2024年4月4日木曜日

断想: 被災者に寄り添うとは・・・真の意味で寄り添えるのか?

この正月に能登半島で大地震が発生したかと思うと、昨日にはまた台湾でもっとマグニチュードの大きな地震が発生した。ちょうど朝早々で小生は定期的に通っている病院へ車を走らせている所だった。ナビに緊急通報が届いて「視聴するか」とのメッセージであったので「視聴する」を選ぶとワンセグ放送だろう、地震速報が流れてきたのだ。

ナビにも緊急通報が届くんだネエ

というのは、遅まきながらその時に知った次第。 

一日明けた今朝もワイドショーは昨日の地震にかかりきりである。番組担当のレポーターが昨日内に台湾まで飛んだのだろう、現地から被災地の情況を説明している。

倒壊寸前になった家屋の側には赤色をした、何という名の花だろう、美しく咲いているのが奇妙に印象的である。

小生: TV局のレポーターはわき目もふらず、倒壊した家屋の悲惨さを説明するのに、口を動かしている。その傍らには、美しい紅花が満開に咲き誇っている。家の人はいない。家を捨ててどこに避難したのか・・・

あるじなくとも 春を忘るな

だネエ・・・

カミさん: そんな言い方、ちょっと不謹慎だよ、台湾の人は大変なんだから。

小生: テレビ局の人は被害の悲惨に目を向け、芸術家は倒壊した家屋の横に咲く花を絵に描くかもしれないし、詩人なら呆然と立ち尽くす人の群れと、災害は関係なしとばかりに咲く花々を対比させて、詩の一篇を書くかもしれんよ。こんな言い方は、モラハラになるのかな?

カミさん: 感じは悪いと思うよ。

小生: 中国の詩人で杜甫って知ってる?

カミさん: その人、教科書で太字になってるヨネ、あたし、太字の名前は覚えてるのヨ(笑)。

小生:じゃあ

国破れて山河在り 城春にして草木深し

って知ってる?

カミさん: 聞いたことある。

小生: 『春望』ってタイトルだから季節は春なんだけど、唐王朝の時代、安禄山の乱で長安の都が荒廃してサ、みるも無残な風景になったのを詩にしてるんだよ。巷、巷には、行き場を失った浮浪者が数多いたと思うんだよね。それを「国破れて・・・」と詠っている。これも、考えようによっちゃあ、被災者からみるとモラハラになるかもね。呑気に詩なんか作ってないで、炊き出しでも手伝ってくれという人がいたかもネ。

カミさん: そうだね。詩を作るなんて適切じゃあないかもネ。 


よく『被災した方々に寄り添う気持ちをずっと持ち続けたいものです』と、テレビ、新聞といったメディア各社は力説しているのだが、所詮、被災しなかった人と被災した人は、もはや異次元の生活空間に立っているのが、冷厳な現実だ。

そして、人が世界をみる目線は色々様々である。

様々な人たちの中には、政府で働いている人たちがいる。その人たちは災害で困窮した人たちが難民となり社会的不安定を招かないよう生活を支援する仕事に当たっている。また、内乱に荒廃した首都の光景を詩にする人もいる。それが後の人の胸をうち、歴史に残る漢詩の傑作となることがある。そうかと思えば、食料不足に陥った都に食料品を運び、一山儲けようと企てる商人、農民の一団がいる。これら全てを含めた営みが人間世界の有りようである。そう思うのだ、な。

鎌倉時代の随筆家・鴨長明が著した『方丈記』も

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

こんな書き出しが有名で、世の無常を観想していると言われることが多いのだが、実際のところ『方丈記』は、京の都を相次いで襲った飢饉や大地震、大火といった災害がどれほど悲惨なものであったか、その被災状況報告が主内容(の一つ)になっている。

しかしながら、『方丈記』が日本文化において占める位置は、鎌倉期・京都の災害レポートというより、優れた文学的作品としてのものである。

まあ、何度も災害に襲われて荒廃した都をレポートすれば、世は無常とつくづく感じるワナ

というところか。そこには人間社会の本質を洞察している観察者の眼があるわけだ。


過ぎゆく歴史的時間の中で、後世代の人がいま現世代の人たちがやっているどんな仕事を評価し、どんな成果を残したいと思うのか、現時点においては分からない。故に、いま生きている人たちが、互いに人それぞれの営みをリアルタイムで論難し、大衆を動員しては倫理的判定を下そうとするのは、有意義なことではないし、まして適切でもなく、結局のところ儲かるのは紛争をエンターテインメントに変えるメディア業界とそこに出演する法律家だけである。大半の人はただ困るだけであろう。

人は自分に出来る目の前の仕事に精を出せばそれが必要十分、他人や世間を気にしながらイイ仕事は出来ないものである。

漱石が『草枕』で述べているように、

山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。

忖度過剰、倫理過剰の現代日本社会はますます住みにくくなっている。これでは一流の人材から海外に流出するだけであろう。

やはり無常の世間というわけか・・・

【加筆修正:2024-04-05】



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