2024年4月18日木曜日

ホンノ一言: 生理現象だからって人前で話せば下品になるって感覚は大事ですゼ

この4月からスタートしたNHKの朝ドラは、いつも視ないカミさんも毎日視るようになって、中々の傑作ではないかと思う。

特徴を一つ挙げるとすれば、女性の生理がドラマの中でオープンに語られる点かもしれない。こういう筋運びは余りなかったことだ。実際、ネットでは色々と賛否両論、というよりリアクションと言うべきだが、寄せられている模様。

一つ感じるのは、なぜこれ程の話題になるかネエ、ということだ。


「そもそも論」として、男女を問わず人間の自然な生理現象を恥じたり、隠したり、話題にしづらい雰囲気があるのは、おかしなことである。

だから色々な生理現象は、すべてドラマの中でオープンに語ってよい、寧ろそれを恥ずかしがる方がおかしいのだ、と。多様化とは自然な生理現象を自然な話題にできるということなのだ、と。話はこうなるのであろう。

確かに、理屈は分かる。自然な生理現象を恥ずかしいと感じる社会心理こそ道理に合わない。その通りである。


しかしながら、だからと言って、求めて何度もそれを話すとすれば、それはそれで《下品》というものかもしれない。


考えてもみなせえ。男女共通の生理現象と言えば、言うまでもなく《大小便》だ。

ところが、近年の学校では、校内のトイレで大便をするのを知られたくないという雰囲気が強いそうだ。これは道理に合わない。

いま文字で「大便」と書いたが、朝ドラの編集理念に則して言えば、「大便」という生理現象をそのまま文字に書くのを控えるという感性はおかしいということになる。生理現象なのだから、遠慮せずどんどん使いなセエ、ということになる。

とはいえ、友達と遊んでいる最中に

ちょっとクソしてくるわ

と笑いながら平気で話していた昔の学校風景がはるかに洗練されていたとも言えないような気がするのだ、な。

「大便」とか、「ウ〇コ」とか、「クソ」とか、それをズバリと言わず、つまり隠して、そっとトイレで用を足してくる。それはそれでその人間集団の品格という徳性になるのじゃあないか、と。

退屈な話を聴いているとアクビをしたくなるのは自然な生理現象だ。が、教室で前を向いて大あくびをすれば、話している教授は「無作法な奴」と感じて気分を害するかもしれない。もし商談で大きな欠伸をすれば、相手は「無礼者!」と怒って席を立つ(かもしれない)。生理現象だからと言ってマナーを否定する理由にはならない。社会を維持する上で、やはりマナーを守ることは大事なのである。商談中の欠伸を我慢せよと命令しても、それが個性の抑圧には当たらないだろう。


朝ドラを視ながら朝食をとっている視聴者も案外多いのではないかと思う。

食事をしているかもしれない視聴者がカメラの向こう側にいると想像するとき、自然な生理現象だから話題にしてもイイという話しにはならないのではないか。そんな話題を避ける感覚だから、社会は進歩しないのだ、と。そうは言えないでしょ、ということだ。

要するに、マナーではないかと思うのだ、な。

多様化の時代というのは、善かれと思って継承してきた価値を疑い、是とされてきたモラルもマナーも、全て人間の個性を抑圧する不自然な束縛として否定する時代なのであろうか?

だとすれば、

多様化という時代は、つまりマナー以前の原始人に戻る時代である

そう思ってしまいますがネエ・・・

それで本稿の標題が決まったわけだ。

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