2019年3月17日日曜日

覚え書: 人の病気に「行政」はどう関係するのか?なにかを判定するべきなのか?

以下の報道は周知の話題に関連したものだ:
(前略) 
都の検証のカギとなる日本透析医学会の提言では患者が自己決定した方針は「尊重する」としながらも、透析中止の際に「生命維持が極めて困難な」状態などを検討しなければならない。さらに医師が患者や家族と十分に話し合うことを求めている。病院側は、患者本人のほか、家族や病院の複数の関係者が意思決定に立ち会ったとして、「検討は十分に行われた」との立場だ。 
 ただ、中止判断にあたっては、提言では院内の倫理委員会や外部委員会などの助言があることが「望ましい」とされているが、一度も開かれておらず、第三者の客観的意見が反映されていなかった可能性が高い。院長や外科医を含む病院側は都に「学会の提言は厳しすぎる」などと不満を漏らしており、提言逸脱を認識していた疑いもある。 
 人工透析は一般的に週3回で、1回当たり3~5時間。透析中の血圧の急降下により体調不良になることも多く、心身ともに患者への負担が大きい。専門家は「女性への精神的ケアの徹底が行われていたかも重要な検証事項」と語る。 
 ある腎臓病の専門医も「長年の透析治療で精神的に弱り、『透析をやめたい』と訴える患者は多い」と指摘。治療方針決定にあたって、患者の揺れ動く心情を念頭に、精神科医などの専門家を交えた精神的ケアが重要になるという。
(出所)THE SANKEI NEWS、2019年3月12日19:33配信

当該病院に近い関係者の考え方に異論を述べうる人は少ないだろう。どれも本筋だ。

しかし、これを読むと、小生は『日本の医療の理念・原則はヤッパリ延命にあるのであって、患者本人と家族の幸福はその次に置かれている』と思わざるを得ない。

どの意見も理に適っているが、どれも無機的で、かつ官僚的である、と。そう感じる。『命長ければ幸多し』というのは確かに戦後社会では反対できず、立派な信念であるとは認めるが、ある時代には『失楽園』がベストセラーになり、更に昔には近松の心中物が庶民の喝采を博したのである。そもそも自己犠牲を尊重する美意識と長寿を尊しとする価値観は両立できるのだろうか。日本人は歴史を通して永い寿命を常に無条件に価値あるものと観てきたわけではない。前にも投稿したが『徒然草』ではむしろ長寿を嫌悪しているのである。

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父は、今なら助かったかもしれないが、胃癌で亡くなった。53歳だった。1979年の事である。小生はまだ職業生活を始めたばかりのヒヨッコだった。

末期を迎え父の主治医たちは懸命に治療をしてくれた。意識のないままに、ベッドに横臥して父が繰り返す機械的な呼吸音を聴いていると、生きている父の存在を小生は感じることができた。

家族の生死は綺麗ごとではない。

衰弱していても会話ができたり、表情を観たりすることが出来る容態と、ただ呼吸を機械的に繰り返すだけの容態とは本質的に異なるものである。他にも色々様々な病状がある。病気は「患者ファースト」と断言する気もないし、「家族ファースト」と言う気にもなれない。ただ、そういう現実がそこにあり、自分たちと他人たちの区分があることだけを実感した毎日を忘れることはできない。そして、こういう記憶は普通誰にでもそれなりの年齢になればあるものだ。

そのまま意識が戻ることなく父が亡くなると、今度はたちまち葬儀と埋葬、その他の行政手続きという雑事が押し寄せた。母は病人への付き添いの後にやって来たそんな繁忙の中で泣く時間さえ不十分だった。人の生死の前後、この国では多くの行政手続きと雑用を乗り越える必要があるのだ。一番、ソッとしておいてほしい時に、だ。

母が肺癌で手術も手遅れであると知ったとき、小生は父のような苦痛だけは母に経験させたくはないと思った。週末で休みだった小生と病床で話をした次の週末、小生が友人の結婚披露宴に出席しているさ中に病状が急変し、慌てて戻ってから一晩たっただけで母は亡くなった。母は苦痛から免れたが、ぎりぎりの延命処置を主治医に頼まなかった小生は許されぬ親不孝をおかしたのではないかと、今なお割り切れない気持ちが残っている。

人の生死は綺麗ごとではない。

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上の記事に出てくる関係者の意見はどれも間違いだとは思わない。だからと言って、患者と家族たちの幸福がそこで尊重されているのだと感じられるわけでもない。今風の「相互監視」を旨とする社会の中で責任を追及されないための体制作りの観点から関係者がそれぞれの立場から口にできる範囲で意見を出しているだけであろう。

人の生死に関しては、本人と家族、そして最後をみとる現場の医師と看護師がどう判断したかがほぼ100パーセントの重みを持つべきだ。これが小生の経験である。

行政機関はあれこれと差し出口をはさまず、それよりも斎場の不足のため死後一月近くも冷凍保存される現状を少しでも解決するために時間をつかうべきだろう。死因不明のまま「急性心不全」と判定されるケースも多いそうだ。死因がよく分からない人の遺族の悲しみが一例でもあれば行政は放置するべきではないはずだ。

良い知恵を出せもしないのに他人事に口をはさみ、努力すれば解決可能な問題を放置するのは愚の骨頂と言うべきだ。

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