2011年5月23日月曜日

私感―経済学者の共同提言(伊藤隆敏・伊藤元重)

今日の日経「経済教室」に伊藤隆敏、伊藤元重両氏が寄稿している。日本の経済学界では超一流の重鎮と言える二人だ。

メインテーマは「震災復興政策―経済学者が共同提言」で三つの提案から構成されている。一つは将来世代にツケを回すな。二つ目は電力対策としては価格変動で需給調整を行う。三つ目は町作りの方向。集積の利益を求め特区・税制などを弾力的に活用する。こんな概要である。

エコノミストとしては非常にオーソドックスな提案だと小生も基本的には理解できるのだが、残念ながらどの点についても、直ちに合意を得るには困難がつきまとうのではないか。そんな印象をもった。

まず第一点の将来世代へのツケ。ツケを回すなと言ってはいるが、既に将来世代は今回の大震災の被害を負担することが、事実として決まっている。物理的な生産資源が損壊した以上、将来世代が保有できる生産力は低くなっている。この傷跡はどう消そうと努力しても消せるものではない。

二氏は、国債で復興資金を調達すれば将来世代がその資金を負担することになるというが、生活水準はお金がどう循環するかではなく、生産活動で決まるものだ。失われた資本ストックが速く元に戻ればその方が良いに決まっている。100なら100の生産設備を動かして商品を販売すると売れ残りが生じる。だから国債を発行して国が雇用を守る。これは確かに将来世代の需要を先食いしている。国債増発にはそんな一面がある。需要を将来から現在に移しているのだ。お金の回り方を変えることで需要は時間調整できる。しかし今回は需要の後先が大事なのではない。損壊した生活基盤をどれだけ速く再建設できるかであって、早ければ早いほど、将来世代はより多くのストックを受け継ぐことができるのである。

次に、電力市場の需給調整には価格変動を、という提案。これは小生も基本的に同感だ。原発から化石燃料にシフトすれば電力コストは上がる。電力料金は上げなければならない理屈だ。しかし「経済教室」にはこんなことも述べられている。「・・・東電をもうけさせるだけとの批判もあるが、電力料金引き上げは価格シグナルを通じて供給を増やし、需要を抑えるために必要である。引き上げ分を東電ではなく賠償基金に直接入る仕組みを作る手もあろう」。確かに製造原価が一定で需要が増加すれば価格を上げるべきである。そうすれば企業の利益率は上がるので市場への新規参入が期待できる。生産者が増える分、供給が増え、価格は生産技術に見合った適正な高さに落ち着く。これが市場の価格メカニズムであり、「見えざる手」と称される働きでもある。

しかし、価格メカニズムに期待するからには、その市場が自由で開かれた組織になっていなければならない。では電力市場が地域独占ではなく自由で開かれた市場になるとしよう。一体、東電が支払う損売賠償コストは製造原価を構成するのだろうか?新規に参入する企業にとっては賠償資金など発電コストには入らない。このブログでもとりあげたが、事故を起こした企業が負担する賠償負担は価格では回収不能なサンクコストなのである。サンクコストは売り上げからは回収できない。だから自己資本が毀損したと見るべきなのだ。毀損した自己資本を埋めるには増資しかない。これを資本市場で調達すれば東京電力株式会社は生き残れる。これが不可能ならば政府が引き受ける。これが国有化だ。つまり、損害賠償負担は資本主義社会においては減資で対応するのがルールなのである。

電力料金値上げで利用者が払うお金を賠償支払いに充当してもよいというのであれば、それは広く国民が原発事故の後始末を負担することになるわけであり、その支払いは(ほぼ確実に)将来世代にも及ぶであろう。震災復興で必要となる資金は現在世代が負担し将来世代にツケを回すべきではないと二氏は主張している。だとすれば、現在の東電株保有者は現在世代なのだから、先ずは基本ルールに沿って減資という形でコストを負担するべきであろう。そう思うのだが、どうだろう?そもそも製造原価には含めえない賠償支払いを価格に乗せるとすれば、市場価格そのものに対する国民一般の信頼性が毀損されるのではないか。そうも思えるのだが、これは杞憂に過ぎるだろうか?

第三の町作りだが二氏の目は相当ドライである。地方財政が今後一段と厳しくなると指摘しているのはその通りだ。しかし、震災・津波がなかったとしても現状の生活継続は長期的には難しかっただろうという箇所は、小生には無為自然の理を薦めているようにも感じられる。何もなくとも継続困難であったのだから、これからは過重な住民サービスを整理して、コンパクトシティを作る。つまり、集中と選択です、な。東北地方は、これから集中と選択で行く。う~ん・・・。首都圏の電力需給は大丈夫なのか?エネルギーはこれからも地産地消で行けるのか?大都市圏の産業集積は、現状通りでいいか?あと50年はいまの産業構造で大丈夫なのか?新しい東北は新しい国土利用の観点からその役割を考えなくてもいいのか?小生は、どうもこの点についても心配でならないのである。

まあ、こんな感じであって、今回の大震災からの復興、現在の原発事故を見据えた新しいエネルギー計画に経済学からの発想は不可欠なのではあるけれど、そうそう議論は簡単にはまとまらない。これがとりあえずの感想だ。まさに今後は日本社会全体の<集団知>の形成がなくてはならないと思う所以なのだ。

この最後に使った<集団知>だが、いま読んでいる大前研一「知の衰退からいかに脱出するか」でも基本テーマになっている。明日か、明後日にでも論じてみたい。

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