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ただ、この騒動を通してつくづく痛感したのだが、厚労省内の特別監査委員会、総務省に設けられた検証委員会の作業でほぼ明らかにされてきたような、大半の幹部に通有する統計業務への無理解と無関心だ。そして、現場の統計業務担当者にある疎外感と事なかれ主義的体質である。
まあ、小生にも分かるような気はする。あれから30年……、現場も変わっているに違いないから。色々な事があったはずだ。
これでは、幹部を処罰しても『運が悪かった』、担当者を処罰しても『自分に何が出来たのか?』という反応しか期待できず、本当に困ったものだと思う。そして、この辺に問題の核心があるということは、厚労省の特別監査委員会や総務省の検証委員会の認識を丁寧にフォローしていれば、自然に正確な状況認識がそろそろ浸透してきていてもよいはずである、と。そう思われるのだ。
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ところが、首相官邸の指示の有無や首相官邸への忖度があったのではないかという功名心にも似た先入観に凝り固まったマスメディアは、自分のイメージと事の本質が少々違うという点が(もうさすがに)分かってきたと思うのだが、それでも問題解明の基本的な方向を正しく理解するのに非常に時間がかかっている。
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東京地検特捜部の常套戦略ではないが、メディアが先入観をもってストーリーを先取りして報道すると、政治や行政に高い関心をもったA層だったか、B層だったか、「▲▲層」もその報道に無批判的に影響される。
時間が経過した後で、マスメディアが最初のイメージと実際の内容が違うと知れば、マスメディアは方向が誤っていたとは言わず、ただ報道をしなくなるだけなのである。
しかし、正しい方向への解決策が当事者によって直ちに実行されるわけではない。正しい対応を実行するには、それが正しい方向だと世間全般が正しく理解していることが必要である。マスメディアは、世間が抱いているイメージが事の本質とはずれていると知りながら、その乖離を指摘することには消極的である。
もし、問題発覚後、規定の行政ルーティンに則して検証なり監察が淡々と進められ、検証結果が確定するまでは一切の対メディア対応を停止するならば、今回のようなケースではもっと遥かに効率的に措置すべきことが可能となっていただろう。そして、1年もたてばいわゆる「統計不正」について行政評価がまとめられ、緻密な検証結果がレポートされているだろう。
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本当は、そんな道筋について国会議員は質問するべきなのだろう。ま、「べきだ」とここに書いても、まったく意味はないのだが。
以前の投稿でも書いたように、世間で統計が分かる人は少数だ。故に、不祥事が起これば長きにわたって「迷走」する。分かってもらえるまでは改善されない。そんな風になってきている。
色々な瞬間にマスメディアの活動が社会的不効率の原因となっていると批判されることが多いが、今回の統計不正の件においても、メディアの側の理解力不足から先入観報道をやってしまったのではないか。とすれば、またまた無駄な社会的コストを支払ってしまったことになる。これも「民主主義のコスト」などだとすれば、民主主義ってヤツは「べらぼうにカネのかかる仕組みでござんすな」と、そんなことを言う輩が出てくるかもしれない。
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