検証委員の氏名を非公表としたことをどう思うか?Yahooではクリック・リサーチでアンケートをとっている。結果だけをみると、公開した方がいいという回答が85%、非公開がいいという回答が12%となり、圧倒的多数は公開を求めている。
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小生、アンケートによる回答を確かめることがプラスである場合とマイナスである場合、全く意味のない場合、それぞれのケースが(理屈上は当然のこと)あると思っている。
たとえば販売されている自動車の価格は上がる方がいいと思いますか、下がる方がいいと思いますか?そんな質問があったらどう答えるだろう。
消費者の立場から言えば、安い方がいいに決まっている。品質が保証され、取引が通常通りの取引であれば、タダが一番いいのに決まっている。しかしメーカーの立場からいえば、コストが一定額かかっているのだから、高く売れる方が儲かる。高い方がいいに決まっている。正解がないばかりではなく、人によって、立場によって、<望ましい状態>が分かれている、その望ましい状態のいずれか一方を、社会が正しいと考えることもまた不適切である、両者のバランスにこそ最適な状態がある。そう考えるべきである。だからこそ、そこには専門知識が必要になり、経済学や経済政策という専門領域も発達してきたわけだ。
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今回、入試センターが設けた検証委員会では、以下のような説明がされている。
センターによると、2月3日に設置した検証委員会は大学・高校関係者、弁護士、危機管理の専門家ら計8人で構成。ただ、委員の氏名は「公表されると、委員がミスをした大学をおもんぱかったり、関係者などから直接、委員に意見が伝わったり、自由な議論の妨げになる可能性がある」として、委員長の青山彰・全国高等学校長協会長以外は公表せず、「結果公表時に明らかにする」とした。(出所: 読売オンライン、 2月15日(水)8時19分配信)確かに委員が誰であるかが最初から分かっていれば、様々な経路でコンタクトを求められてくるだろう。小生が、同じ立場であるとしても、審議がまとまるまでは自らの経験と考え方で意見を述べたいと思うだろう。
少し一般論から補足しよう。今年度の配布ミスは受験者により広い選択肢を与えようという意図から採用された変更が引き起こしたものだ。そもそも大学入試は大学側が行う選抜ツールなのだが、大学側は<良い人材>を選抜したいと考えている。良い人材は相当部分は感性による部分があり、受験勉強をしたから高い得点をとれるような問題ではない問題を(理想状態においては)作りたいと思っている。しかし、受験生は<頑張ったかどうか>で選んでほしいと考えているのではあるまいか?人材の良否と努力の多少とは、同じようで実は同じではない。だから、大学側と受験者側、大学側と高校側とは、考え方がそもそも一致しないと見ておくべきである。いま述べたのは一例に過ぎないが、このように大学入試をどう実施するかは、その人の立場によって望ましい方向が違うはずである。それ故に、望ましい入試の在り方も、結局はバランスをどうとるかで決めるしか、決めようがない。上の自動車の価格と同じタイプの問題である。
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何が望ましいか、何が良いか、その人が置かれている立場によって異なった見方がある場合、いずれが正しいと決めることはできない。どちらも合理性があるからだ。だから、どんな状態で社会のバランスがとれるかを考えるしかない。バランスをとる仕組みを作るしかない。<良い入試の仕組みをどのように作るか>もそうである。だとすれば、どのような関係者から検証委員会の委員が人選されたかの方が情報としては有用だ。この構成が分からないので、氏名を公表せよというのであれば、Yahooが公開しているアンケート結果(まだ回答受付中のようだが)は誠に適切である。しかし、名前を知りたいという、それだけの動機であれば、それは単なる好奇心であり、<知りたいよね>、それだけのことであると小生には思われるのだ、な。
<アンケート>は万能ではない。プラスの価値を社会に提供することもあるし、マイナスの価値を発生して社会に害毒を与えることもある、どうでもよいものもある、様々である。善悪具有の性質は、人間の発明したあらゆる道具と同じだ。原子力、ダイナマイト、自動車と同じだ。原子力は悪なりや?よし、アンケートで決めよう、と。危ないねえ。決め方こそ<バランスをとる仕組み>の肝(キモ)ではないか。アンケートで八方丸く収まるのですか?「天動説が正しい?それとも地動説が正しい?」 ― ここは多数の人に決めてもらおうではござらぬか、ナア、おのおのがた。バカバカしいでしょう。物理学者に聞けば、<正確な知識>が得られる。2の3乗は・・・確か8だと思ったが、エイ、ここは多数決とゆこう、そなたたちはどうお考えか?いや、最後の一つは余計であった。
アンケートは、それ自体に価値があるのではなく、ツールである。はさみも上手に使わなければ、害がある。同じことである。そう思うのですな。
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