2012年3月11日日曜日

日曜日の話し(3/11)

東日本大震災は一年前の今日だった。カミさんと買い物に出かけて帰宅したちょうどその時刻、ユラユラと揺れるような気がしたのでテレビをつけると、震度7の大地震が東北地方を襲った映像を流していた。巨大津波が来襲した様子を画面でみたのは間もなくである。

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16世紀は前の15世紀末から次の17世紀初頭までをひっくるめて「長い16世紀」と呼ばれることもある。経済的には価格革命が進行した大インフレーションの時代である。芸術的にはイタリア・ルネサンスが完成期を迎えマニエリスムと呼ばれるようになるのと並行して、ベルギー、オランダ、ドイツなど北方にも人間復興の精神が伝播して北方ルネサンスが開花した。そんな時代だ。宗教的にはローマン・カトリックの権威が失墜し、ルターによる宗教改革が始まった。政治的にはハプスブルグ家による欧州制覇を目指した戦争が繰り広げられ、その途中には神聖ローマ皇帝カール5世の軍隊によるローマ略奪もあった。これは盛期ルネサンスの終焉を画した大事件になった。

この時代、日本では雪村周継による水墨画が創作されていたのだが、ドイツでとなるとグリューネヴァルト(Grünewald)を挙げたい。下は彼の傑作「イーゼンハイム祭壇画」の<平日面>である。


Grünewald, Isenheimer Altar, 第1面、1511-1515

祭壇画は仏壇のように観音開きの扉を開閉して見える絵を交替させる。上は扉を閉じた状態で平日はこの作品を人はみた。

日曜になると扉をあけて下の<日曜面>を鑑賞することになっていた。


Grünewald, Isenheimer Altar, 第2面、1511-1515

祭壇画はヨーロッパ北方で普及していた。先日、東京の国立西洋美術館に行ったが、そこにも幾つかの祭壇画が展示されていた。誰のだったか?ちょっと思い出せないが。

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今週は、とある用事で兵庫県三田市に行く。カミさんの実家の先祖は三田藩士だったそうだ。そのカミさんの実家の先祖がらみで一寸片付ける用事があるのだ。三田は九鬼家の殿様が支配していた土地である。九鬼家は伊勢地方の海賊をしていたのだが、たまたま織田信長が大阪本願寺との戦争で苦戦し、その苦戦の原因が毛利家による後方支援にあることを知って、九鬼水軍に命じて補給に向かう毛利水軍を迎撃させた。そんな武勇でなる家柄だそうだ。その九鬼家も関ヶ原では西軍についたため徳川家康の措置で伊勢から三田に移されたよし。海がないので自慢の水軍も解散となった。これらのことは全て長い16世紀のことである。

日本にとっての16世紀は、鉄砲伝来とフランシスコ・ザビエル来日のほうが歴史上は有名か。同時代の人々にも歴史の時計が回転する音を聞ける時代はそうそうは訪れないが、16世紀はその一つだったろう。それはヨーロッパでも、歴史の偶然か、ほぼ同様だった。

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