リスクに備える行動をとることも政治家に期待されている。そこで即刻停止という判断をしたのが今回の総理要請である。が同時に、リスクに備えるためどんな行動をとるか、企業経営者の裁量にゆだねられている部分もある。リスクに備えるためには、どんな私的権利も制限されていいというわけではないし、まして損害を甘受する義務はない。
さて、30年以内に<心配される事象=大地震>が発生するというのは、間近に迫った危険だと認識するべきなのだろうか?
私は地震発生確率の計算方法を熟知しているわけではない。しかし、確率を計算する場合の一般的考え方として、あい続く同じ事象を独立とみなすか、独立とはみなさないかの区別が大事だ。
独立というのは、ある期間内に特定の事象が起こる確率と、次の同じ長さの期間内にそれが起こる確率は、いつでも同じだと考える。たとえば、電話がかかってくる確率はこれに近い。5分内に電話がかかってくる確率が5%だとすれば、5分が過ぎた後の次の5分に電話がかかる確率も同じ5%だ。そう考えるなら、これを<独立性の仮定>と呼んでいる。
「独立でない」というのは上と反対のケースだ。たとえば火事が起こる確率、地震が起こる確率はこれに該当するだろう。ある家が次の10年以内に火事になる確率が1%ある。では10年間、火事が起こらなかったとする。住人の注意が行き届いているのであろう。これを考慮すれば、次の10年で火事が起こる確率は1%より小さいと考えられる。あるいは、もし10年以内に火事が起こってしまったら、家は焼けてなくなるから、次の10年で火事が起こるなどと考えること自体が無意味になる。状態がどう推移するかで、確率が変わるわけだ。そんな場合は独立性の仮定を置くのはまずい。
30年以内(=360か月)に大地震が到来する確率が87%というのは、何も起こらない1か月が360回続くことの排反事象になる。もし独立性を仮定すると、1月以内に大地震が起こらない確率が99.4%であれば、政府の結果と同じになる。差し引きすると、1月以内に大地震が来る確率は0.5%程度しかないが、そういう平和が今後360か月も続くと考えるのは呑気すぎますよ。そういう解釈が合理的だ。但し、この計算は独立性を前提している。
おそらく30年以内に来る確率が87%という場合、毎月の発生・不発生は独立ではないと考えるのだろう。最初の10年に発生しない場合は、次の10年で発生する確率が高く、それでも発生しないなら最後の10年ではほぼ確実に起きる。そう考えるのが理にかなう。しかし、発表されたのは「次の30年で大地震が起こる確率」だけであって、今後5年はおろか、今後10年も公表していない。
ここで言えることは、政府の地震調査委員会の声明は極めて曖昧であり、説明不足であるということだ。常識的に考えて結論がそうであれば、前提によらず、1月以内に東海大地震が起こる確率は限りなくゼロに近い。そう思われるのである。
それでも停止させるというのは、少なくとも数理的かつ経済的合理性を欠く。原発施設の運営はビジネスである。停止、検査、運転には合理性がなければならない。合理的根拠を欠き、内閣の意思決定を行う法制的基礎である閣議をすらもすっ飛ばして、「直ちに浜岡原発の停止要請」という行動に踏み切ったからには、数字とは関係なく浜岡は間近に迫った危機であり、だから停めたんだ。そう考えるしかない。そう考えたのであれば、それは一つの立場である。政治家は自らの信念をもつ権利がある。
であれば、大地震が起こる確率は極めて小さいが、明日その危険が来る可能性もゼロではないのであるから、全電力会社の全原子力発電を直ちに停止させるべきであろう。そうしてこそ筋が通るのではないか。それほど政治と原発が密接不可分なのであれば、福島第一原発についても政治の責任を認め損害賠償の過半を国が負担するべきではないか?
菅首相は停めるのは浜岡原発だけであると言い切った。拠って立つ理念が分からない。それは「浜岡原発を停めたのは政治である」ということを自ら告白したのに等しい。それは国民を守るといってはいるが、菅政権の支持者の利益のためである。こういう受け取り方をするしか聞きようがないのである。
中部電力株は10%の暴落となっている。これは、文字通り、政治が経済を振り回している。この点だけは明らかである。
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