い提案も、良いレポートも無理である

商売柄、レポートを添削したり、評価することは多い。

明確に言えることだが、優秀なレポートは読んでいて楽しい。書いている本人の知的な活動がイキイキと伝わってくるものだ。

よく起承転結を大事にせよとか、序論・本論・結論をハッキリ意識せよとか、良いレポートを書く鉄則について話したりするのだが、最も大事なことはロジックを通せという点に尽きる。なぜなら、感性や価値観、理念、主張は人さまざま、文字通り「人は色々」だからだ。感性や価値観はバラバラでも、論理は万人共通である。だから明確な論理で整理されたレポートを読むと、思わず『この人はホント頭がいいねえ』と感心するのだなーもちろん、どんな論理にも前提はあるので、結論に常に同意するとは限らない。これまた当たり前。

◇ ◇ ◇

さて、と。ある報道記事(というよりブログ記事)に次のような下りがあった。
今、野党は何を目指すべきか。 
「自民党にとってかわる」のが野党の大目標であるのだから、すでに「失敗した」と見られている「民進党」という器にこだわらず、国政の転換のための野党勢力の大きな結集を実現し、一対一の構図を作り出すべき、というのは、前回の論考で書いた。 
で、こういう書き方をすると、「理念なき数合せでは駄目」みたいな評論が必ず出てくる。それはその通りだが、しかし私が見ている限り、バラバラで遠心力ばかりが働いているように見える野党勢力だけれども、当面の政権政策となりうる政策の一致は、本当のところ、十分に可能であるように思える。
(出所)BLOGOS、2017年9月13日

ご本人はレッキとした政治家だ。だから自派の立場を伝えようとする意欲はわかるのだが、わかるのは残念ながら『何か、強い思いがあるんだネエ』というところまでだ。

小生、最後まで読むことが出来なかった ー 教師としての立場上、こんなことをしてはいけないものの、最初の数行を読んだ段階で関心が萎えてしまうレポートもある。そんなタイプのレポート文と同じであった。

◇ ◇ ◇

「自民党にとってかわる」のが野党の大目標であるのだから・・・というところでもうダメであった。

学生のレポートであれば「違うでしょ」と言うだろう。

政治というのは「お山の大将」になる陣取りゲームではない。現代は戦国時代ではないのだ。当人たちは勝負の意識が強いのだろうが、それは「当事者の主観」でしかない。国民とは共有されていない。

民間企業ならシェア第1位になりトップ企業として君臨するのが、経営目標といえば目標だ。しかし、ただトップ企業を倒すことを第一目標にしてはいけない。

トップ企業は、多くの顧客から評価されているからこそ、現時点のトップでありえている。この事実は大変厳粛である。それはトップ企業が有している価値であると同時に、そのトップ企業は顧客を含む社会全体にとってのリソースでもあるのだ。ただ「トップを倒したい」なら、虚実とりまぜた「ネガティブ・キャンペーン」を徹底してやればよいのである。トップ企業はボディブローのようなダメージを被るだろう。しかし、それは商慣習としてタブーになっている。その意味合いは政治家や政党にとっても非常に重要ではないだろうか。

「トヨタにとって変わることはトヨタ以外の国内自動車メーカー共通の大目標だと思うんですよね」という御仁が、たとえばゴーン社長の後継者になるとすれば(ありえないことだが)、『こいつバカか』と思うだろう。「よい自動車」を提案して新たな時代を切り開けば、結果としてトップになれるのだ。

◇ ◇ ◇

違った政党は、異なった提案をしている(はずである)。提案が異なるのは基本理念が異なり、目標が異なるからだ。そもそも「政党」っていうのはそういうモノでござんしょう。民進党と日本共産党は基本理念が異なる(のは明らかだ、民進党の理念は少しアイマイだが)。理念が異なり、目標が異なるなら、協力できるロジックはない。

