2019年3月16日土曜日

一言メモ: 憲法、天皇と日常感覚

報道で『皇位の象徴である三種の神器』が取りざたされている。これを継承(=相続?贈与?)する新天皇陛下には『贈与税が課税されるのか』という疑問と言うか、問いかけを大真面目にしている人があるという。

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まあ、「三種の神器」を天皇家の私有財産と考えれば「相続」なり、現天皇が生前退位をするのであれば「贈与」なりに該当するという論理になるわけで、その日常感覚は小生も理解できないわけではない。

そういえば、世を騒がせている(むしろ、今後の一層の騒動の種になりうる)眞子内親王とK家との「婚約」は無事「結婚」にまで至りうるのか。こんな下世話な関心もある中で、TVのワイドショーでは『皇室の方であれ「基本的人権」はあるはずですし、結婚は両性の合意にのみ基づくという憲法上の大原則があるわけですから……』というコメントが多くあり、それはもう聞き飽きたと言えるほどである。

本当に、皇室は、皇族は、天皇陛下は基本的人権を有し、日本国民に適用される日本国憲法の規定下にあるのだろうか?100パーセントあるのだろうか?

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もちろん憲法の第1章は「天皇」であるから、天皇陛下も憲法があっての存在であるというのが法的理屈だろう。

しかし、
第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第2条では世襲が定められているわけだから、皇位を継承しうる皇族と一般の国民は区別されている。これは法の前の平等に反すると考えることも可能だろう。最近は、男系男子のみが天皇を継承できると定めている皇室典範は両性の平等に反すると意見を述べる人も増えているが、それ以前に、皇位は国民一般に開かれた地位ではなく、皇族のみ、それも世襲によってのみ就ける地位であるという規定の方が遥かに古風な因習であると、そんな疑問を表明する日本人が出てこないことこそ小生には疑問である。

そもそも天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下、そのご家族等々、彼らは憲法に規定した職業選択の自由や移動の自由、思想・信条の自由、表現の自由を享受しうるかといえば、不可能ではなかろうか。皇族はいかなる政治的発言も控えるべきであるというのが、多数の国民の了解事項であろう。このような明々白々たる現実を知りながら、「皇族にも思想の自由、表現の自由、職業選択の自由はあるわけですから…」などと言い出せば、そんなことを言い募る御仁は大変な愚人であり、それを認めればそもそも日本国憲法は穴の開いたザルであると言われてもよい程の<愚法>になる。大体、現天皇陛下が退位を望まれたときに『天皇の生前退位は認められない』と多数の学者が反対したことは記憶に新しい。実に奇妙である。

故に、日本国憲法の文言の100パーセントがそのまま天皇家に適用されると考えられているわけではない、というのが事の本質であると思われる。

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むしろこの点は当たり前の了解事項であると思う。現天皇も新天皇もその次の天皇も、ご本人の自由な職業選択によって即位するわけではないことは明白である。

誰も、辻褄が合わないことが分かっているので、言い出さないだけである。

憲法に天皇の規定を含めると、どことなく欽定憲法の薫りが残る。なので天皇陛下その人は憲法の外側に立つ。そんな薫りを完全には払拭できない。当たり前である。

憲法に規定されている以上、天皇に関する財貨は理屈上「公有財産」になるが、それが「神道」の宗教的色彩を帯びているとすれば公有財産たりえない。となれば、宗教法人の保有になるのか、であれば天皇家と宗教との関連は…となり、議論は際限なく続く。

現代的な市民社会の憲法の中に古代から継承されてきた天皇制を矛盾なく織り込むのは、実は非常に困難だと思うのだ、な。

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継承されてきたものだから、その時代の憲法とは関係なく、我々は継承するという割り切り方をするしか議論のしようはないだろう。 天皇制とはそういうものだと思う。

憲法と矛盾が残るというので、天皇制を廃止すれば、むしろ残った憲法よりも廃止された天皇制を日本人は懐かしむに違いない。そう割り切ったうえで、矛盾を抱える度量をもって継承していくのが知恵というものだろう。

この辺に成文憲法の規定で全ての社会的事象を制御できるかどうかという「境界」がひかれそうである。

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