2012年3月17日土曜日

21世紀の日本に派閥対立があるとすれば

今日はまとまりのない雑駁なことを覚書きとして書いておきたい。

それは<派閥>についてである。
政策の選択では常に対立があるものだ。

誰もが必要と客観的には認めるしかないのが消費税率引き上げなのだが、それでも「小さい政府」路線をこれから過激に追い求めるのであれば、増税は必要ない。しかし、それには公務員ゼロ賃金などでは追いつかない。焼け石に水だ。それこそ、年金、医療、介護、教育、公共事業、国防まであらゆる事業の経費をスリム化しなければならない。そもそも日本の財政状況はギリシアよりも悪いのであるから、求められる財政緊縮も(機械的に考えれば)ギリシアよりも過酷であって当然なのだ。

戦後日本、昭和20年代には「開発主義」と「貿易主義」の路線対立があった。貿易主義は、その当時の産業別競争力をベースにして貿易を行って、日本人の経済的利益を実現していこうという、まあ経済理論にも沿ったオーソドックスな考え方。開発主義はいまアジアが実行しているような戦略的な輸入代替路線である。輸出志向産業政策と言っても、まあ、近い。

いまの日本には真の意味で路線対立がないとよく言われる。どっちに向かったらよく分からないという気持ちなのかもしれない。だからこそ<閉塞状況>と言われるのかもしれない。確かに高齢者と若年層は利害が対立している。しかし<老人党>と<青年党>など、韓流時代劇の「老論派」と「少論派」じゃあるまいし、そんな政党はできませんって。

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しかし政党でも派閥でも、<対立>というのは、本来、社会の活力の源である。戦争ばかりでなく、論争する時も人たるもの、全力で立ち向かうものだ。知恵は静寂の中で、力は激流の中で、だ。ただし、対立の基軸なき対立は単なる茶番である。茶番には本心からエネルギーを投入できない。価値というか、理念というか、目的の違いから自然に形成されるのが本来の<派閥>である。

だとすると、現在の日本にも派閥対立の基軸は厳然としてある。それは個人の<幸福>を最終目標にするか、国家・組織の<利益>を目的指標におくかだ。

「公益」がないって?ありませんよ、そんなものは。公益は国家の利益、公的利益である。利益と反対側にあるのが賃金だ。社会主義は鏡の裏側にある利益重視思想と解釈できる。ただし所得分配はゼロサムゲームではない。国民所得が成長するときには協調が成り立つ。その意味では労使協調体制も組織重視・利益重視のデリバティブである。利益重視の観点に立てばどうなるだろう。政治は組織重視型になる。組織の拡大、組織の成長、組織の管理、効率性と戦略という言葉がキーワードになる。これは論理的には当然のことだ。同じ利益でも国家の利益と私的企業の利益の区別がある。が、それは単なる山分けの話であって、本質的な問題ではない。

一方、幸福重視の観点に立てば、どうだろう。組織は幸福を享受する能力がない。幸福を享受しうるのは現実に存在する個人だけである。従って政治は個人志向になる理屈だ。小生の勘に過ぎないが、まずは政治と宗教の分離の見直しが論じられるはずだ。英国国教会のような形もあれば、独キリスト教民主・社会同盟などキリスト教民主主義の流れもある。宗教と政治には色々な関係が本来はありうる。日本でも「人間重視の党」や「フォーラム共生と命」等々の政党が、比較的大規模でブランド価値のある ― まずはまとまりの良い浄土真宗系か、キリスト教系か ― 宗教団体の支援を得て結成されるであろう。現在、世界で広がりつつある「みどりの党」がそれに該当する党派であるのかどうかは、小生はまだ判断しかねている。次に「憲法上の天皇の地位の見直し」も議論の俎上に乗るかもしれない。天皇制は ― 元々そんな意図は全く込められていないにせよ ― 日本人を(理屈上どうしても)天皇に近い位置の仕事を担当するかどうかで、上下の階層に序列化するように(暗黙のうちに)機能してしまうからだ — 首都での仕事を地方での同一の仕事より上位に感じる心的傾向はその一例である。税制も見直されよう。法人実体説ではなく法人擬制説が主になろう。更には、会社有限責任主義の見直しもアジェンダに入ってくるかもしれない。仮にそうなれば、近代経済成長を支えた自由資本主義は根底から消滅し、新しい歴史の段階に入って行くだろう。ラディカルに方向転換がなされると、今よりは<経済音痴>の社会へと至るかもしれない。全体としてイノベーションへの動機が弱まり、非効率化し、集権から分権に向かうかもしれない。生活水準は停滞するかもしれない。

もちろん上に述べた対立軸とて時間の中で風化するだろう。党組織は時代の中で<適応>し、自己変革していかないと、頑固な老舗のように朽ち果てるだけである。ちなみに組織の耐用年数は30年と言われる。30年以上の寿命を得るには自己革新する必要があるというわけだ。だから、はるかな将来のことは誰にも分からない。

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今の<社会保障と税の一体改革>をめぐる騒動は、理想と理想のぶつかりあいではなく、たまたま入った政党組織の主流派と反主流派による<口喧嘩>であり、かつて吉田茂元首相がいった<猿山のサル的な猿芝居>である。

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