であるのに、「大目標」とはよく言ったものである。薩摩と長州は「幕府を倒す」という目標で一致したわけではない。攘夷が困難であることにいち早く気づき、幕藩体制という現状が国の独立を危うくしているという認識を共有し、「倒幕」が必要であると認識し、「強い日本を建設する」という目標で一致したから、薩長反目の経緯を乗り越えて協力できたのだ。倒幕は「大目標」ではなく通過点であった。何より「行き先」が大事なのだ。幕府を倒すという大目標で協力したわけではない。それでも具体的政策レベルで違いが表面化したから西南戦争が起こってしまった。目的が違うなら、やっている先から内紛が起きるだけである。

小生の若い頃に「革命はまだ起こらねえのか!」と叫ぶ御仁がいたが、ただただリニューアルしたいだけで壁紙を剥がし、家具を撤去したら、漂流するだけでしょう。

夢をまず語るべきである。夢があったから志があり、「志士」と呼ばれたのだ。であるのにネエ、上のブログ記事はトテモじゃないが読めたもんじゃございませんでした。

◇ ◇ ◇

レポートの序論では、問題を提起し、その問題について全ての人が認めるに違いない合意事項や大前提を示す。そこで本論に入り、ロジカルに問題の解決策を浮かび上がらせていく。これがレポートの王道である。

奇をてらったレポートは「本心はどこにあるのか」とアラヌ腹を探られるだけである。政治家も奇をてらわず、王道でいくべきだ。勝つこと自体を目的とする詭道(鬼道?)は日本の政治の場において共有されている社会資源を損壊するだけである。

2017年9月10日日曜日

メモ: 「文春砲」についてどう思うか

「文春砲」という単語は小生が東京で小役人をやっていた時分にはなかった。ごくごく最近年になってから使われ始めた言葉だ。

とはいえ、こういう「社会的制裁」、いやいや憲法で「私刑」は禁止されている、そうではなくて「報道サービス」は自分たちが暮らしている社会の自浄機能を維持する上で必要である。これまた事実であるのだな。

人間ドックでこんな会話をしたことがある。
コレステロールが上がっていますね。チョコレートはお好き?そう、それは止めたほうがいいと思います。チーズは?
お節介な話だが、本当に悪い所があったときに、「悪い所がある」と正確に指摘してくれるためには厳しい判定基準が必要なのである。統計学では「第1種の誤り」と「第2種の誤り」のバランスをどうとるかという問題になる。前者はヌレギヌ。つまり「悪くはないのに悪い」と判定してしまう、後者は見逃シ。即ち「悪いのにそれに気がつかず放置してしまうことから問題が拡大する失敗」をさす。人間ドックに限らず、すべての検査、すべての判断行為には判断ミスの可能性がまじるものだ。

甘い捜査をすればヌレギヌをきせる回数は減るが、真犯人を見逃す誤りが増える。厳しい操作をすれば、容疑者は落とせるだろうが、冤罪をうむ可能性が高まる。一定の情報で判定するなら、二つの誤りはトレードオフである。

◇ ◇ ◇

「文春砲」のターゲットになった人物は、記事の内容がすべて事実なのか、一部分は事実なのか、まったくの虚偽なのか、その度合いや真相とはかかわりなく職業上の地位を(たとえ一時的にもせよ)失うという憂き目にあうのが現実だ。

社会にとって有用な人材が週刊文春編集部の私的な判定で葬られてしまうのは確かに社会的損失である。が、本当に悪辣で警察による捜査では立証し難い人物であっても「黒い噂」が週刊文春に掲載されれば、その時点で当該人物は大打撃を被るだろう。

理想はピンポイント砲撃であるが、そこには狙うターゲットはいないかもしれず、砲撃すればやはり無辜の市民も巻き添えをくう、無実の御仁もドカ〜ン1発で哀れなり、社会的生命は花と散る・・・犠牲をゼロにするのは実に難しいものである。同じ理屈じゃな。

