さて、今日は閑話休題。小生は普通程度のドラマファンだが、もしプロデューサーなら作品化を研究してみたいテーマが二つある。両方、時代劇なのだが、素材発掘ということで。
『白石先生奮闘記』
新井白石だ。有名な割には、あまり話題になることのない人物だが、実は<元祖・民間専門家出身の政治家>です。封建社会では異例の人物。白石は藤沢周平が既に「市塵」に小説化している。人物的魅力は藤沢的小説世界で十分に花開いているのだが、物語的面白さはもっと上げられる。そう思うのは私だけではないはずだ。
白石の父が、中々立派な古武士であって、父のエピソードだけでも泣かせる。その父は、不運な事件に巻き込まれて主家を離れざるをえず、長年の間、新井家は流浪する。白石浪人時代の不遇、伝説となっている猛勉強、そして木下順庵という師との出会い、学生時代。縁あって徳川家の連枝の家庭教師となり、将軍の師となってからは政治家として苦闘する。学生時代以来の生涯の宿敵であった雨森芳州との論争はエコノミスト達をも魅了するはずだ。加えて、一大ロマンス「絵島生島事件」が同時並行で進行します。将軍薨去の後は、幼少の将軍を守るものの、最後は吉宗将軍の登場で失脚する。しかし、その後も清廉で枯れた学者人生を送りつつ、世の変遷を見る。評論家ですね。
なんでこんな面白い素材が手つかずのまま残っているのだろうと、日ごろ、不思議に思うのだ。
『意次の誠』
これは田沼意次だ。山本周五郎が小説化している。いうまでもなく「栄花物語」。これはこれで大変な名作だが、歴史の中で見ると、一層スケール壮大な話になる。
みなさん、江戸幕府の危機はいつから始まったと思いますか?黒船?そうですね。それは正解には違いない。
しかし、それよりも事態の急変に対応できるだけの柔軟な判断力と分析力、そして決断力をなくしてしまっていた。この事実の方がはるかに重大だ。大体、幕府の信頼が揺らいだ時に出てきた大老が譜代門閥代表である井伊家であったのは、文字通り、人がいなかったからだ。どうかしている。幕府政治はこんなものではなかった。どこからおかしくなったのか?
小生の小説的興味だけでもないと思うのだが、幕府政治の大きな曲がり角は「幻の11代将軍」徳川家基急死であったと見る。聡明で文武両道に秀でていたと評価されながら、鷹狩の帰途、16歳(修正:18歳)で急逝したこの若者は吉宗、家重、家治の直系である跡取り息子であった。
家治将軍は、田沼意次が推進する経済財政構造改革を徹底的に支持していたが、意次のような軽輩出身で能力ある人材を抜擢できたのは、将軍の独裁体制が確立されていたからだ。その将軍独裁権力は、実は5代綱吉が作り、8代吉宗にかけて完成された政治システムであったわけ。その潮流の中に田沼意次の産業政策が展開されえたのだが、当然、譜代門閥層は組織的抵抗を繰り広げる。
長男意知が城中で殺害されたのが、家基急死の5年後。更に、その2年後に家治将軍が病気療養中のところ薬湯を服用した後に急死する。そして田沼意次は失脚する。田沼意次失脚後、幕府は伝統的な譜代門閥層が権力を握り続け、最後の最後に勝海舟が出てきたり、川路、永井などが抜擢されたり、徳川慶喜がその能力によって傍系から将軍になったが、時既に遅しとなる。
組織内改革という事業が、いかに困難を極めるものか。たとえ将軍の絶対権力に守られていたとしても、政策が革命的であるというそのことによって、その政治家はあらゆる抵抗勢力の攻撃の標的になる。そして歴史は権力闘争に勝った側が作っていくものである。
山本周五郎の「栄花物語」で描かれている人物世界を超えて、当事者すらも悟り得なかった歴史の大きな曲がり角を、幕府という大組織が通りすぎて行った。時代はゆっくりと曲がっていくということに、ずっと昔、この作品を読んだ時には気がつかなかった。
同じことがいま現在の日本にも当てはまるのではないか?大震災の前と後という言い方を私達はしているが、実は、時代の曲がり角はずっと前に通り過ぎているのではないか?そんな思いをめぐらせているのである。
さて、そろそろ買い物に出かけるとするか・・・
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