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ぼやきというのは、国家試験と就職についてである。普通、仕事の選択、人の採用は市場メカニズムに任せられている。それゆえ、教育投資をたっぷりとかけて、才能にも恵まれた人は高い収入を得る。誰でも出来る仕事に携わる人は供給過剰になっているので安い給料に甘んじることになる。
医師になるには医学部に進学し、最終的には国家試験に合格し、研修を受けないといけない。研修は(原則)希望する地域で受けることが可能であり、『適正な給与の支給と研修中のアルバイトの禁止などが定められた』(Wikipediaより)。確かに収入としては低額であり、医学書は高額だし、研究の個人負担もあるかもしれない。それでも医師になるための投資支出と、当人が人的資本として成熟していくプロセスとの間には、一対一のパラレルな関係があるように思うのですね。特に以前の過重労働にあえぐ臨床研修医と比べれば「月とスッポン」」である。いろいろあっても、医師になる人、教育する人、カネを出す保護者、支援する政府などのバランスがうまくとられている。そう感じるのですね。
息子は法律家になるためロースクールに通学している。職業に就くには新司法試験を受ける。受けるのはロースクールを卒業した後の5月である。在学中に貸与される奨学金は3月で支給が停止される。卒業するのだから当然だ。合否は夏に判明する。合格すれば11月から10ヶ月間の司法研修が始まる。その研修は昨年度までは特別措置により有給であったが、今年度から制度に沿って無給である。加えて、アルバイトは勉学に集中するとの意味合いから禁止される。そのため生活費が貸与される。貸与された生活費は返済しなければならない。
理屈が通らないと思うのだな。受験後、研修が始まるまでの7ヶ月間、その間の生活費の工面を卒業生ができると期待する根拠は何か?アルバイトか、保護者の支援を期待するという趣旨であろうが、それならば研修が始まったあと、アルバイトの継続を禁止する根拠はなにか?資金が貸与されるからだ。しかし、貸与は当人負担と同じ意味である。当人が負担するのだから、アルバイトを禁じるとか、その人の行動を拘束する権利は国にはないだろう。
どうも医学教育の制度的成熟度をみると法律家養成制度と全くバランスがとれていない。そう感じるのですね。公認会計士の場合は、別の状況でもっと大変かもしれない。国家試験に合格した後、実務研修を2年以上受けることが必要だが、合格者数と受け入れ機関の数との需給がバランスしておらず、そのため『実務要件を充たさない一般事業会社や会計事務所に就職したり、生活のためにパチンコ屋でアルバイトをして生活をしている者』(Wikipediaから引用)が発生している。これが<待機合格者>である。
制度は国が決めるものである。自由契約に基づく市場メカニズムに任せるのではなく、制度を決める以上は、市場メカニズムに勝る結果を生み出さないと存在意義がない。司法試験は、法律専門職に携わる人のスクリーニング機能を果たしている。と同時に、専門的職業人としての品質を保証するシグナリング機能も受け持つものである。このように制度で職業資格を規制するなら、そうすることで社会的にはプラスの価値を生んでいなければならない。専門的職業を、他の職業機会と同じく自由に開放してもよいのである。優秀な人は多くの顧客を獲得し、そうでない人は顧客を失うだろう。政府機関は独自に採用試験を実施すれば良い。それでもよいのである。それよりは現行制度の方がはるかに合理的である。そう考えるに十分な根拠がなければなるまい。
現行の司法試験、公認会計士試験など、国が決めた職業試験制度を眺めると、その不合理性によるマイナスは、制度が保証するプラスを(ひょっとすると)上回っているのではないか。そんな風に感じられるのだ、な。それは近年の制度変更が、まあ「イソギ働き」で、少数の人の大きな声に影響されすぎたのではないか?そんな風にも勘ぐられるのであります。
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