◇ ◇ ◇

確かに「文春砲」のような存在は社会にとって必要なのである。が、犠牲者はやはりゼロではない。これまた払うべきコストということだ。悲しいけどねえ・・・。

今回の騒動は山尾議員の身の不運かもしれない。仮にそうだとすれば、それは日本社会が自浄機能を維持するために必要な犠牲ということになる。
お上が何もかもやるわけにゃあいけませんからネエ、火消しもそうなんですけどネ、この辺はもう町方の考えでやってもらってるんでござんすヨ。こりゃあいけねえヤって皆が思うなら消えていくでしょうし、何かのお役に立つってんなら使う人も出てきましょう。まあ、見ててごらんなせえ、落ち着くところに自然にネ、落ち着くってことじゃあござんせんか?
そういうことか。大火から江戸を救うには、燃えてない家を壊しても「致シ方ナシ」。不純異性交遊の蔓延をくい止め、世間の規律を保つには犠牲も時には「ヤムヲ得ヌ」。かなり危ないことを二人がやっていたことは確かだし、そうかもネエ・・・。

2017年9月9日土曜日

メモ: 憲法改正に関連するベーシックな論理

数日前、すっかり秋めいた北海道の晴れた昼下がり、部屋でゴロゴロしていると、不図こんなロジックもあるなあ、と気が付いた。

明治憲法の改正手続きに則して日本国憲法は公布・施行された。これが(一応手続き的にも)公式の見解になっている。が、そんなことは可能かという問題が学会にはあると耳にしている。

ここで一つの問題:
日本国憲法の改正手続きに則して明治憲法に戻すことは論理的に可能か。

結論:
論理的には、可能だ。

◆ ◆ ◆

なぜそうなるかを以下にメモしておく。

一見すると、国民主権を原理とする日本国憲法から天皇主権を基礎とする明治憲法が導かれるはずがないと思われる。


簡単のため次のように記号を定める。「明治憲法を是とする」を命題A、「日本国憲法を是とする」を命題Bとする。現在の公式解釈は(論理としては)「AならばB」である。

仮に日本国憲法から明治憲法は導かれえないのだすれば、その命題は「BならばAでない」になる。ところが、この対偶をとれば「AであればBでない」となる。これを言葉になおすと「明治憲法を是とすれば日本国憲法は是にならない」となる。しかし、現に明治憲法から日本国憲法が導かれたと公式には解釈されている。故に、上の命題は真ではない。ということは、その対偶もまた真ではないことになる。即ち、元の「日本国憲法から明治憲法は導かれえない」という命題は偽である。故に、「日本国憲法から明治憲法は導かれうる」。

要するに、明治憲法の改正手続きから日本国憲法が制定されたのだと考えれば、日本国憲法を改正して明治憲法に戻すことができる。もちろん、国民投票でどうなるか、それは分からない。しかし、そんな改正が行われたとしても、決して不合理ではないわけだ。

◆ ◆ ◆


上の議論は東大法学部の正統とされる「八月革命説」とは異なる。この学説に立てば、明治憲法から日本国憲法は得られない。昭和20年8月に(概念上の)革命が起きたと考える。もしそう考えるなら、日本国憲法から明治憲法は出てこない。実態としてはこちらが正しいのだろう。しかし、仮にそう考えるならば、今度は明治憲法を廃止して新たに日本国憲法を制定したのは誰か、という問題に解答する必要が出てくる。

この問題は、歴史的事実をどう認識するかという問題レベルを超えるものらしく、憲法学界でも一致した答えが未だにないようだ。このこと自体、一種、驚きでもある。が、まあ、それはそうかもしれない。まさか「アメリカ人が制定した」とは法理からして言えまい。なぜならアメリカ人には日本の憲法を制定する権利がないからだ。それとも連合軍が表明した意志として憲法改正が含まれていた。占領中であれば可能であった。実態はこれに近かったのかもしれない。が、そうであれば、日本国憲法は「民定憲法」とは言えないであろう。国民が制定したわけではないなら「国民主権」であるとも言えないかもしれない。これよりは明治憲法の改正手続きに則して日本国民が日本国憲法を定めたと解釈する方が収まりがよいかもしれない。どうもこれまたハッキリした統一見解がないようだ。

「戦後日本」の古くて、最も重要な出発点が、現・統治構造の下で今なお不明確である。ここは認めざるを得ないのではないだろうか。だから憲法の正当性に疑いをはさむ集団が存在する。ここから様々な問題が対処されないまま問題としてそこに現存するわけだ。