それにも関わらず、先輩の用件というのは、来年度の統計学授業で使う教科書。引き続き小生の拙著を使ってくださるということで、改訂版を出す予定はないのか、ということだった。小生もそろそろ大台。アラカンであり、体力的に書きなおすのはきつい。出版社からお願いされるならともかく、そんな風にグズグズ調で対応している間に、話は自然と世間話となる。
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「だけど君の教科書はさあ、難しいといえば難しんだけど、このくらいは勉強しておけよって、そう思うよ、おれは。」
「いやあ、僕もそう思ってるんですけどね。だけど、最近は、とにかく薄くて、易しくなってますよ、大学の教科書。安くするためか、難しいのは嫌なのか、どちらもあると思うんですけどね。」
「去年、アメリカのオレゴン大学で授業を担当してきたんだけどね。使った教科書が君のやつと大体同じ順番なわけよ。あんなもんだよ。君の教科書を使うって言っても、全部やるわけじゃなくてさ、要点をひろうわけなんだけど、自分で読むところもないとダメだぜ。大学院に行くとさ、アメリカで、そうなりゃGreeneとかやるわけだしね、あれやっぱり使ってるし、アメリカは学部はゆるゆるでさ、だけど大学院にいってガンガン勉強する準備だけはやるって感じだよ。」
「Greeneを全部読ませるでしょ、アメリカでは?」 ※Greeneは600頁位だったか、ぶ厚い
「そうそう。ここは自分たちで勉強しておくようにって言いながらね、全部やる。とにかく授業は滅茶苦茶はやいんだよ。学部はその準備なんだけどね、結構、教科書はいいの使ってるぜ。」
「ずう~っと見ていると分かるんですけどね。英語で書かれた教科書って、売れてる本は変化して来ているんですが、薄くなっている傾向はないですよね。内容も、どっちかって言うと、増えている。そんな風に思いませんか?」
「それはそうだな。ま、レベルが上がってるんだからさ、しょうがないよ。追いつくにはそれなりに昔より頑張らないといけないからさあ、当たり前だよな」
「日本だけじゃないですかね?教科書が薄くて、易しくなりつつある国は?日本語の本だけですよ、レベルが落ちてるの。」
「ハッハッハ、そうだよなあ」
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この後は、K大から来た数理統計学の専門家(というか数学者)Y.N氏の講演が始まる時刻が迫ってきたので、その話になった。マルコフ過程の推移確率を検定するための検定統計量が演題で、バックグラウンドペーパーをみると、やれ関数空間上のスペクトル分解定理を用いればとか、こんな感じ。これ聴く人いるのかね?そうか、統計やっている人が少ないから、吾輩にも普段はないお呼びのメールが届いたわけなのか。やれやれ、枯れ木も山のにぎわいというか、つまり枯れ木を演じてくるってことね。そんなこんなで、電話は間もなく終わった。
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覚書きに記しているまでなのだが、確かに日本の大学で使っている教科書のレベルは、20年はおろか、10年前に比べても格段にレベルダウンしてきている。かつてのベストセラーが改訂版、三訂版を出す時、見てみると、字が大きくなり、図が増えて、説明が相当やさしく書き直されていることが多い。これって教科書の<マンガ化現象>?やれやれ、大学もガラパゴスかよって思うと心が折れますね。海外から日本に来てもらうと、外来種ってことで、国内の大学は絶滅したりするのかしら?いやいや、英語の教科書は使いたくないってことで、学生が来ず海外勢は3年位たってから撤退するかも。どちらの可能性が高いだろう?
<ゆとり教育>の歪みであると言われているようだが、これまで<ユトリ>があったなら、アメリカ人と同じで、20歳前後には勉強したくてしたくて、たまらなくなっているはずだろうが?いやいや、生粋の(?)のアメリカ人はやっぱり怠け者になっていて、ガンガンやるのは留学生だ。そんな指摘もある。ということは、日本の大学が留学生誘致に熱心だとしても理屈はとおる。単なる定員割れ穴埋めが目的ではない。そういうことか?
今現在の日本の大学がかかえている問題の一断面なのである。その問題は、国内企業がかかえている問題と同質かもしれない。とすれば、これは日本国の問題なのかもしれない。
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