東京が地震で被災した場合の危険地域ワースト10が都から公表されたと耳にした。先日TVのワイドショーでも話していて、小生がその昔下宿していた町の風景も流れていた。
「ああ、こんな感じだったなあ」、「路地は狭くてね、どこに通じるか、それが楽しくてねえ」とカミさんと話をしながらみた。「住んでいた下宿は、それは紅葉のきれいなお寺の近くにあってねえ、下見をしてすぐ決めたんだよ。大きな部屋で床の間、違い棚まであってさ、ご主人を亡くされた奥さんが学生をとめていたんだけどね、一か月くらいたって、大分暑くなってねえ、北のすりガラスの窓を開けたらさあ、塀があって、その上から卒塔婆が並んでるわけ。紅葉のきれいな寺の裏が墓場になっててな、その裏に下宿があったわけなのさ」。夏になると、窓をあけて、何か見えるか確かめたくもなったが、南の障子をあけると廊下越しに入る風で十分涼しく、それ以上、冷やす必要性はなかった。エアコンどころか扇風機すらいらなかった。昔の東京である。
その後、もう一度新しい下宿に移ったまま、再訪の機会はなかった。綾小路風に言えばあれから40年。住んだ家ももうないだろう。
数年前の初夏の頃、よく訪れた目黒不動に寄ってみた。全く同じ風景だった。
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